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心 その14・心の具象があなたの人生  ESPECIAL !

然のことですが、人は誰でも幸せな人生を送りたいと考えています。しかし、自分一人では幸せにはなれません。そのためには、愛する人は勿論、世界の人々が幸せで、争いのない平和な社会が基盤であることは必須です。時代とともに人類は狡賢くなり、嘘を巧みに使い分けることを知るようになりました。突発性激情、過度の自我意識、甚だしい常識欠如の人間も多くなりました。貧富格差から来る不快感を抱いて生きている人や、社会規範を守れない人も多くなりました。
 これらのことは社会通念や一般常識の欠如からの犯罪やトラブルの多発などで裏付けられます。科学技術の進化によって利便化した社会になり、日常生活の中で面倒なことをしなくなったり、立ち止まって考えるということをしなくなったことも一因に挙げられます。幸せな人生は、これまで述べてきたように、その人の「心」の在り様で決定されることが多いと考えています。「類は友を呼ぶ」という諺がありますが、確率的に、優しい心を持った人には、幸せをもたらしてくれる人が、自分勝手な人には、争い事や不幸の種を持ち込む人が、身の回りや目の前に多く現れるだろうと、70年生きてきた経験から考えています。
 「私利私欲」という言葉がありますが、私は「私利」と「私欲」を分けて考えています。「私利」とは、自分だけ良ければいいという私腹や私益に近い意味に捉えています。これらの言葉の裏には、他人はどうであれ、自分だけは得をしたいという、腹黒さがあります。権力志向者、名誉・肩書崇拝者、拝金主義者などに多く見かける人物像を連想します。一方、「私欲」は相手のこと、他人のことを慮る気持ちがあるという条件付きで、ある程度は許されるのではないかと思っています。どんな綺麗事を言っている人でも、誰もが「自分が一番かわいい」、「自分が一番大事」という気持ちを多かれ少なかれ抱いているものです。
 自分を犠牲にしてまで他人に奉仕する奇特な人物も、そんなに多くはいないと思っています。世相を鑑みれば、社会を動かしている政治家、公務員、大企業経営者は、社会全体を俯瞰し、より良い社会の構築のために働くべきところを、選挙対策、収賄、犯罪、利益追求、超利己的発想などに現を抜かしているのが現状です。このような傾向は地方の県・市の役人、警察官、教師、地元の有力商工業者に波及してきています。日本を動かしている人物がこのような体たらくでは、国民の心を引きつけることはできません。聖人君子、胸襟秀麗には程遠い人間である私は、マナー、モラルを逸脱しない範囲で、楽しい人生、明るい生活を求めても、ある程度のご褒美としての「私欲」は許されるのではないかと考えています。具体的に「〜をしたい」「〜を見たい」「〜に行きたい」という「I want to 〜.」の実現が、誰にとっても人生の最大の喜びだと思っているからです。自由に使えるお金の範囲で行動することを心掛けているならば、どのように使おうとその人の自由だと思っています。
 「私欲」の行動の際、独りで楽しむことにおいては、それ程の拘束はありませんが、恋愛、友情、趣味の仲間などの親しい人達との行動の際は、相手のことを慮る気持ちが必要になります。お互いが自分勝手な言動をとれば、いつか破綻します。双方が自分の欲望のためだけに相手と付き合っている姿を思い浮かべてみてください。それは喜劇でしかありません。付き合いというのは、大切に思っている人には、節度ある言動を示すことによって、より深く、より親しい関係が構築できるものです。そのためにも、「優しい心根の人間」を識別できる観察力を養うことも忘れてはいけません。同時に、あなた自身も「優しい心の人間」であることが求められます。人生の最大の幸せは遺伝子的に一番近い家族との平和、次に、長い人生の糧になってくれる友人、メンター、書物などとの邂逅です。ありのままの自分を表現できる知己の存在と、人生の先導役をしてくれた書物の存在は有難いです。
 喜びや楽しさは人生の点(dot)で、幸せは人生の線(line)と捉えています。人生は長いです。そして複雑です。心は年齢とともに変化もします。40歳(充実の時代)までの人生観は当てになりません。世界の「三大幸福論」を書いた一人である、バートランド・ラッセルは次のようなことを言っています。「人間が本当の幸福や不幸について書くためには、50年の歳月が必要になる。20代に幸福論を書き得たにしても、その著者は初老を迎えた頃に、もう一度幸福論を書き改めなくてはならないであろう。人生は皮肉なもので、幸福や不幸について一番よく考えるのは10代後半から20代にかけての時に多いのである」と。すなわち、人生を悟るには40歳代〜50歳代前半までの「苦悩の時代」までは経験不足で、語るにはまだ早すぎるということなのです。
 父親から子どもの頃に言われた言葉があります。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」「楽しみは大人になってすればいい」。この言葉を我流に解釈し、「若いうちにはいろいろな経験をしておけ」、「苦しいことや好きでないことを嫌がるな」ということを処世訓にして、大人になることを楽しみにしていました。しかし、人生は長く、成人になった頃までのことだけで、その先の老後のことまでは考えていませんでした。私なりに努力したのですが、大人になっても邪念が多く、日々の家事や仕事などの多事激務、鬱憤、不快感が続くと、何かで発散しなくてはいけません。それには、孤独、旅、これを合体させての一人旅が私には何よりもの気分転換です。我儘な人間は、自由気儘にしたいことをすることが好きなようです。まず、懐具合と相談して、次に趣味、季節を考慮し、訪れたい場所を選定するのですが、これだけでも精神状態はハイ(high)になります。決定した内容が、北海道の果てになろうと、近場の景勝地であろうと、気儘に一人旅に出かけます。
