+  おるすばんの日には +


「なに、してるんだい」
「え?」
 声を掛けて初めて、彼は僕の存在に気付いたように振り返った。肩越しに僕をみとめて困ったように眉を下げて笑い、
「いや……、ほら、こないださ、トリスたちと一緒に聖王都まで行っただろ? 用事はちゃちゃっと片付けて、そのあとゆっくり観光して、あの時は楽しかったよな」
「まあ、そうだね」
「すごかったよなあ、聖王の城。サイジェントの城とは比べ物にならないくらいでっかいしさ。後ろに滝なんか背負っちゃって、もう王様の威厳ばりばりで」
「そうだったね」
「派閥の本部もすごかったよな。召喚士がぞろぞろいてさ、それがみんな胸にばってんマークつけてるし。あっち見てもこっち見てもばってんばってんばってんで。
 俺なんか、中2の二学期の期末の化学思い出してちょっと寒気がしたもんな」
 チュウニのニガッキのキマツのカガク、とはなんだろう。
「でもキールひどかったよなぁ。ずっと書庫にこもりっぱなしになるんだから。行く前は、蒼の派閥本部になんてとても顔を出す気にはなれない、なんて言ってたくせにさ」
「君こそ、連行されかけたのを忘れているんじゃないか?」
「覚えてるよ。でも、そのあと皆がみんなで助けに来てくれただろ? だから、あの時のこと思い出すとちょっと嬉しいんだ」
「…………」
「キールがこもってる間に、色々あったんだぜ? 導師クラスの人が一人、ミモザんちに殴りこみに来たり。
 聞いて驚け、なんとその人、ネスティの弱み握ってトリスを監視させてたんだってさ! 必要とあれば殺させるつもりで!」
「へえ」
 どこかで聞いたことのある話だね。
「それが上の人にばれたらしくってさ。やけになって、ミモザんちに殴りこみに来るんだから怖いよな」
「……その人、どうなったんだい」
「それがさ、……玄関開けたの、俺だったんだよ」
「もういい、わかった」
 ビリオン・デスでばっさりか。気の毒な人だ。
「言っとくけど、先に攻撃してきたのあっちだから。それに、ちゃんとプラーマで回復してやったのも俺なんだからな」
 彼は力説する。君よりギブソンさんにでもやってもらったほうがずっとたくさん回復したろうに。
「それでネスティが隠してたことが、いろいろばれたのかい」
「うん。トリスがむちゃくちゃ怒って、俺でも怖いくらいだった」
「そうだろうね」
 それはそれは修羅場だったろう。信じていた人に裏切られていたと知って、怒らないはずがない。
「『ネスをそんなに苦しめてたなんて、絶対許せない』って」
「……え」
「軽く返り討ちだったもんなあ。被害者のネスティのほうが止めに回るくらいの勢いで」
「…………」
「ネスティも反省してた。いや、ほかにどうしようもなかったんだから反省することないんだけどさ、予想と違うところでトリスを傷つけたのがこたえたみたいで」
「……だろうね」
 何故だました、と責められるよりずっとこたえる。
「まあそのごたごたのおかげで、旅の間の費用は蒼の派閥が持ってくれたしさ。リプレや子どもたちにもおいしいもの食べさせてあげられて、よかったよな」
「そうだね。……それで、最初の質問に戻るけど、なにしてるんだい」
「…………」
 彼はまた眉を下げて笑い、ばしゃばしゃ、と音を立てて今度は全身ふり返った。
「トリスがさ、ラミちゃんに変なこと吹き込んでさ」
「うん」
「変なことっていうか……。ラミちゃんにさ、『あのお城には、エルゴの王の子孫の人たちが住んでるのよ』って」
「変なことでも何でもない、事実だね」
「で、ラミちゃんが俺の所来て言うんだよ。『おにいちゃんも……お城に……住むの……?』って」
 直接話法のものまねが笑ってしまうくらい似ていた。が、それを言うとまた話が脱線すると思い、ほめるのは我慢した。
「その場はさ、まっさかーって笑って終わらせたんだけど、あとでちょっと悩んだんだよな。そういえば俺もエルゴの王なわけだし、やりようによってはお城に住めるようなことになるのかなって」
 言ってからすぐ、慌てたように手を振る。あまり強く振るので足元でまたばしゃばしゃ音が上がった。
「別に俺は城なんか住みたくないぜ? でもさ、もしそういうことになったら、リプレや子どもたちに、もう少し楽な暮らしをさせてやれるかなとか、そういうことを思ったんだよ」
「一家の大黒柱の心境だね」
「あ、確かに。
