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心 その6・人生は心が決定する(下) ESPECIAL !

暦を過ぎたあたりから、幼児から小学生頃のことが自然発生的に頭に浮かんでくるようになりました。このことは私の職業と関係しているようで、授業の合間などに自分の子ども時代の話をしたりしていたので、普通の人よりも思い出す機会が多く、より深く脳裏に刻まれていたからだと思っています。4年前に初孫が誕生しました。男子です。それまで私の直系家族は一人の妹と二人の娘で、年下の男子はいませんでした。私の遺伝子を継いだ男子はどんな子なのだろうと考えたこともあります。長女はその孫を連れて小田原によく帰って来てますので、そのたびに自分の子供の頃を思い出しては、比較しながら孫を観察しています。
 年老いてからは日々の生活にも余裕ができ、孫の言動をじっくり観察することができます。幼児の成長はとても速く、毎回新鮮な発見をしています。民法上は祖父と孫との関係は2親等になり、医学的には1/4の遺伝子を継承している直系になりますが、孫と会う頻度は2カ月に1、2度くらいで、ちょうどいい間隔と思っています。そして小田原に滞在している間は、私なりに厳しく接しているつもりでいます。「親バカは仕方ないにしても、バカ親になってはいけない」と、世間でよく言われていますが、その考えには同感で、ジジーバカにならないように接しています。
 二人の娘は1978年と85年生まれですが、87年〜90年はバブル景気の全盛期で、長女は小学生、次女は幼児期の頃で、私は脱サラして、塾経営をして10数年経過した頃でした。日本国民は総銭ゲバ人間になり、「地上げ」・「土地転がし」・「株、絵画、骨董品などの投資」などに現を抜かし、株価が40,000円近くまで上昇した時でした。私も時代に乗り遅れまいとよく働きましたが、それ以上によく遊びもしました。海外旅行にもよく行きましたし、ゴルフを本格的に始めたのもこの頃からです。女房の子育てを見ていて、一般的な日常家事に加え、母乳を与え、おしめを取り換え、病気になったらその対応に追われ、大変だという気持ちはありましたが、その当時の私は悲しいことに人格形成が完熟しておらず、手伝うことをあまりしませんでした。
 10年程前から、「イクメン」という言葉がよく使われるようになりましたが、その頃には二人の娘はすでに大きくなっていました。「イクメン」の本来の意味は、積極的に女性を助け、子育てを楽しむ男性を指す言葉のようですが、育児する男性というよりは、むしろ「育児休暇を申請する」「育児を趣味と言ってはばからない」程度の意味合いが強く、実際には、育児に積極的に参加できていなくても、将来的にそうありたいと願う男性も含まれているようです。しかし、2016年度の男性の育児休業取得率はたった3%だったそうで、第一次産業従事者、自営業者、中小企業に勤めている人にとっては、仕事内容や職場の空気から、簡単に長期にわたって仕事を休むという環境では未だにありません。
 しかし、しかしです。子育て、特に心の成長のためには、1歳から1歳半までは、両親で協力して世話をし、成長していく姿を観察することを勧めます。育児休暇が取得できないなら、子どもが2歳になるまでは残業時間を減らすように努力するとか、自分の趣味や遊びを我慢できる範囲で減らす努力をすべきです。そのように心掛けたら、子供の健やかな成長も期待できますし、あなた自身も将来、子供のことで苦労することが少なくなるはずです。
 最近では、0歳児保育園まであるそうで、そのように生まれてすぐに保育園に預けるなんてかわいそう…、そんな声をよく耳にすることがあります。ネット上での意見は、やはりmeritsよりdemeritsの方が多く書かれています。専業主婦の女性は昔に比べるとかなり少なくなりました。どうしても仕事を続けながら子育てをしなければならない母親の最後の手段は、祖父母に頼むことです。できれば母方の祖父母に頼めればbetterです。これはゴルフを通して親しくなった知人(15歳年上の男性)から聞いた話ですが、「3人の子供たちを見ていると、子育ては母系家庭の教育方針が継承される」というのです。ゴルフプレー中に何気ない会話の際に言われた言葉ですが、なぜか今でもしっかり覚えています。そしてその通りだと思っています。
