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第九回『夏期キャンプ』その3  〜蓼科アイランド〜

 〜妹より〜

さん、あの暑くて熱かった夏のことを覚えていますか?
 今でも世渡り上手で調子がいいだけが取り柄?の私は、上司とカラオケでデュエットなんてことがよくあるけど、選曲に迷ったら、アレ。『二人の愛ランド』。
   
 あのときのE班は、イケてましたよね。伊藤くんの星飛雄馬と永井くんの伴宙太バッテリーの何とも言えない朴訥としたムードは、演技だったのか地だったのか未だに解らないけれど、「名優」とはそういうもの。笠智衆しかり、ジャイアント馬場しかりです。私は、兄さんとの愛のデュエットの他に、花形満でハリセン叩いたり、マラソン2周を必死こいたりした結果として、キャンプ大賞をいただいたけれど、あれはまさにE班メンバーのナイスアシストの賜物でした。
 それもまた、参謀役・石塚先生のただならぬ面白さがあってこそ。ブヨに刺された足の、あのただならぬ腫れっぷりは、目に焼きついて忘れられません。「笑いに対する姿勢が、一般人とは違うんだな」と思い知らされた出来事でした。

 その翌年のキャンプのことは兄さんは知らないけど、私の周りはさらにパワーアップしました。だって我がH班の参謀役は三宅先生だったから、参謀というより大将直々の指揮なわけで、メンバーに迷いはなく、「富国強兵」「殖産興業」、完成度の高い芸が生み出されたんです。
 中でも『柏岡少年と山下清』主演の柏岡くんの、ボケキャラをベースとした「半目に腹出し」芸は、プロ芸人の域に達していたと思います。写真を見返してみても、演芸以外の時も常に半目ですから、その芸人根性には頭が下がります。
 私といえば、三宅先生が本田美奈子が好きだという、おそらく超個人的な理由で、『Sosotte』を歌うよう命ぜられました。『1986年のマリリン』を中学生にしてすでに妖艶さを漂わせていた松岡美也子ちゃんが歌うという逆境の中、半ばヤケクソで歌選の舞台に立ちました。。。が、どうでしょう?濃い化粧を施し、スポットライトを浴びて歌い出すと、これが気持ちいい!
 兄さんがメイクをして、シャネルズや忌野清四郎になっている姿を写真で見た時には、正直その気が知れなかったけど、やはり兄弟、同じ血が流れているんですね。。。 あのときは、まるで本田美奈子が乗り移ったような気分で、自己陶酔してしまったうえに、歌謡大賞をいただいてしまいました。。。そんなこともあって、先日、本田美奈子が亡くなってしまったことを知ったときには、泣いちゃいましたよ。。。しんみり。。
 
 当時、キャンプでは自分たちも楽しかったけれど、「三宅先生や他のスタッフの先生も、大人なのに楽しそうだなぁ」って不思議に思っていました。けれど今、自分もあの頃の三宅先生に追いつく位の歳になって、「楽しめる大人って格好イイ」と思っています。さらに、「おだてられたら木に登れ」(私のように)と、「梨の皮は長く剥け」 という、個人的に得た教訓も含めて、子孫に伝えていきたいと思っています。

 〜兄より〜

めてカラオケで歌った曲が「いけないルージュマジック」では、その後のカラオケ人生が大きく狂うのは仕方ないでしょう。37歳となった今でも、あの時の鮮烈な体験が尾を引いて普通にカラオケを歌うとかえってストレスがたまります。マツケンサンバのDVDも迷わず買ってしまいました。
 塾のキャンプに4回行って一番まともな歌が「二人の愛ランド」だったけど、それも兄妹でデュエットしている時点で「色物」扱いでした。ちなみにそのほかは「シャネルズや忌野清四郎」ではなく「ラッツ&スターと忌野清志郎」だけどね。

 塾の行事で学んだことはいろいろあった。先生の教えの中では「馬鹿は馬鹿になれない」という言葉が、塾を卒業してから今までの20年弱の間、自分の中で活き続けている。「状況をあらゆる角度から分析・検証して、受け手にとって最高のものを即座に実行してみせること」という自分なりの解釈をして今も心がけている。周りの人を引きずり込んでいくのにめったに無い殺し文句で、民間企業の管理部門の社員としては重宝しています。
 まあ、キャンプの思い出で忘れられないのは、赤道小町にドキッとしたことだな。佳子は何のことだか分からんだろうが。

(佳子&タクヤ)

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