 で、ラミちゃんもひょっとしたら、『おにいちゃんが……お城に住んだら……ラミも……いっしょに住めるのかなあ……』とか思って、それできいてきたのかもしれないなって」
 おしい、今度のものまねはイマイチだ。
「で、そのあと、至源の泉ってとこに皆でつれてってもらっただろ?」
「ああ、メイメイさんに連れて行ってもらったところだね」
 シルターンからの召喚獣だと言う占い師。酔った赤い顔でふにゃふにゃと笑っていたが、時折まじめな顔で彼の横顔を見つめていた。
 もっと言えば、彼の横顔を通して、誰か他の人のことを考えているようだった。
 会った瞬間から彼が誓約者だと見抜いていたらしい彼女。その正体不明さに警戒していた僕だけが、あの顔に気付いているはず。
「これもエルゴの王が残したものだって聞いてさ、俺にもこんなことできるかなって思ってたんだよな。で、多分できるだろうなって感触があったんだけど、いきなり試すわけにもいかないし」
「聖王都の真ん中でやったら、とんでもないことになっただろうね」
「そうそう。……で、みんなでサイジェントに帰ってきて、元気になったルヴァイドをつれてトリスたちが帰っていって、後始末も終わって一息つきました、と」
「うん」
「見送りのあと、ちょっとラミちゃん沈んでたよな。ラミちゃん病室に入り浸ってたし、ルヴァイドも気を使ってデグレアの話とかで相手してやってくれたみたいだったし。なついたところで帰っちゃうんだもんな」
「あれは少しかわいそうだったね。……で、」
 僕は目の前の廊下と台所の境を、そこに積み上がる石くれの山を見つつ言った。
「三度目になるけど、なにしてるんだい?」
「あはは……」
 彼は実に力なく笑った。だらっと垂れた右手が水面に届き、慌てて引き上げてぶんぶん振る。
「一段落したことだし、ちょっと試してみようかなあ、と思って」
「こんなところで?」
「台所に水道ひいたら、便利だろうって思ったんだよ。井戸まで汲みに行かなくてもすむだろ?」
「さっきの、大黒柱の心境が残ってたわけか」
「あ、きっとそうだ。リプレに楽をさせてやりたいという一心……でもなかったんだけどさ」
「……まあ、その気持ち自体はほめられるべきなんだと思うよ、僕もね。でも、」
 でも、だ。僕は胸のあたりまで積み上がる石の上に手を伸ばした。向こう側の湯を少しすくい、ため息とともに落とす。
「さっきの話だけど。ラミちゃんが君に城に住むのかときいたのは、自分もお城に住みたいなんて思ったからじゃないと思うよ」
「うん?」
「大好きなハヤトおにいちゃんが、フラットからいなくなるんじゃないかって、心配したんだろう」
「……あ。あー、そういうことか」
 彼は頭をかいた。しゃがめる状況なら座り込んでいただろう。今、この状態ではとても無理だが。
「だから君は、甲斐性なしの大黒柱気分にならなくてもよかったんじゃないかな」
「そうだよな。……どうしよう、これ」
「まず、泉の大元を止めることだろうけど……できないのかい?」
「いまやってるんだけどさ、ちょっと時間かかりそうなんだよ」
 どうも間違えて大きな水源呼んじゃったみたいなんだ。送還するのにもそれなりに時間が、と彼は笑う。
「……じゃ、しばらくはこのままなんだね?」
「……ははは。このまんまー」
 彼はもう開き直ったような顔で笑う。
「……まあ、いいんじゃないか? エドスやレイドは喜ぶだろう。疲れて帰ってくるだろうからね」
「あ、そうだよな! 疲れた体にはこれが一番!」
「でも、重要なのはリプレがなんと言うかだ。夕飯抜きですめばいいね」
「……ううう」

 人が出払ったフラットの、湯気が立ち込める台所。
 腰のあたりまで満ちた湯は、とっさに呼び出したらしいロックラッシュの堤防によって、台所内だけでせき止められている。
 僕はその後ろに立ち、腰まで湯に浸かって途方にくれる彼を……僕たちのエルゴの王を、眺めていた。その足元からはまだ湯が湧き出し続けているらしく、ぼこぼこと湯の水面が波立っている。

 まあ、いいんじゃないか? 僕は口に出さず繰り返した。
 リプレは怒るだろうけど……ラミちゃんは喜ぶよ。フラットのかたすみにできた、ぽかぽかの温泉を見たら、ね。

 このところ沈んでいた小さな彼女が、久しぶりに笑うのなら……リプレだって、夕食のパンの一つや二つ、君に届けるのを見逃してくれるだろう。

04.2.28






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