 皆さん(特に現在50歳未満)の場合、老後の人生を考察すると、一つ心配なことがあります。最近「人生100歳時代」というキャッチコピーをよく見聞きします。どこかの企業が販促のために作ったのかと思っていましたが、「人生100年時代構想会議」なるものが首相官邸で行われていて、しかも某国首相がその言葉をマイクの前でよく口にしているので、発信源が判りました。彼の国会での加計疑惑、森友学園疑惑等の腹黒い答弁を聞いていると、素直に耳に入ってくるようなことは少なく、「寝言みたいなことを言っている」と思っている国民は、かなり多いのではないでしょうか。この「人生100歳時代」というキャッチコピーにしても、「国民は働けるまで働け」という真意が隠されているように思えてなりません。どこに「人生100歳時代」を保証する科学的根拠があるのでしょうか。
 そう遠くない未来に70歳、80歳まで働かされるような時代になったら、人生を楽しもうとした時には、その年の半数以上の人が、もう肉体がヨボヨボになってしまっているでしょう。60歳代から病気になったり、耄碌してしまうことは、不摂生という自己責任も多少あるでしょうが、80歳を過ぎてから、独りで行動できるようにしておくためには、良質な遺伝子を引き継ぎ、50歳頃から「心と体」の鍛錬をしておかなければ、難しいと思っています。私の経験では、50歳を過ぎると体力、気力は年々下降していきます。30歳代、40歳代の時のようなactive & toughな行動はなかなかできません。70歳まで、健康な「心・知・体」を維持できている人はごく少数派になります。70年間、入院0、手術0の人間が言っているのですから間違いないです(笑)。
 そうなると、定期的に気晴らしや、愉しみなどをして命の洗濯(充電)をしなくてはいけません。もし私が東証1部上場企業の社長をしていて、「70歳とか75歳から年金支給」(まさに50年労働です)という時代になったら、10年以上働いた社員は、退職まで5年に一度程度、1カ月程度の命の洗濯(充電)休暇を与えます。これが本当の「働き方改革」だと思っています。生きていくためには働かなければいけませんが、ヨボヨボになるまで仕事をし続け、その挙句、人生を楽しむことができないことほど悲しいことはありません。
 余談ですが、そもそも法案名「働き方改革」はおかしな名称です。経営者側が社員をどのような条件で働いてもらうのかという法案なら、「働く」の主語は社員(労働者)なのですから、「働らかせ方改革」とすべきです。そのような名称にしたら、上から目線のような表現になってしまうので、苦肉の策としてそのように名付けられたのでしょう。働く人間それぞれに initiative を与える内容の法案名にしなければいけないはずです。こんなことを考えると、ますます政治家や役人の腹黒さを感じてしまいますので、この辺で止めておきます(笑)。
 昔の私の授業同様、今でも笑いの多い楽しい人生が好きです。喜怒哀楽の中で、「喜」と「怒」は進化している動物たちにもありますが、「哀」と「楽」は数少ない動物しかその感情を表現できません。そして、現在までの動物の進化の中で、特に「笑顔」「涙」は人間だけに与えられたものです。この笑顔と涙だけが、地球上の戦争や不仲をなくし、近隣とは仲良くすることを可能にしたのです。同時に、「言語」というこの上なく素晴らしい才能を手にしましたが、「嘘」という「欲望」を満たすための手段にもなってしまいました。自己欲望を満たすための「作り笑顔」の人も多くなっています。そうなると、笑顔は怖くもあります。言葉巧みに電話で高齢者を騙す輩や、笑顔でマニュアル化された言葉で対応する店員、営業マンなどには注意が必要です。このような人達も自分の本意、人間性を知られたくないので、差し障りのない接し方をしていると解釈しています。
 あなたの長い人生において、相手の笑顔や冗談が何の抵抗もなく受け入れられる人こそ、あなたにとっての信じられる人かもしれません。苦言や注意された時でも、そのような人には不快を感じず、むしろ素直に耳を傾けてしまうこともあります。そのような人を獲得するためには、人間観察力が必要になり、自分自身も嘘のない、飾ることのないありのままの自分を表現できる「あなた」でなくてはいけません。あなたの心の質が、そのままあなたの人生を作ります。
 人生の終りを迎えようとしている今、「人として生まれてきてよかった」と思えたらいいなと思っています。過去を振り返り、両親に「あなたの子どもとして生まれたことに感謝している」という言葉が頭に浮かぶのであれば、それは最高の親孝行であり、同時に自分の人生は幸せだったことの証しにもなります。両親の遺伝子を半分ずつ授かり、13歳までの「基礎の時代」に正しい躾と教育を授けてもらったお陰です。総じて言えることは、あなたのその時あの時の「心」が、幸、不幸を、あるいは善き人、悪しき人を呼び込み、結果的に長い人生を形作ります。運、不運もありますが、基本的にはあなたの人生は、あなたの心の具現化したものであるということを認識しておくことです。

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