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心 その8・AIから学ぶ ESPECIAL !

年の10月から「人間ってナンだ?超AI入門」という番組が、NHKTVで12回シリーズで放映されました。現在、AI(artificial intelligence 人工知能)の進化はめざましく、IT(information technology 情報技術)において、日本は世界の先進国と先を競って研究を進めています。医療、交通、製造、接待、流通などあらゆる分野において、ヒトに代わるAI化は完全実用化の一歩手前まで進んできています。しかし、五感や感情などを伴うヒトの何気ない行為や行動などを機械で再現するとなると、それは途轍もなく複雑で精妙なメカニズムが必要になります。どうしてでしょう。
 ヒトの脳には1000億個とも言われている神経細胞(ニューロン)があり、それらのニューロンは100兆個を超える樹状突起(シナプス)で接続されています。ニューロンとニューロンの接触部は枝のようになっていて、それらを繋げている物質がシナプスです。このネットワークは「ニューロンの森」と呼ばれ、ニューロン同士は1対1ではなく、複数のニューロンと繋がっていて、一つのニューロンは隣のニューロンからの電気信号を受け、一定量溜まると次のニューロンへと伝わる仕組みになっています。
 シナプスがこの森を移動していることによって、一人ひとりの記憶、思考、感覚、感情は形作られています。学習、経験などを通して蓄積された記憶を基に、ヒトは言葉を発したり、行動を起こしたりしています。AIがこれから将来に向けて更に進化していくためには、この「人間ってナンなんだ?!」という素朴な、それでいて難解な仕組みを解明する必要があります。2台の同じシステムのコンピューターに、同じ量と質のビッグテータを入力したら、当然全く同じAIになります。しかし、ヒトの場合、学習、経験をした2人の人間は、同じ「心」の人間にはなりません。それは遺伝子、生活環境が異なっているからです。一卵生双生児は、容姿だけでなく心も似通っていることを思い浮かべてもらえれば納得できると思います。
 「人間ってナンだ?超AI入門」を見続けていて、このタイトルの奥が読めました。AIを完璧なものにするためには、まず「心」の仕組みを解明しなければいけないということです。まさに「人間ってナンだ?!」ということを知る必要があるのです。AIの開発には、必ず脳科学者と開発したい分野の専門家が加わっての共同作業であるのはそのためです。
 この番組を見る前までは、古典的な命題「人間ってナンだ?」という疑問と、最先端の科学である「AI」とがどのように結び付くのか不可解でしたが、「人間って何なのか」を解明しなければ、「AI」を作れないということが判りました。面白い番組でしたが、残念なことにこの記事を読んでいる時には、すでに終了してしまっています。いつの日か再放送がありましたら、視聴してみてください。興味のある方は、BD(Blu-ray Disk)に撮って在りますので貸し出します。
 現代人の平均寿命は80数年と言われています。どんなに幸せな人生を送ったにしても、「終わり良ければ、全て良し」という格言もあるように、最期に待っているのは死です。多くの人は両親を亡くしてから、現実としての死を認識すると言われています。「次は自分の番」と、折に触れ意識する人生になります。死は誰でも未経験で迎える訳ですから、どのような形で人生を閉じるのか判りません。古稀を迎えた私が今考えていることは、日常的なことの8割以上を自分自身で対処できる健康体を少しでも長く維持させたいということだけです。貰い事故とか脳卒中のような突然の死は、できたら「避けられたらな」と願っていますが、こればかりはどうにもなりません。文字通り「突然死」ですから…。
 理想を付け加えれば、日常的な行為の1/3以上が自分の力ではできないようになってしまった時からは、逆に加速度的に身体と脳が衰弱していってくれることを望んでいます。勝手に想像していることですが、もしそのようになったなら、幼い頃からの楽しかった記憶だけが走馬灯のように次から次へと頭に浮かび、最期にはそれすらも復元できないくらいに衰弱して死を迎えることができたら、最高の安楽死ではないのかと考えているからです。
 このように考える人間には、安らかな死を迎えられるAIがあったらいいなと思います。これこそ人類にとって至高のAI(人工的に作られた人間のような知能)ということになります。しかし、残念ながらその実現はとても難しいでしょう。同じ人間でも多種多様の人間がいます。それ故、当然各人の望む安らかな死は異なってきます。まず、その人の「心」を解析するソフトウェアを作り、そのデータを基にした一人ひとりの安らかな死のソフトウェアを作らなくてはいけません。このように「心」の解明ができなければ、「心」を解析するソフトウェアも作れません。ヒトの数だけ「心」の種類があると言っても過言ではない現代社会です。当分は「心」の解明が先決になり、「安らかに命を閉じるAI」の実現は暫らく無理ということになるでしょう。
 このような夢物語を書くより、差し当たっては死の前に必ず訪れる老化現象に対処する生活を心掛けておくことのが賢明かもしれません。還暦くらいになると、50歳前後の若さを維持している人も見かけますし、逆に70歳過ぎかのようにヨタヨタしている人もいます。億劫がらずに意識して、自分の同世代の人より体を動かしていれば、体力、筋力の衰えは抑えることはできます。その実行力はあなたの性格、すなわち「心」次第ということになります。
