私の体験談(何でアル中になったのだろう!)

 

私は断酒例会で、営業アル中の大城ですと体験談を語り始めます、セメント会社の営業マンとして30年間、お客さんを接待しながら飲んでいた訳ですから、まあー、それには変わりはありませんが、断酒会で心が癒される中で、どうもそればかりではなさそうだと気付きました、AC(アダルトチルドレン→元々親をアル中に持つ子供の事、今では機能不全の家族に育った子供も−−4つのタイプがある)と言う言葉に出会ってからです、しかし最初の頃ACは暗いイメージがあり私には当てはまらないと思っていました、営業マンで当然ながら表面は明るく楽天的で女房も私のひょうきんさに引かれたというほどですから私はACではないと、でもACには色々のタイプがあり自分が見えてきた今AC言うすばらしい概念に、私自身納得し説明がしやすくなってきてとても良かったと思います 私は南洋ロタ島で生まれ、終戦になって引き上げ、沖縄の片田舎で食べ物もなく,家も茅葺で台風の度に吹き飛ばされ、子供心は恐ろしく震え、傷いて育った。ですから大人になったらご馳走を沢山食べたいのと台風でも丈夫なコンクリートの家に住みたいのが大きな夢でした、そして酒だけは飲むまいと。そういう中でも父は密造酒を造り飲んでいた、そのうち馬車をもちスクラップ業をして帰りはいつも酔っ払い馬車の上で寝て馬が連れてきて来ていた、朝は起ききれず母は必死に起こそうと喧嘩から始まる毎日です、でも無学な父は子供たちには自分みたいな惨めな思いだけはさせまいとの思いで6人の子供を高校までは皆行かせた。

 母の死後、悲劇が次々起こる。兄姉たちは村を離れ私は貧しいゆえ大学あきらめ高校卒業前にセメント会社に就職し、一ヶ月の給料を母に上げて直ぐだった、朝、母がいつもの通り私を見送ったのが最後の別れだった、弟の高校合格で合同祝い行く途中車が転覆して頭を陥没して即死だった、家事が何も出来ない父なので長兄夫婦に帰ってきて面倒見てくれと弟二人で頼んだが、断られ夜通し泣いた,継母が来たが弟とは馬が合わない様子、その後その継母も白血病なくなる、実母の死のショックを弟は勉強することで心を癒していたと思う、英語が好きでコンサイス辞典を丸暗記するほどでした、しかし当時沖縄は医者が少なく京都大学の

 

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医学部に無理やり行かせ沖縄とのギャプもあり追い付くのに無理したのだろう、心の傷と重なり二年生のとき、とうとう統合失調症になり帰されてきた、一時良くなり琉銀や、塾の講師もしていたが、好きな英語の夢は捨てきれず米留もしたもののやはりだめだった、7年前精神病院でなくなった、次姉は結婚に失敗家を飛び出し今だに行方知らず、数年前救い上げしてお墓を作ってあげた,次兄も大酒飲みでしたがシーミーにお墓の草刈をしての帰り心臓麻痺で止まっている車にぶつかって即死した、又、一番私を困らせたのがアル中の長兄である、沖縄中の精神病院を渡り歩かされた、夕方家を出て15日間幻覚で山の中をさまよい歩かされ、発見されたのが母の古里の山の中で簡易水道の水を飲んで生きていた、生きていて喜んだものの酒を止め切れず亡くなった。酒による父、長兄、の肝硬変での死、次兄も酒によると思われる心不全の死、その状況に振り回されながら生きてきた私も、結局はアル中で死ぬところであった、ほんとに酒ほど恐ろしいものはないと今は思う。

 私の心はいつも父の面倒は俺が見ないといけないと思い込んで生きていた、子供もつくらず死ぬまで仕送りをし、お墓を造って上げたのもそのせいでしょう。何でそんなに父に捉われていたのだろう、やはり自分を抑えて生きて来た真面目タイプのACだったのだ、そしてそのインナーチャイルドを癒すために酒に捉われ生きて来たのだと、断酒会で心が癒される中で、初めて気付き、自分が見えてきた、断酒会には不思議な力がある、断酒会に出会ってなければ納得のいかない分けの分からない人生のまま淋しく死んでいたと思うと今でも恐ろしくなる、納得出来た人生を得たことは私の人生でこれ以上の喜びはありません、そういう意味ではアル中になって良かったと思う、断酒会に感謝、感謝の気持ちで一杯です。

 さて、あれほど酒は飲むまいと思っていた私の初めての酒は入社して10ヶ目の忘年会でした「こんなに苦くて辛いもの良く飲めたもんだ」から始まり、飲んでいるうち不思議と父の酒が許せるようになり、酒に捉われた兄達を見ながら生きてきた私もまた酒で死に損ねた、不思議だ。社長に「どこそこに電話して」と言われ、当時ダイヤルで穴に指が入れきれず、震える手の恐怖を今でも思い出す、アルコールエンジンで生コン会社を立て直したものの酒だけにはどうしても勝て

 

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なかった、責任ある仕事のせいだと30年間仕事一途の人間が突然会社をやめタクシー乗務員になった、しかし運転中に酒を飲み,クビ、そして転落の一途を辿る。あれほど嫌がった精神病院へ、それでも共依存(アル中に捉われた家族の病い)の妻は見捨て切れなかった。     

              

 

 

 

 

 

ビデオ屋の後ろが我が家です。モノレール空港駅から3番目の奥武山公園駅前。

                          

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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