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第四回 『卒業旅行』その1


業旅行だけは三宅先生の一存で決定されていたようです。中学3年間の生活をMPS的主観から振り返り、及第点の学年を卒業旅行に連れて行かれたようです。MPSのモットーであった『心、知、体のバランスのとれた人間』に近づけるよう、全体として頑張った生徒の多い学年を連れて行かれたのではないでしょうか。決してトップ校に何人合格できたとかのレベルの話ではないと思います。電車を乗り継いで遠くまで引率するわけですから、普段の授業態度から、素直に聞く耳を持つか、行動力はあるか、自制心は働くかなどを総合的に判断され、決定されたのではないでしょうか。あの恐怖の『減点』の多少も関係あったかもしれません。興味深いデータがあります。中3の時にキャンプが中止になった学年は、卒業旅行も中止になっていることが多いです。
 そのようなことで、中学生活最後の楽しい思いで作りとしての卒業旅行は、2泊3日か3泊4日の行程で、’75〜’90までの計12回行われました。第1回は会津若松、それ以降は、現在では世界遺産に登録されている南紀、熊野地方へ行っています。’85には男性の不甲斐なさから女生徒7名だけを引率して倉敷・神戸に行ったことがあります。はっきりしたデータは残っていませんが、最少参加人数は’76の6名。最多参加人数は’84の20名です。卒業旅行に行った塾生は計154名(男子91名、女子63名)となります。まさに選ばれし卒業生のみの行事です。
 この卒業旅行は中3だけの特別行事であり、当然のことですが、基本的に一度しか参加できません。例外的にHさん(’69生まれ)のように現役時代に行けず、スタッフとして同行でき、夢が叶ったと喜んでいた人もいます。Iさん(’59生まれ)とNさん(’62生まれ)だけがスタッフとして2回同行し、計3回行っています。年度によって、行程も多少異なり、旅行中の雰囲気も違っていたようです。そんな中、陸の孤島と言われている南紀・熊野路を、三宅先生だけが10回行っているわけです。そこでこのサマリー(summary)を書くにあたり、先生に思い出を聞いてみましたら、キャンプ以上に想い出が残っているようでした。『キャンプは休む暇もなく、忙しく毎日のスケジュールに追われている日々であったが、卒業旅行はずっと生徒と行動をともにでき、私自身も楽しかった。』と、言われていました。旅行中の生徒たちの面白い話もいろいろ聞かせてもらいましたが、ここでは長くなるので割愛させてもらいます。
 最後に、南紀卒業旅行のエキスを集めた唄を先生に作ってもらいました。
『鈍行列車で大阪へ。今流東海道53駅。天王寺駅から夜汽車に乗って。椅子の下からスチーム暖房。一睡もできずにちんちろりん。朝日が眩しい鬼が城。新宮駅では目張り寿司。バスに揺られて熊野路へ。何だ!あの長い吊り橋は。熊野大社をお参りし。国民宿舎でTVゲーム。あー1日の長いこと。本州最南端は潮の岬。地球は丸いと実感し。ウォータージェットで瀞峡へ。那智の滝は日本一。鯨博物館でフリッパー。鯨の○ン○はでか過ぎる。帰路は松坂駅で途中下車。本居宣長のモノホン古事記伝。松坂牛は美味かった。』

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