SCAVI DI ERCOLANO  エルコラーノ遺跡

 ヴェスーヴィオ火山の噴火によって埋もれた町といえばポンペイがあまりにも有名ですが、
このエルコラーノ(ラテン語ではヘルクラネウム)もポンペイと同時に壊滅した町の一つです。
発掘面積はポンペイよりずっと狭いですが、遺跡の歴史的価値は非常に高く、ポンペイと併せて世界遺産になっています。
ナポリから近く、またヴェスーヴィオ周遊鉄道の沿線にあることもあって、比較的訪れるのは容易です。
それでは、古代ローマ時代の町を探訪してみましょう。

 当日の旅程は昼過ぎまでアマルフィを訪れ、ナポリまでの帰路の途中にエルコラーノへ立ち寄るというものでした。
アマルフィ方面からの路線バスでソレントへ抜け、そこからはナポリへ海岸沿いに北上するヴェスーヴィオ周遊鉄道を利用します。
日本のように車内放送は無く、また駅の案内板も隣接駅の表示もありませんでした。そこで乗り合わせた方々に聞いてエルコラーノ駅到着を確認。
車内はおせじにもきれいとはいえませんでしたが、乗り合わせたイタリア人は陽気で親切でした。
エルコラーノ駅からは海に向かって下る一本道を歩いて10分程度です。




エルコラーノ遺跡 SCAVI DI ERCOLANO
【世界遺産 ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区】

 現代の市街地を抜けるとそこには感動的な古代遺跡の光景が広がっていました!
撮影しているところが現代の地面の高さです。遺跡の周囲にある新市街を見ると分かりやすいと思います。左奥の方向がナポリ湾です。
なんとこの高さの分の溶岩で埋まっていたのです!発掘作業は本当に大変だったろうと想像します。
もちろんのこと古代のエルコラーノの町はもっと広かった筈で、新市街の地下には未発掘の古代の町が未だ眠り続けています。

 まず古代の地面に近づいていけるように配慮されたと感じる道を海側へと下っていきます。
遺跡へは海側から入っていきます。なお入場は有料ですので、ある意味安心して古代の町を歩けるわけです。








エルコラーノの街並み

 ヴォレヌスとプッロが揃って歩くといったようなドラマの一コマを想起させる光景が広がっています。(※ TVドラマ ROME をご参照下さい)
本当に二千年前と変わらない街並みに踏み込んで、ただただ感動するばかりでした。

 エルコラーノ遺跡の公開部分は大きく4つのブロックと、それを分かつ十字で交差する通りで構成されています。
ポンペイとは比較にならないくらいこじんまりとしています。
それが幸いしてか訪れる人はさほど多くはなく、まして団体観光客はポンペイとダブるためか皆無です。
おかげで本当にゆったりと静かに古代ローマに思いを馳せることができるでしょう。








フォロの浴場

 まず向かったのは入口からも近いフォロの浴場です。
棚のある部屋は脱衣場。さあお風呂へ入ろうという気分にさせてくれます。
くどいようですが風呂好きの日本人が最もよくローマ人の心境に迫れるはずです。








 お湯を張ればすぐにでも入浴できそうです。
ヴェスーヴィオが噴火する日までは、エルコラーノの人々が足繁く通っていた空間です。
二千年もの歳月は過ぎましたが、本当にローマ人の生活光景を身近に感じることが出来るでしょう。
モザイクの床が歪んでいるのは溶岩流の重みのせいでしょうか。








見事な壁画

 公開されている家の中で見かけた壁画です。裸であることからおそらく古代の神々を描いたものだと思われます。
キリスト教に席巻されるまでの、おおらかな多神教時代に生きたローマ人の価値観を感じることが出来ます。
ほぼ同じ様子で同じ向きに傷んでいることから、火山からの堆積物によるものではないかと想像されます。
こんなことからも、ヴェスーヴィオが噴火した当時の惨状に迫ることが出来ます。








ネプチューンとアンピトリティスの家 CASA DI NETTUNO E ANFITRITE

 基本的に内部の発掘物が家の名称になっています。
こちらでは二千年前の極彩色そのままの二人の神々を見ることができます。
古代エルコラーノの生活水準の高さ、美的センスの精錬さを鮮やかに見せてくれます。

