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第18回 『卒業旅行』その2


南紀卒業旅行 prologue

紀に行ってきました。'90年の最後の卒業旅行以来、25年振りのことです。数多くあった塾の行事の中でも、なぜか卒業旅行の思い出が、私の心の中には一番深く残っていて、常々もう一度行ってみたいと思っていました。MPS行事の中では夏季キャンプのが回数も多く、一度に100名の参加者がいたこともあり盛大であったのですが、キャンプは本部での管理、進行が私の主たる仕事であり、おとなしい生徒とは授業の時より話をできなかった参加者もいたのではないでしょうか。それに比べ、卒業旅行は3泊4日の朝から晩までほとんど一緒に行動していましたので、私自身もいっしょに楽しんだという思いが強く残っているのです。
 それにも拘らず、卒業旅行の記事は『思い出のページ』コーナーに、この10年間でたった一度しか掲載されていません。そこでこの機会に私自身で執筆することにしました。たった一度掲載された記事(ちょうど10年前の2005.04.19更新)に、このようなことが書かれています。
 「中学生活最後の楽しい思い出作りとしての卒業旅行は、2泊3日か3泊4日の行程で、'75〜'90までの計12回行われました。第1回は会津若松に、'85は男性の日頃の不甲斐なさから、女生徒7名だけを引率して倉敷・神戸に行きました。それ以外の10回は、現在では世界遺産に登録されている南紀、熊野地方へ行っています。卒業旅行に関してのはっきりしたデータは残っていませんが、最少参加人数は'76の6名。最多参加人数は'84の20名でした。卒業旅行に行った塾生は計154名(男子91名、女子63名)となります。まさに選ばれし卒業生のみの行事でした」
 卒業旅行に南紀を選んだのにはいくつかの理由があります。南紀は学生時代に悪友3人と紀伊半島を1周して、本州ではずば抜けて豪快な景勝地が多く、しかも古事記や日本書紀にも記されている古い宮がいくつもあることを知っていたからです。しかし、その知名度や風土は地味で、しかも交通の便が非常に悪い陸の孤島で、高校入学までのこの時期を利用して行かないと、死ぬまで行く機会がないかもしれないという考えがあったからです。このことは「卒業旅行」申込書配布の際に話していると思います。
 第2回の卒業旅行に参加した卒業生も今では55歳。第12回に参加した卒業生は40歳。そこで、参加した卒業生に尋ねてみたいことがあります。「あれから3泊前後の南紀旅行をした人はいますか?」 たぶん少ないと思います。5%以下でしょう。否、いないこともあり得ます。
 10年ほど前に南紀の一部は「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録されましたが、全体的には今でも交通の便が悪く、観光客の数はそれほど増えていないようです(土産店のおばちゃんの話)。ただ、熊野古道のNo.1の人気コースである「中辺路」では、私のような健康志向のジージ、バーバが、大型バスから大挙降車して、参詣道を元気よく登っていく光景にも出くわしました。近年のパワースポット人気の第一位である熊野古道、熊野三山では、30歳前後の女性も時々見かけました。数人のグループと一人旅が半々ぐらいだったでしょうか。若い男性はほとんど見かけませんでした。
 旅好きの私の体験では、日本の観光地のTOP2は北海道と紀伊半島です。北海道は広大という感じがしますが、移動に時間がかかりすぎます。10回以上は行っている私でも、全体の1/3しか訪れていません。北海道の面積は東北地方と北関東3県の広さがあり、ゆっくり巡るには2週間以上の時間が必要になります。その点、南紀の中心は和歌山県と三重県の南部ですので、4〜5日あれば、ゆったりした時の流れの中に身を置くことができます。
 塾の名簿に記載されている生徒は約1000名います。そのうち約150余の生徒しか南紀旅行には行っていませんが、これから数回にわたって「南紀随想」を連載します。卒業生の85%の方には興味がないかもしれませんが、「行ってみたい」と思ってくれる人が、もしかしていたなら幸せです。もちろん、南紀旅行に行った人も、もう一度行ってみたらあの時とは違った喜びを感じるかもしれません。



【余談】
5月9日のゴルフプレーの合間(同組者は全員卒業旅行に行っていました)と、アフターゴルフでのお酒の席で南紀の話をしましたら、卒業旅行に行った人はみんな懐かしがっていました。松坂の肉、夜行列車、チンチロリン、本州最南端潮岬、那智の滝、瀞峡、幅2m長さ200mの吊り橋(名称不明)、くじら館など、それぞれに記憶していることは異なっていましたが、楽しそうに覚えていることを話してくれました。いわゆる名所、旧跡よりもバスや電車を待つ間に野球をしたり、ふざけ合ったりしたことのが記憶に残っているようでした。
 肌身離さず持ち歩いていなければいけない周遊券を、国民宿舎「白鯨」に忘れてしまった当時の生徒が、ちょうどお酒の席にいました。太地駅で不所持が発覚し、彼と友人の二人は国民宿舎に周遊券を取りに戻らせることにしました。当然何時間か別行動になってしまいます。こんな事件は後にも先にもありません。別れるとき「予定表を見てみんながどの辺にいるかを確認しながら、どこで落ち合えるか考えて、行動しろ」と言ったことは覚えていますが、本人も私もどこで合流できたかまでは覚えていませんでした。
 現代ならスマホという便利なグッズがあるので、「今どこにいる?」「それなら××で待ってろ!」とか指示もでき、心配をかなり軽減させることができるのですが、こんな私でも無事に合流できるまでは気を揉んでいたと思います。そして最後に、前述した「南紀は陸の孤島で、君たちのほとんどは死ぬまで行くことはないだろう」という言葉は真実でした。尋ねた人の誰もが「あれから南紀には行っていない」と言っていました。
 何回続くか分かりませんが、次回から私自ら「南紀卒業旅行」を執筆します。過去と現在の写真を対比させながら、卒業旅行に参加された方々の記憶を揺り動かしたいと思っています。

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