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第八回 『ハーフマラソン』その2
  皮肉なことに・・・マラソンが一番の思い出なんて


のMPS行事で楽しくて嬉しかった一番の思い出といったら、やはり一度優勝した「クイズバス旅行」かな〜?原宿から上野への移動時のペーパークイズでは、「ウルトラマン」の問題はTBSへ電話をし、「帯」の問題については、地下鉄で乗り合わせた上品な着物姿の女性に尋ね、まさに怖いものなしで楽しんでいましたね。そもそも三宅塾に入ることを強く希望するきっかけになったのは、私が小6の時に、兄の部屋で見たMPS報のクイズバス旅行の記事を読んだことですから!いや〜優勝できて本当に良かったです。優勝商品のMPSマスコットのくまさんのテレカは今でも使われることなく(使う機会もなくなって?)大事に保管されております。どこかに…、ですが。
  一番心に残っている思い出は、皮肉なことに、あの苦しくて辛いマラソン大会なんです。ですから、敢えてハーフマラソンについて書かせていただきますね。というのも、このHPのマラソン大会紹介のページに13歳の頃の私の写真が載っているではありませんか!写真を見ていろいろ思い出しました。そうそう、芦ノ湖の湖畔を走ったような歩いたようなことがありました。とにかく本文にもありましたが、湖畔の散策道で、風情はあるけれど、アップダウンは激しく、湿っていて、気の根っこがニョキニョキっと出ていて、今思えばどうしてそんなところでマラソンを?というコースでした。残念ながらそのときどんな文句を言ったのか、はっきりと覚えていないのですが、掲載写真以外の私のアルバムの写真をみても、なんか楽しそうに写っているんですよね。きっと楽しかったんだと思います。走った後、夕方が近づくにつれ、箱根の風がやたらと冷たかったのも覚えています。そうそう、寒かった。早く帰りたかった。
 一年生のときは従順だったので、三宅先生に誘われるままに(命令されたのかも?)参加したのですが、その後中学生の間にマラソンに参加した記憶はないんですよね。で、高校1年の時に酒匂のサイクリングコースを走ったんですよ!確か当時、三宅先生に反対されているのも聞かす、バレーボール部に所属していた私に、三宅先生が出ろ出ろ!と言ったんでしょうね。はっきり覚えていませんが、私を挑発するような何か発言があったのでは?私は気の強い女でしたからね。乗りやすいんです。一人での参加は寂しいので、村山美香ちゃんの自転車伴走つきでした。蛍田から開成町まで見える景色はほとんど変わらず…という辛い道のりを、ただひたすら走ったり歩いたりの繰り返しをしました。いや〜辛かった。中一の時の浮かれた気持ちなんてこれっぽっちもなかったような記憶が。当時中学生の女の子で足の速い子が二人いて、彼女たちがワン・ツーフィニッ>シュだったのですが、女子の参加が21名、高校生は私一人、なのに堂々の3位。MPS報にもばっちり写真入で記録と記事が載っちゃいましてね。参加していない同級生に教室で「すごいね!」と言わせたものです。
 マラソンの思い出を書かせていただきましたが、今後の企画として「OBクイズバス旅行」があったら参加しちゃうかもしれませんが、「OBマラソン大会」は絶対に参加しませんよ。でも自転車伴走係ならやってもいいかも。なんせ今、片道30分の自転車通勤してますから。30歳を過ぎても真夏に自転車者通勤するこの根性は、MPSのマラソンで培われたのかも…。

(山口 舞)

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