 参考までに私の場合、体力、筋力の衰えを感じ始めたのは、50代の中頃だったと記憶しています。現在、ゴルフに関しては、コースプレーを12月〜3月を除いて年間30回前後、ゴルフ練習場通いは気の向いた時に、やはり年間30回前後しています。それから、年間300万歩行、必要に応じてバラや庭木の手入れ、朝起きたら柔軟と筋力体操を20分程度行っています。それでも、心、脳、体は確実に衰え続けています。この衰えを鈍化させるには、心には感動、脳には駆動、体には運動という刺激を日常的に与えることが、何より大切と考え実行している訳ですが、それでも悲しいことに、年々老化は進んでいきます。
 この10年間、ゴルフのクラブは同じものを使用しているのですが、体力、筋力の衰えを飛距離で数値化すると、15〜20%前後は飛ばなくなってきていて、身体の衰えは具体的に体で感じています。一方、心と脳の機能はどの程度衰えているかはっきり判りません。ただ、ゴルフをラウンドしている時でも、集中力が散漫になったり、諦めが早くなったり、一言でいえば、投げ遣りな気持ちになることが確実に多くなってきています。個人的には、こちらの衰えのが進んでいるかもしれません。
 脳の衰退も悲しいことではありますが、体力ほど気にしていません。その予防策もあまりしていません。思考回路がスムーズでなくなったり、言葉に詰まってしまったり、記憶力が低下していくことなどは、仕方のないことだと諦めています。物忘れや人の名前などが思い出せないことなどは、脳の衰退の始まりであるということをよく耳にしますが、その通りだと思います。私自身は還暦あたりからその領域に入ったと自覚しています。
 ボケ防止には、指先を使うようにすればよいとか、考えることをやめるといけないとか、TV、パソコン、スマホなどを見過ぎるといけないとか、いろいろなことが言われていますが、真偽のほどは分かりません。最近、運動することは身体のためだけでなく、脳のためにも良いという学説が生まれています。確かに、ゴルフ、ウォーキング、庭の管理など体を動かした後、脳が活性化し、脳機能が多少回復している気がします。
 これはミトコンドリアのお陰だそうです。ほとんどすべての生物(動植物や菌類など)の細胞に広く含まれているミトコンドリアは、各細胞が活動するために必要なエネルギーを生産する働きをし、人体の発電所といわれています。「脳や心が疲れたな…」と思ったら、運動するのはそれなりの効果があるそうです。特に筋肉、脳、内臓器官などの代謝の活発な細胞には、ミトコンドリアは特に重要な物質だそうです。そして読んだ本に書いてあったことですが、体内炎症が起きた時、脳内炎症になってうつ症状を引き起こすこともあるそうです(因みに、ミトコンドリアは体細胞のDNAと異なり、すべて母親のDNAを受け継いだものだそうです)。
 現代医学は科学の進化のお陰で、「認知症は、認知症の前段階がその数年前に始まっている」ことを突き止めました。この認知症の前段階のことを「軽度認知障害(MCI)」と言います。このMCIの検査は、(1)記憶力(2)注意力(3)処理速度(4)実行機能の4項目で調べるのですが、高齢者を4年間追跡調査したところ、その中の1項目だけが低いMCIだった人は、約半数が正常に戻ったと報告されています。認知症も早期発見と、認知予防を目的にした運動教室などへの参加などで、そのリスクを下げることができるらしいのです。
 調査参加者に健康意識が高い人が多かったり、最初の検査で「認知機能が低め」と言われて生活習慣を改めようとした人が多くいたことが、好結果をもたらした可能性はありますが、MCIと判定されても認知機能を維持・改善できる可能性が決して少なくないということを示したことは、高齢者への朗報です。また、食事のバランスが良く、活動的で運動習慣のある人の方がリスクを減らせる可能性が高いとも言われています。高度の認知症になりやすい人は、脳と体力の衰退から始まり、老化進行の速度は生活習慣の違いによって大きく変わってくるようです。
 老後の残された作業の一つに「生前整理」という言葉があります。最近では、老後を快適に暮らすために、年齢を重ねて体が動かなくなる前の50代の頃から始める「老前整理」という言葉があり、身の回りのモノを見直す人が多くいるようです。「断・捨・離」という言葉は冷たい響きで個人的には好きではありませんが、物を整理する作業は体力や気力を必要とし、そのような意識を持つことは、遺族への心遣いだけでなく、自分自身の老化予防のためにもなり、「健全な心・知・体」を長く維持させる手段にもなります。私は10年遅かったような気がしています(笑)。
 いずれにせよ、物臭(ものぐさ)人間は心身ともに良くなく、体力の衰退速度は、その後の脳や性格などにも大きな影響を与えるようです。認知症が重症化していくかどうかは、還暦を過ぎた頃からの「心」の在り様で決定されます。心と体の健康、すなわち心と体の両輪が円滑に回転していれば、死の直前まで人生という旅を、長く、明るく、楽しくすることができると信じ、これからの余生を自分なりにpositiveに暮らしていこうと考えています。

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