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第16回 『思い出いろいろ』 その2 〜責任と感謝〜

Pアクセス1万件突破、おめでとうございます。これを祝して、また三宅先生の日頃の熱意あるご執筆に感謝の意も込めて、ここに一筆啓上仕り候。
 先日、押し入れを整理していたところ、懐かしい品物が出てきた。MPS報の前身の文集「MPS」である。当時を忍ばせる三宅先生の手書きの青刷りコピーだ。その1号は私が中学に入学した昭和47年の5月に創刊され、翌年の3月までに7冊発行された。定価が「コピー券6枚」と記されているのが懐かしい。内容は「みんなで考えよう」という社会派のものから、徒然なる「話の散歩道」や「詩のページ」、そして「勉強・テスト・中学生活」といった特集記事で、当時の塾生が「B」や「Q」といったペンネームで寄稿していた。私は懐かしさのあまり、荷物整理もそっちのけに青春時代の証に思わず読み耽ってしまった。さすがに自分の文章はその幼稚さに恥ずかしくて閉口したが、三宅先生の明快な文章はもちろん、友人や先輩の文章は懐かしさ以上に感動した。結局、過去に吸い込まれるように、その7冊を読んでしまった。その中で三宅先生が数度にわたって強調されていることがあった。
 「今の中学生を見ていて残念に思うことは、主体性がないことだ。勉強にせよ、遊びにせよ、自分の考えをちゃんと持って行動してほしい。」。 この「今の中学生」とはまさに当時の私たちのことである。しかし、編集後記でこうもおっしゃっている。「いろいろな夢を持ち、希望に胸をふくらませるかと思うと、一寸したつまずきにもすっかり参ってしまい、友情にあこがれるかと思うと、孤独こそ私の本当の姿だとつぶやく。つまりこういう時代が中学時代である。それは言いかえるなら、自発的に考え行動するようになったことであり、大人になる前兆である。」 まさに三宅先生らしい珠玉の一文である。しかしどうであろう。その教えを受けたはずの私は、人生の半ばを過ぎたにもかかわらず、果たして「主体性を持って」人生を生きているのだろうか。三宅先生には誠に申し訳ない限りである。
 この「主体性を持って生きる」ということには、当然「責任と感謝」が伴う。誰しもが口にする平易な言葉であるが、奥は深い。私がスタッフとしてMPSをお手伝いしていた頃のことである。時折、先生から「○○を辞めさせた」と聞かされたことがあった。私は内心、「えっ,あいつが?」と思ったが、そこが先生の厳しい一面でもある。このようなことは世間では理解されにくく、「先生のお眼鏡にかなった人だけ残る」と非難されることもあったが、先生のポリシーは明確であった。「自分のやっていることはボランティアではない」。学校や塾は保護者からお金を頂いて(あるいは血税をもとに)教育をしているのだ。教育そのものがボランティアではない。これを非情と見るかなどという疑問は愚問である。先生はこうも付け加えられた。「本人やその家族にとって、このまま塾にいることが幸せかどうか」。単なる儲け第一主義ではない。先生の基本姿勢はそこにあると感じた。
 私自身は幸い首になることはなかったが、幾度となく行動と思考の甘さを指摘されてきた。生徒の時はもちろん、スタッフになってからもである。こんな言葉を思い出す。スタッフになって授業を任されるようになった時、「主体性を持って、生徒の喜ぶ、わかりやすい個性ある授業をやってくれ。」 また、行事などの責任者や班長になる者に、「参加した生徒が楽しかったと言えるように先頭に立って盛り上げてくれ。」と。そして、「父母からの苦情は任命者の責任だから、すべて俺が引き受ける。」 と必ず付け加えられていた。誰しも自分がヒーロー、ヒロインでありたい。人生の主役は自分。人は多かれ少なかれ自己本位で生きている。先生もそのこと自体、否定されていない。しかし、存在と行動の責任、それを支えてくれる人々に対する感謝の念を同時に説いておられる。今、その言葉の重みをしみじみ感じている。
 国政と国技のトップが自己責任を果たさず雲隠れしてしまう国がある。公僕が自己本位に年金を使い込み、それを罰しない国もある。あー、なんと美しい国か。そんなご時世の中、先生が凡事徹底、毎月コツコツとHPに執筆されているそのお姿を拝見するたびに、私などは影を踏む距離にすら近づいていないことに気づく。三宅先生の今後のますますのご執筆に期待したい。

 追伸: このHPを愛読してくれている中学生諸君。文集「MPS」第3号の三宅先生著「おかあさん」は必読です。先生にお願いしてHPに掲載してもらおう。

(ペンネーム 鄙にもまれな)


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