三宅学習塾OB会 > トップ > 思い出のページ > 『ハーフマラソン』その3

第十三回 『ハーフマラソン』その3
  プレイバック白銀林道


白銀(しろがね)林道」、この名称覚えている方はどれくらいいますかね。そこは私(’69年生まれ)が中学生の時、MPSのハーフマラソンで2回ほど走った場所です。確かスタートは湯河原の「しとどの窟」入り口で、ゴールは早川小学校と湯本小学校のそれぞれがあったと記憶しています。実はその林道を年末(H18年12月)に走って(RUN)きました。とはいうものの白銀林道に行ったのは、中学生以来20数年振りではなく、MTB(マウンテンバイク)やらランニングやらで何回か行った事はありました。中学生当時の風景は部分的にしか覚えていませんが、路面は石がごろごろして走りにくく、コース途中でサルと遭遇したことは覚えています。現在はといえば舗装化がだいぶ進んでおり、湯河原の幕山付近や星ヶ山公園付近は整備がされています。そしてその林道を走っていた時にそのハーフマラソンや中学生当時のことを思い出していました。コース終盤、道の分岐で迷っていた時、たまたまS木先生と一緒になり、その後ゴールの湯本小学校まで一緒に走りましたが、途中お腹が空き、なぜかアンパンを持って走っていたS木先生とアンパンを分けあって食べたのを不思議と覚えています。また、最後の湯本の国道に出る手前にテニスコートがあり(当時のギャルがプレーしていた)、これまたなぜかS木先生に「あんまり見るなよ」などと冷やかされた覚えがあります。そのテニスコートは今もまだ残っていました。しかしコートには鍵がかかっており、もう使用されておらず、草が生えていました。ですが記憶のままのコートがありました。
 なぜ当時、この林道をハーフマラソンのコースに設定したのだろう?ふとそういう疑問が頭をよぎりました。しかし実際コースを走り、振り返ってみると、なんとなく分かってきました。林道の途中にゴルフ場へ行く道路が横切っているんです。また別の箇所は林道がゴルフ場の入り口に接していました。ゴルフ場に行く人なら、そこを通るはずです。ご本人に確認はしていませんので確かではありませんが、そのゴルフ場がヒントかなと感じました。この推理いかがなものでしょうか。
 私も中学・高校・スタッフと長い期間いろいろな行事を経験しましたが、その行事の誕生秘話などを探るのもおもしろそうだなと感じた「白銀林道」でした。しかしやっぱり「白銀林道」は長かった。

(今でも「走る闘魂」 ’69生まれ)

住 所
〒250-0034 小田原市板橋647番地 三宅学習塾OB会事務局
事務局への投稿などはこちらへ
三宅先生への連絡などはこちらへ