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第五回 『ハーフマラソン』その1


ーフマラソンの起こりは諸説紛々、入り乱れています。‘80年代前半、塾生有志が小田原市の主催する元旦マラソンに集団で参加していましたが、そのうち参加者が増え、塾でもやろうと言うことになりました。元旦マラソンは名前こそマラソンと名付けてありますが、距離は6〜7kmくらいのものでした。三宅先生はとんでもないことを言い出す人です。どうせやるなら、嘘のないマラソンをやろうと言いだしましたが、さすがに42.195kmは無理です。そこでハーフの21.1km以上は走ろうということになったようです。
 第2の説は、‘70年代後半、『減点』のバツ行事として正座が行われていたそうです。三宅先生のやることです。『お前ら、修行が足りん!』と、言うことでしょう。屋外、土の上で1時間の正座です。これに耐え切れなかった生徒の一人が、『根性をつけるなら、マラソンにしてください。』と、申し出て始まったというのです。確かにハーフマラソン大会が始まってから、正座はなくなりました。
 第3の説は、『減点』が多いとMPSの行事に参加できません。そこで減点を減らしてもらうために、ハーフマラソンが行われたというものです。しかし、これは信憑性に欠けます。’90年代になると、クイズバス旅行に参加したいために、ハーフマラソンに出たという生徒がいたことは確かですが、元旦マラソン、ハーフマラソンのがクイズバス旅行より数年早く始まっています。
 小田原市主催の元旦マラソンには’79〜’83まで5回参加しています。ハーフマラソンは’82〜’94まで13回行われ、第1、4、5回は芦ノ湖1週コース、第2、3回は湯河原と箱根湯本を結ぶ白銀(しろがね)林道コース、第6回からは酒匂川サイクリングコースで行われました。芦ノ湖1週コースは芦ノ湖の周囲が21.1kmであることから、コースに採用されたと考えられます。参加した卒業生は覚えていると思いますが、西岸のハイキングコースは足元も悪く、曲がりくねった小道の連続でした。そんな悪条件の中でもベストタイムは1時間36分です。湯河原のしとどの窟(いわや)から早川小学校まで(第2回)は約26kmでベストタイムは1時間59分、湯本小学校まで(第3回)は約30kmでベストタイムは3時間04分という記録が残っています。早川小学校までのタイムが素晴らしいのは、比較的下りが多いためです。湯本小学校までのコースのほうは、距離が長くなった上に、後半に登り坂があったため、それほどよいタイムが出なかったと考えられます。
 芦ノ湖1週コースと白銀林道コースはハイキングにはいいのですが、あまりにも走るのには不向きなコースということで、どこか平坦で安全なコースはないものかと、先生、スタッフは考えたようです。いくつかの候補地の中から、酒匂川サイクリングコースが選ばれました。酒匂川サイクリングコースは、しっかりと21.1kmを測量し、まさにハーフマラソンに仕上げたコースでした。ベストタイムは1時間28分です。
 それぞれのコースのタイムをMPS報で調べてみて、その素晴らしい記録に驚いてしまいました。ハーフマラソンの距離は箱根大学駅伝の小田原中継所〜平塚中継所とほぼ同じです。マラソンで有力な大学の特に速い長距離走者でも、1時間5分から10分で走ります。当時のMPSの中学生は、何も練習などせず、いきなりそれほどの長距離を1時間30分前後で走ってしまうのですから、当時の塾生のチャレンジ精神は凄いものがありました。

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