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ポワソの恩返し +
「……するとその夜、やさしい若者の家に女の人が訪ねてきたんです。女の人は美しい布を織り、若者は多額の現金を手に入れました」
「うにゅう、すごいですのー」
「しかしある日、若者は知ってしまったんです。女の人の正体は、助けてあげたツルでした。恩を返しに来たけれど、もうここにはいられない。ツルはそう言って飛んでいってしまった……。そういう話です」
話し終え、湯飲みの茶をすするアヤに、シオンさんがうなずいて言った。
「甘い汁を吸うには、事前の準備が重要だというお話ですね。身にしみます」
アヤはほうっとためいきをついて、
「ええ。それに、甘い汁を失わないためには、ウカツなことはするなというお話でもあります」
「とってもためになりますのー」
「……いや、そういう話じゃないだろ」
アヤたちと同じく店先に腰掛けたソルが、あさっての方を向いたまま言ったが、熱心に聞いているモナティの耳には届かなかったようだった。
薬屋・あかなべの店先だ。先日ここで、メスクルの眠りという奇病を治す薬を作ってもらったばかりだった。そのお礼でこの店を訪れたアヤとソルにモナティは、シオンさんにシルターンの茶を振る舞われていた。店先で世間話などしているうち、アヤの暮らしていた国とシルターンには共通点があるという話になり、そこから昔話についての話題になったのだ。
「似たような話がシルターンにもありますよ。罠にかかっていた鬼神将ガイエンを助けたきこりが、恩返しをされるという話です」
「……そんなんが罠にかかってたら、俺なら絶対近寄らないけどな……」
また明後日の方向を向いたままのぼやきが上がったが、後の三人には届かず、
「まあ、シルターンにも。やはり恩を売っておいて損はないんですね」
「ええ。困っている人を見たらチャンスですよ」
「そうなんですの? モナティもこれからは気をつけますのー」
真顔でうなずきあっている。無邪気なレビットが汚染されてゆく……とソルは思ったが、今度は口に出さなかった。かわりに、
「……そろそろ帰ろうぜ。これ、今日の夕飯の材料だろ?」
「そうですね。あんまり遅くなると怒られちゃいますし」
三人は土間に置いてあった買い出しの紙袋を抱え、あかなべを辞した。
買い出しの袋はなかなかに重く、ソルは南スラムにさしかかったあたりで休憩を要求するハメになった。ちょうど半分ずつ、同じ重さの袋を持っているはずのアヤは平然としている。
「ソルさん、大丈夫ですか? 私が持ちましょうか」
「……いや、いい……」
おとなしい女の子に、自分の分の荷物まで持ってもらうというのは、ソルとしてはとっってもプライドに響くことだった。が、
「遠慮しないでください。INT1点上げのソルさんより、STR1点上げの私の方がずっと腕力あるんですから」
さらりと言われてしまった。しかも『ずっと』までつけられた。
「ほら見てください。ちからこぶもこんなに」
「わあ、マスターすごいですの!」
袖をまくって細腕に盛り上がる筋肉を見せるアヤに、ソルは慌てて「いいからしまえ!」と叫んだ。そんなもん見たくないと言うのが半分、二の腕の白さにどきどきしてしまったというのが半分。そんな内心など知らぬアヤは、
「腹筋が6つに割れるのが目標なんですよー」
と嬉しそうだ。それこそ見たくない。と、アヤが「あら?」と耳をすますふうにし、そばの路地へ入ってゆく。
「どうした?」
「来てください! ポワソが……」
せまい路地の奥には、けがを負ったポワソが一匹、ぐったりと倒れていた。モナティが駆け寄る。
「うにゅう、大けがですの。マスター……」
「かわいそうに、何があったんでしょう。リプシーハピー! 治してあげてください!」
聖精の光に照らされ、ポワソの傷は見る間にふさがった。ぱちりと目を開ける。
「気がつきましたか? もう大丈夫ですよ」
しゃがんで顔をのぞき込み、ほほえむアヤ。
ポワソはきょとんとした顔だったが、アヤに助けられたことは分かったようだった。何度も頭を下げながら、ふわふわとどこかへ飛んでゆく。アヤはにっこりとそれを見送った。
「助けられてよかった。良いことをすると、気分がいいですね」
「……あとで恩返しがあるかもしれないと思うと、だろ?」
背後でぼそりとつぶやいたソルに、アヤは満面の笑みで振り返る。
「当然です」
その夜、南スラムのフラットにて。日課になった屋根の上での会話を終わらせて建物の中へ下りてきたアヤとソルは、とんとん、という音に気づいて玄関へ向かった。だれかが小さく玄関をノックしているのだ。
「誰でしょうこんな夜中に……。はあい?」
「あ、こら、無防備にあけるな!」
ソルの制止も間に合わず、大きく開かれた扉の外にいたのは、一体のポワソだった。三角帽子をかぶり、ふわふわと浮かんでいる。アヤとソルは玄関をくぐって外に出、他に誰もいないことを確認した。
「ポワソ? おい、今ノックしていたのはおまえなのか?」
「まさか昼間のポワソ? ……いえ、それにしては大きいですよね」
その通り、そのポワソの身の丈は、アヤが普段呼び出すものの軽く二倍。
ポワソはアヤとソルを見比べ、それから、
『昼間、わたくしの子を助けてくれたのはあなたがたですね……?』
「えっ……」
「……ポワソがしゃべった?!」
確かに口を利いた。アヤとソルはあせって顔を見合わせる。
