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心 その19・日本国の足跡と日本人の性格  ESPECIAL ! 

§4 文字の進化

類の進化には、文字の使用がとても大きなエポック・メイキングになっていると考えています。時代ごとの様子を後世に残すためには、先人の文字を媒体にした記録が必要です。しかし残念なことに、倭の国は独自の文字を創作することはできず、紀元前3世紀頃に中国から漢字が伝来してきて、初めて文字というものを知るようになったと言われています。当然、3世紀以前に日本に関する自国の書物、記録の類は一切存在していません。それ故、考古学者、古代歴史学者の研究対象は地道に物的証拠集めをし、人類が残した遺跡や遺物などの過去の痕跡から、その生活様式や変化を考察するしかありませんでした。数十年前までは、出土した土器などは、器の厚さ、脆さ、模様や細工などによって、たとえばAとBの2種の土器を比べて、こちらのが技術のレベルが高いということで、「こちらのが新しい土器である」と、決定されていました。科学的証明というより、学者の経験、知識で推測されていて、時代・年代をピンポイントで特定することは難しいことでした。
 しかし、1970年代後半に20世紀の人類の発明の中でも、最も重要なもののひとつと言われている「年代測定法」が開発されました。それは「放射性炭素年代測定」と言われ、自然の生物圏内において放射性同位体である炭素14 (14C) の存在比率が1兆個につき1個のレベルと一定であることを基にした年代測定方法です。難しい説明になりますが、簡単に解説しますと、大気中に一定の濃度で含まれている炭素14が生物体にほぼ同濃度で取り込まれ、生物体が死ぬと、その半減期に従って減り続けるので、試料中の炭素14の量を調べると、その生物の生存年代が判るという検査です。現在では、この発明は過去数万年から現代にいたるまでの地球、そして人類、生命体の歴史を解明するには、不可欠なものになっています。また、この20年の先端科学技術、特にコンピュータの加速度的な進化のお陰で、光学電子顕微鏡でDNAの解析や、採集、採取した残滓(ざんし・意味は「残りカス」)も特定することができるようになっています。
 少し寄り道をしました。「文字」の話に戻ります。冒頭で述べましたように、倭人が初めて「文字」というものに接したのは、今から2,300年ほど前の紀元前3世紀に、中国大陸から伝えられた漢字ですが、その漢字の中から自分たちの言葉の「音(オン)」を同じ意味をもつ漢字を借用することで、ものごとを書き表せるようになりました。しかし、もともと中国の言葉を表す漢字だけでは、日本の言葉を十分に書き記すことができません。そこで、漢字を本来の意味とは切り離して、その音だけを借りることにし、使われ始めたのが「万葉仮名」です。

漢字から平仮名への変化


万葉集の歌(「銀」「金」「玉」以外は万葉仮名)


平仮名の成り立ち

 文字には「表意文字」と「表音文字」とに分けられ、表意文字の一つ一つの文字には、その形に至った意味を持ち、目に見える具象物は似た形状を、心情、性質などの抽象的概念も何かしらの意図を持って形作られていますので、その文字の本来の意味を知ることができます。聞き手側も、伝えたい内容を理解しやすくなります。表意文字の最古の文字はシュメール文字と言われていて、エジプトの象形文字、中国の漢字もその仲間になります。
 表音文字は、音標文字とも言われ、一つ一つの文字が意味を持たず、音素または音節を表す文字のことを言います。漢字は意味を形にした文字なので、正確な読み方は分からなくても、漢字の「つくり」や「へん」を見れば、ある程度のイメージが頭に浮かびます。一方、表音文字は音声を媒介として意味を伝える文字のことで、アルファベット文字を用いる英語などがその代表例として挙げることができます。飛鳥時代頃まで日本には中国渡来の漢字しか文字がありませんでしたので、日本語は当初、全て漢文で書かれていました。しかし、これはとても難易度が高く、一音一音を漢字の読みを借りてきて表すように変化していきます。この「万葉仮名」がいつ考え出されたかについては、詳しいことはわかっていませんが、7世紀頃であろうと言われています。
 漢字を利用する上で、もう一つ問題がありました。それは、画数が多く、書くのが大変なことでしたので、字形を省略しようという発想が生まれました。漢字の誕生国である中国でさえも、本来の漢字が書くのに面倒臭いということから、1960年代から「簡体字」という新しい字体に替えたくらいですから、当時の日本人も似たようなことを考えたのでしょう。漢字の画数の多さから、漢字の一部分を取り出して「カタカナ」に、また、漢字全体を流線状の総書体にして「ひらがな」を作り出しました。
 吉備真備が「片仮名」を作ったという説がありますが、これは俗説のようです。漢字の一部だけを使い、その文字の代わりとして用いるようになったのは、7世紀中頃から見られますが、一方、片仮名の起源は9世紀初めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するために、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略化し付記したものに始まると考えられています。この借字は当初、経典の行間の余白などに「ヲコト点(漢文の文字の周囲に付けられ、読み下しの際に、どのように訓読したらよいかを指示するための補助記号のこと)」として使われていましたが、小さく素早く記す必要から字形の省略・簡化が進み、現在の片仮名の原型となり、ヲコト点に成り代わって盛んに訓読に利用されるようになりました。片仮名はその発生の由来から、僧侶や博士家(平安以降、大学寮などにおける博士の職を世襲した家柄)などによって、漢字の音や和訓を注記するために使われることが多く、ごく初期から漢字仮名交り文に用いられていた例も見られます。
 後には歌集や物語をはじめ、一般社会の日常の筆記にも使用範囲が広がりました。漢字の草書体のような流線的に書かれた「平仮名文字」の方のが、美的価値を持つようになっていきます。貴族社会における平仮名は私的な場、あるいは女性によって用いられるものとされ、女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌や消息(手紙)などには性別を問わず平仮名が用いられるようになり、「女手(おんなで)」とも呼ばれ、平安時代の貴族の女性は、大和言葉を用いた平仮名を使って多くの作品を残しました。当初は字体に個人差・集団差が大きく、10世紀中頃までは異体字が多く見られ、時代を経るに従って字体の整理が進み、12世紀には現在に近い数になりました。
 自国にはない文字を始めて目にした倭人は、独自に改良を進め、漢字からカタカナやひらがなを作りだしました。自分たちが使いやすいように、先人たちは長い時間をかけて作り出しました。世界の他の国を見ても、日常的に3種類もの文字を使いこなしている国はありません。複数の文字を学ばなければいけない外国人からすると、「日本語は難しい」という気持ちになるのでしょう。現代では、漢字、平仮名、片仮名の他にも、アルファベットでローマ字で表現したり、周知されている英語まで日本語の中に混じって書かれている文章もよく見かけます。しかも、漢字、平仮名、片仮名、ローマ字、英語を、ちゃんと使用する文字を正しく使い分けています。日本人の語学力は凄いと思います。
 生まれた時から日本語で育っていると、漢字、ひらがな、カタカナを、成長過程の中であまり気にしたこともなく当たり前と思っていましたが、日本国民にとって、この文字の多様性は、歴史、体制、風土(島国であること、四季があることなど)とともに、日本人の性格形成に多大な影響を与え続けてきたと考えています。他国との文化と比べてみても、日本には建築、文学、音楽、美術、工芸、建築など、独自の伝統的文化が多くあります。この土台となっているのは、秩序・倫理の「心」であると考えています。他にも、世界の言語の中でも珍しい、謙譲語、尊敬語、丁寧語という表現方法もあります。これらも、日本人の「心」の具象化の表れでしょう。

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