 ローマ時代当時も、ナポリ付近のカンパーニャ地方は地味豊かでした。
ローマ人の富裕層は競ってこの地方に不動産を購入。古代エルコラーノはまさに高級住宅地でした。
ポンペイのような周辺の在来の町と併せて繁栄を誇っていました。ヴェスーヴィオが噴火するまでは。








ベル・コルティーレの家 CASA DI BEL CORTILE

 こちらのお宅もかなり豪壮な邸宅でした。規制されていますが、2階へも上がりたかったです。
なお、隣の部屋ではエルコラーノの住民の遺体が展示されていました。
200℃の火砕サージで窒息死したポンペイ住民は、その後降り積もった火山灰の中でゆっくりと朽ちたため、
あの有名な石膏像に見られる穴を残しました。しかし、エルコラーノを襲ったのは500℃の火山ガスと高温の溶岩でした。
そのため、エルコラーノ住民は一瞬で焼死し、こちらでは人骨が残る結果となりました。
人骨を見たのは初めてではありませんでしたが、二千年前の人の骨ということで胸に迫るものがありました。








格子垣の家 CASA A GRATICCIO

 その名の通り、歩道に張り出した格子垣のバルコニーが特徴の家。
3つの入口を持つ共同住宅だったようです。出来ればあの鳥のようにバルコニーから街並みを眺めてみたかったものです。








鹿の家 CASA DEI CERVI

 エルコラーノの町の中でも最も海側に位置している貴族の邸宅です。
噴火によって地面が上がったため、ここから直接海を見ることはできません。
家の名はこの猟犬に追われる鹿の彫像が発掘されたことから命名されました。
なおこれはレプリカで、実物はナポリの博物館に展示されています。

 この鹿の家はたいへん広く、入ってきた入口が分からなくなり、暫し家の中をうろうろする羽目になりました。








エルコラーノの町歩き

 既に日が西に傾いていましたが、時間の許す限り一軒一軒訪ね歩きました。
中央部に雨水槽、もしくは中庭、周囲を部屋群という、ポンペイと同様の生活様式です。
資産の多寡によって多少は内装に差はあっても、やはり町全体の生活水準は本当に高かったのだと感じました。
古代カンパーニャ地方はイタリアでも一二を競う豊かな地方でしたが、
紀元79年当時のローマ帝国の威容は地方の一都市にも充分に及んでいた様子が窺えます。









 19時の終了時刻が迫り、本当に静かになってきました。
エルコラーノの滞在時間は約3時間でしたが、それでも十二分に町歩きを堪能することが出来ました。
入口横のブックショップで土産物を購入する時間を残して、エルコラーノの町を後にします。








 
 ローマ時代の彫像に見送られて、エルコラーノを後にします。
エルコラーノの街並みには、ロマンを掻き立てるように夕日が照らしていました。








エルコラーノ遺跡 SCAVI DI ERCOLANO

 入口のある西側のテラスからは、遺跡の旧市街と現代の新市街、そして後方にはヴェスーヴィオ火山という光景を眺めることが出来ます。
ポンペイやエルコラーノの悲劇をもたらしたヴェスーヴィオ火山ですが、こちらから見ると富士山のような端正で美しい山容でした。

 多くの部分が未だに新市街の地下に埋もれた状態ですが、これだけの膨大な堆積物を取り除いてくれたおかげで、
遺跡探訪が可能になったことに率直に先人に感謝しなければなりません。
自分にとって夢のようなエルコラーノ探訪の3時間はあっという間に終わりました。
 ポンペイとエルコラーノはイメージ的に被るところがありますが、時間に余裕があれば併せて訪れる価値は大きいと思います。
エルコラーノからナポリは約9kmなので、列車利用でそれほど時間はかかりません。



 エルコラーノ探訪をもって、今回のイタリア旅行の全ての目的地を巡ったことになります。
この翌日朝にはナポリからローマまでユーロスターに乗車。ローマからフィウミチーノまでは往路と同じくレオナルド・エクスプレス。
フィウミチーノからは再びヘルシンキ経由のフィン・エアーで帰国の途に着きました。



 イタリアはニュージーランドに比べると、なかなか旅行するのが難しい国でしたが、
機会があればまた行きたいと思います。