「しゃべるポワソもいるんですか? ソルさん!」
「まさか、そんなの聞いたこともない……」
『わたくしは、普通のポワソではないのです』
ポワソはまた、先ほどと同じ神秘的な声音で言った。
『エルゴの加護を得て、界の狭間を行き来する役目を与えられたポワソ。それがわたくしです』
エルゴとか界の狭間とか、この時点のアヤではわからない単語がいくつか出たが、
「すごいポワソが昼間の恩返しに来てくれたと、そういうことですね!」
「おまえ……その期待にみちみちた目をやめろ……」
目をきらきらかがやかせたアヤは、思い切り身を乗り出す。ポワソが思わず後退るほどに。
「で、どんな恩返しを? 美しい反物ですか? 黄金の出る小槌ですか? このさいラーメンの出るどんぶりとかでも構いません!」
『い、いえ、そのようなことはできませんが……、あなたを、もといた世界に返してさしあげましょう』
「……えっ?」
「そんなことができるのか?!」
『はい……』
絶句したアヤの代わりにソルが尋ねる。ポワソは静かに答えた。
『わたくしは界の狭間を自在に行き来できるのです……。そして今日は、界の狭間に通路が開くときがくる夜。その時なら、人間をつれて界の狭間を通ることも……。
ただし、』
ポワソはアヤを見つめ、ゆっくりと言った。
『わたくしにできるのは元の世界に連れてゆくことだけ。こちらに戻ってくることはできませんよ。よろしいですね……?』
「戻ってくることは、できないんですか……」
アヤは両手をにぎりしめてつぶやく。
ポワソの浮かぶあたりの地面が、丸く光を放った。サプレスの霊精は光に照らされ、
『通路が開き始めました。さあ、参りましょう。わたくしの背に乗って……』
「ま、待ってください!」
アヤは思わず、差し出されたポワソの手を払った。
「どうしたんだ、元の世界に帰れるんだぞ?」
「だって、そんな、いきなり……、せめてみなさんに一言、それに……」
『時間がありません。早くしないと、通路が閉じてしまいますよ……』
「ほら、急げ!」
「だけど……」
「急げって!」
ソルが強くアヤの背を押した。よろめくように一歩二歩、ポワソへと近寄ったアヤは、小さくソルを振り返る。彼は紫色の光の向こうで、唇を引き結んでいた。
「ソルさん……、ソルさん、私………」
手を伸ばそうとするアヤに、彼はいけないと首を振った。かすれた声で一言、
「……元気で………」
『さあ、わたくしの背中にお乗りなさい……』
ポワソが促す。アヤはソルの顔から目が離せぬまま、よろよろとその背に乗った。
べしゃっ。
「え?」
「……あら?」
ソルがつぶやき、アヤもつぶやき、ポワソは……つぶれていた。背に乗ったアヤの体重で。
『お、重い……っ』
「なっ、何を言うんです!」
アヤは引きつった声で叫んだ。
「わ、私が重いなんてことあるわけが……、ソルさん! なんですかその顔!」
「いいいいや別に。とにかくどいてやれよ」
『あ、あなた体重はいくらあるのですか……』
つぶれた座布団状態が苦しそうなポワソが尋ねる。
「四月の健診では……って、秘密ですそんなこと!
でも絶対肥満なんかじゃありませんでしたから! こっちに来てからだって、太ったわけないし!」
「筋肉……じゃないのか?」
ぽつりと言ったソルの言葉に、アヤは愕然とした。
「脂肪よりずいぶん重いって聞くぞ、筋肉は」
「そ……そんな……」
『どっちにしろ、わたくしの力ではあなたを運ぶことはできないようです。わたくしは、3キロ以上のものは乗せられないのですから……』
「さ、3キロ……?」
ようやくアヤの下からはいだしたポワソは、ゆっくりと浮かびあがった。
『今はまだ、わたくしの力ではあなたの助けにはなれないようですね……』
ため息をつくと、その体を紫の光が包む。
『異世界からの迷い子よ。また会える時を待っています。あなたがダイエットに成功するその時を……』
ポワソは光に包まれて夜空へと消えた。その軌跡に向けアヤは叫ぶ。
「3キロまでやせろって言うんですかあ!!」
「死ぬだろ……それ」
ソルの言葉はむなしく夜の闇に消えた。
「なんだ? 今の大声。アヤか?」
ポワソの消えた夜空を呆然と見つめていた二人の後ろで、玄関の扉が内側から開いた。寝ぼけ眼をこすっているのはガゼル、その後ろには心配そうなリプレやレイドら、フラットの仲間も見える。
「どうしたんだよ、ソルまで。まさかオプテュスの連中か?」
「あー、えーっとそうじゃなくて……」
答えようとしたソルに、ふとアヤがぎぎぎっと振り返った。その顔にはこぼれそうな笑み。
「……ソルさんって、思えばけっこう細いですよね。インドア派だし、本ばっかり読んでるし。
……体重どのくらいですか?」
目が笑っていない。声にも充分なドスが利いていた。
「ええっと……覚えてない……」
逃げをうったソルに、アヤはいきなり大股で近寄るとひょいっと両手で抱え上げた。しかも横向きに。通称お姫様抱っこで。
周囲は思いっきり固まった。
「軽い……絶対私より軽い……」
わなわなと両手を振るわせるアヤ。ぼとっとソルの体を取り落としたが、驚きの表情のまま時間が止まっているらしい彼は身動き一つしなかった。
「許せません! ソルさん覚悟ー!」
「うわーっ待てアヤ! 俺達まで巻き込むな!」
ガゼルの悲鳴は爆発音に飲まれ、巨大な召喚獣の吐くレーザーがサイジェントの町を半壊させた。
……だけど、ほんとは二人とも少し、ほっとしていたってことは、秘密の話だ。
04.02.21