 言葉を話したり、感情を表現できるようになった時、その子の持って生まれた性格を一番理解できるのは、その子の遺伝子の1/2を持っている父親と母親ということになりますが、現在では3世代がひとつ屋根の下で暮らしたり、同じ敷地内に住むということは少なくなりました。そうなると、次の理解者は同じ遺伝子の1/4を持っている祖父母ということになります。幸い、私の場合は同じ敷地内に両親が住んでいましたので、ダメ親父の代わりに祖父母(私の両親)が娘二人の世話をしてくれました。特に私の母親は道徳的な事をよく教えてくれていました。現在30代になっている娘二人は、今でも時々祖父母のことを懐かしそうに思い出してくれています。両親には私だけなく娘二人まで面倒を見てもらい、感謝感謝です。
 3歳か4歳になると、いよいよ集団生活が始まりますが、小学校卒業くらいまでは、日常的観察は続けなければいけません。主体性や行動力を身に付けさせることが必要になり、少しずつ距離間を考慮した接し方になります。現代は社会の変遷スピードも情報の量も、私やあなた方の時代とは雲泥の差があります。TVの低俗番組、ネットなどの言いたい放題の書き込みなど、愚劣情報過多の時代です。社会をよくすべき職業であるはずの学校の先生や警察官をはじめとする公務員の犯罪も多くなり、更に、振り込め詐欺、ロードレイジ、弱者虐待などの逆上人間、モラル欠陥人間の事件は毎日のように報道されています。
 この文章執筆中の今日、「座間9遺体遺棄事件」のニュースが飛び込んできました。10年前までは18歳未満の性犯罪被害者は出会い系サイトを媒体としていましたが、'08年に18歳未満の利用が禁止され、業者に利用者の年齢確認が義務付けられたため、1/20に激減しました。しかし、このような悪事を働く歪んだというか、屈折したというか、「腐りきった脳」は、別の手段を考えます。それがSNSなどの交流サイトを媒体とした今回の事件です。ソーシャルネットワーク絡みの性犯罪被害者は、この10年間で年間2倍以上の2000人と激増しているそうです。現代社会の趨勢を認識し、日常的に家庭内での会話の機会を多く作り、「世の中にはワケのわからない人がたくさんいるんだ」ということを、子どもたちに分かるように話してあげることも必要な時代になってきています。
 生命の進化を考えた時、生物は分化し続けて進化してきたわけですから、ヒトの思考や行動パターンも時代とともに範囲を広げ、同じヒトの「心」でもお互いに理解できないところまで、いつかは拡大していくのではないかと、30歳になる前から中学生を教えていて考えていました。年々、中学生の個性は多様化し続けてきて、半世紀近く生きてきた現在、それが証明されました(笑)。「昔はよかった」という言葉をよく耳にしますが、これは懐かしく思い出されて言ってる部分もあるでしょうが、一般庶民の思考回路では「理解不能な人間」が増えてきたという思いが、きっと心の奥にあるからではないかと、一老人として考えてしまいます。
 この時期(10歳〜15歳)に大切なことをもう一つ加えます。それは「主観」と「客観」のバランスの意識です。誰だって自分のことを一番に考えますし、楽しいことをしたいです。好きな人や、一緒にいて楽しい人と会話したり、行動を共にしたいです。幼い頃はどうしても、そのことしか考えません。それはごく自然のことですが、相手のこと、周りのことを少しずつ考えるようになることは、将来的に本人にとっても素晴らしい「心」創りの土台になると思います。子どもが幼い頃から、世界や日本のことを考えることは無理ですから、仲良しの人、身の周りにいる人、クラスのこと、隣近所のことなど、小さな社会のことから考える習慣を身に付けさせることを勧めます。
