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第19回 『卒業旅行』その3

南紀卒業旅行 stations

紀卒業旅行は、小田原駅発13時前後の鈍行を乗り継いで大阪駅に向かうことから始まります。当時はまだ国鉄の時代で、浜松や豊橋までの普通電車があり、2〜3回乗り換えると21時過ぎには大阪駅に着きました。いきなり8時間の車中移動です。国鉄からJRになって東日本、東海、西日本と分割化された現在は、東海道在来線で乗り継ぐのはもっと大変かもしれません。
 ここで、話を進めていくうえで(特に南紀旅行に行かれた卒業生には)いくつか承知しておいてもらいたいことがあります。まず、基本的に'84実施の最多参加者(現在47歳)の時の日程表を参考にしながら書いています。10回行った南紀旅行は少しずつ訪問地や行動日程が変化していましたので、日程や場所はあなたの行った時と異なる話があるかもしれません。また、思い出は人それぞれに異なるもので、名所旧跡の観光地よりも電車やバスの待ち時間、夜行列車の中、宿舎の夜、あるいはチンチロリンのことなどのほうをよく覚えている人もいると思います。ここでは全体的な客観的事実と、私が今でも覚えていることを中心に話を進めていきます。
 話を戻します。大阪駅からは大阪環状線で天王寺駅に行きます。今でこそ駅前開発がなされて明るく近代的になり、日本一高いビルディング「あべのハルカス」で有名になりましたが、当時の天王寺駅前は薄暗い通りで、どや街のような建物や、飲み屋、食堂が並んでいて、10時過ぎに15歳の少年少女がいるような街ではありませんでした。食欲旺盛な年代ですから、それまでに東海道線の乗り換え駅ごとに何かを口にしてきた生徒もいたと思いますが、1時間ほどの待ち時間があり、「駅の近くで遅い夕食(明日の早い朝食?)を取るよう」に言っていたのですが、勿論コンビニなどの明るい店はなく、毎回全員が帰ってくるまで心配しました。
 天王寺駅からは23:00発の鈍行夜行列車に乗ります。いよいよ阪和線⇒紀勢本線で新宮まで向かいます。この列車は懐かしい椅子の下が温まるスチーム暖房で、「朝釣り列車」という別名もあり、釣り人のほとんどは明日の英気を養うために発車と同時に眠ります。そのため生徒には「12時までには寝ろよ」と言ったのですが、MPS生の一団は興奮していてなかなか寝てくれません。釣り人たちに「静かにしろ!」と怒鳴られたのは1度や2度ではありませんでした。「釣り愛好家の皆さん、ごめんなさい」
 翌朝5時。新宮駅に到着です。ここからは周遊券を使っての電車とバスでの移動が始まります。どの学年も南から串本駅、太地駅、紀伊勝浦駅、那智駅、新宮駅、熊野市駅、松坂駅には乗降しています。私の記憶では他に大泊駅、新鹿駅で乗降した学年もあったように思います。
 今回の私の旅はレンタカーでの移動でしたが、できる限り乗降した駅は見に行きました。しかし、天王寺駅と松坂駅には物理的に立ち寄れませんでした。他の6駅は車を停車させて写真に撮ってきました。それが右の写真です。ほとんどの駅舎はおそらく数十年前と変わっていないと思いました。そんな中で熊野市駅舎(鬼ヶ城見学で下車)は新築になっていて、駅前の広場や道路もタイル張りになっていました。那智駅(那智大社・那智の滝見学で下車)は駅舎の外壁を塗り替えたようで、当時より朱色が鮮やかでした。駅前広場も整備されていました。しかし、日常の乗降客が少ないとのことで(一日の乗車客60〜70人とか)、無人駅になっていました。
 外観からは太地駅のが駅前ロータリーも狭いままで、無人駅っぽく見えたのですが、駅員がいました。南紀で乗降車した駅の中では個人的に太地駅が一番好きで、単線のあの軽く弧を描くプラットホームと、若い頃まではよく見かけた片田舎の駅の素朴な佇(たたず)まいがとても気に入っていました。階段を上ったホームの左側には新しくクジラの壁画が描かれていました。私には不似合いな絵と思いましたが、この点を除くと訪ねた駅の中では太地駅が一番昔の面影を残していたように思います。他の3駅(串本駅、紀伊勝浦駅、新宮駅)も、「ここの部分が多少変わっているのかな」というところはありましたが、全体的には大きく変わっていないという印象を受けました。
 電車やバスが来るまでの待ち時間は、陸の孤島だけあって1時間くらい待つことはよくありました。一番よく覚えているのは、那智駅の2番線の隣(裏)は「那智海水浴場」という和歌山県下最大級の広さを誇るビーチになっていて、そこで野球をしたり、ふざけ合ったり、散策したりして時間調整をしていました。熊野大社見学後も、次のバスが来るまで熊野川の河原で遊んだことを覚えています。潮岬の「望桜の芝生」でも遊びました。
 次に思い出すのが新宮駅です。夜行列車から降りて次の電車あるいはバスに乗るまでに、やはり1時間くらいの時間があります。「俺が朝飯、おごってやるから」と言って、熊野地方の郷土料理である、高菜の浅漬けでくるんだおにぎり「めはり寿司」を希望者に食べさせました。「腹が減っているから、旨いだろ」と聞くと、ほとんどの生徒は「不味い」と言い、吐き出そうとする者もいました。食べ物を粗末にしてはいけないと考える古い人間ですから、手にしたおにぎりはすべて食べさせました。
 しかし、その中にOさんだけは美味しそうに食べていました。この「めはり寿司」の朝食は新宮駅に着いた時の恒例行事にしていたのですが、後にも先にも「美味しい」と言いながら食べていたのは彼女一人でした。だからよく覚えています。まさに「蓼食う虫も好き好き」です。ところが、実は…私も今回数十年ぶりに食しました。すると不味くないのです。「好み」は年齢とともに変化していくことを身をもって知りました。
 私と一緒に同行してくれたスタッフから、ひとりの女生徒が落とした周遊券が、奇跡的にその生徒の手に戻ったという話を聞きました。その話を聞いた時、そんなことがあったことを思い出しました。'84実施の17期生の時のことで 、おそらく落とした駅と届けられた駅は太地駅か串本駅だったということまでは思い出せたのですが、何せずっと記憶の底に沈んていたことなので、その女性が誰だったのか、どのようにして彼女の手に無事戻ったのかは思い出せずにいます。南紀は気候だけでなく、人々の心も温かいことを知った美談でした。

 

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