東京ルーチン

 何より玄関がないのだ。普通の民家の2階に外付けの鉄階段で登る。そこに扉があり、ここからは靴を持って中に入る。2階の一室が私の住まいだった。隣の部屋の話し声などやはり筒抜け。石油使用禁止だったためなかなか部屋が暖まらず、帰宅して3時間はダウンを脱げないという過酷な環境、気温5度。それでも、台所の窓から見えるサンシャイン60が時折私を落ち着かせた。面倒だと思いながら銭湯にもかよった。しかし上京半年、台所で一滴の水もこぼさずに全身を洗い上げるすべを習得。超難関とうたわれた「背中の壁」の攻略に成功した夜は、いつになく発泡酒がうまかったのを覚えている。

 仕事はしていたが夜間学校にも通っていた。一番後ろの席。ひとしきり勉強するフリを終えると、あとは仕事の疲れに身を任せ睡眠となる。たまにビクッと痙攣しておどけて見せては隣の友達を笑わせたり、雷が激しい夜はトイレに行くフリをしてタバコ片手に雷ウオッチングにいそしんだ。
ま、基本的に大雨の日は学校休み。そんな毎日。

 でも学校より苦手なのが大きな駅。朝なんてニッポンの異常事態である。駅構内の穴という穴からニンゲンが連続して登場。その支流はやがてひとつに合わさり本流となる。無言で歩くその集団は、仕事をするという日常、安定したルーチンワークの良し悪し、ニッポンという国がこうして機能しているという現実。そのあたりを考えさせようとしているかに思えた。でも難しい問題は苦手なんだよなぁ。結局耳にポータブルのイヤホン突っ込み、「駅の人間模様をナナメから見てる誰か」にこの小難しい問いを背中で投げかけてみる。これで少し気が楽になる、そんな気がした。