 子どもは中学生くらいになると、一端の大人のような顔をし、家族との一定の距離間を維持しようとします。親が子供を観察、指導できるのはこの辺りまでです。基本的にはこの傾向は歓迎すべきことです。自立心の萌芽がなく親離れできずにいる子どもは、逆の側面で心配になります。その時点までにどのような「心」の持ち主になっているか、すなわち中学生くらいの頃の心の在り様が、性格、言動、価値観を決定し、その後の人生の歩みを決定する試金石なると思っています。
 子どもたちを50年間観察してきて、中学生の時分から、この子は素晴らしいと思われる子どもは1割くらいいました。逆にこれは酷すぎる、これからの人生苦労するだろうなと思う子どもも1割くらいいました。残りの8割の子ども(ということは大部分の子供)は、これから先どのように変容していくのか分かりませんでした。良くも悪くも、彼or彼女のそれまでの心を土台にした、その後の生活態度、交友関係、メンターに係ってきます。年に2回、保護者との20分程度の個人面談を持ちましたが、忌憚のない話をするなら、素晴らしい子どもは保護者も素晴らしいです。一方、こんな心のまま大人になってしまったら心配だと思う生徒の保護者は、然もありないという空気を持っていました。
 昔の人には、子どもはどのようにして生まれてくるのかという科学的知識も、どのように子どもを育てていくべきかというhow to ものの本なども勿論ありませんでした。しかも、「親を見れば、その子が判る。子を見れば、その親が判る」という、あまりにも有名な格言を残しています。どうしてそのようなことが分かったのでしょう。昔の親は「遺伝子」などという言葉を知らなくても、両親からの「心」を継承して生きていたからだと思っています。親からの愛情とスキンシップ、そして自らの見聞と経験しか「心」を成長させる術はなかったのです。
 15歳までにうまく「心」を成長させることができなかった8割の子供たちはどのようにしたら、人として、社会の一員として、これから心を成長させていくことができるのでしょう。第1にまず、それまでの10数年間の両親の愛情が、心の襞に付着していなくてはいけません。そして、親に叱られたこと、注意された言葉などが心の中に残っていなければいけません。このような子どもは、過去のそのような場景や言葉をずっと気にしていたので、ちゃんと記憶していたということです。幼い頃の反抗した態度も、理解できなかった言葉も、感謝の気持ちに変化したということであり、15歳前後を過ぎてからでも、このような子どもたちの心は徐々に成長していきます。ここに一人、模範例ではないですが、成功例がいます。

★ここで「心」の概念のreviewをしておきます★
 我々の心は感覚系を介して外界からの入力を受けています。一方、「記憶の想起」のようなものは内部からの入力になります。中枢系はこのような身体内外の状況に判定を下し、運動・自律系に出力します。これにより、「思考」「行動」「情動」「学習」「生理」といった結果が生み出されます。近年、生理学的構造と対応しない現象として、「意識」が加えられています。現在では、「心」の概念はこのように認識されています。

 誕生した時の脳や脊髄の中枢神経が、5歳前後までの家庭を中心とした環境や両親の的確な指導、あるいは恩師やメンターなどと邂逅し説諭された言葉などと巧くマッチングすることが一番幸せですが、その愛情を心の隅にちゃんと記憶している人は、個性の根幹はしっかりと形成されている訳で、私自身の過去を顧みても、年齢を重ねて18歳〜20歳になってからでも心の成長はあり得ると考えています。しかし、成人してからは余程のことがない限り、価値観、人生観を大きく転換することはかなり難しく、変化するにしても、悲しみ、挫折、裏切りなどのショックによる負の変化も多くあります。それらのことに負けない気概も必要です。
 子どもが幼い時は、あなた自身も若く、毎日の家事に追われ、心について考える暇もしなかったと思います。子どもに対して後悔している点もあるかもしれませんが、多くの人間も同じようなことを考えています。もし孫が誕生した時、あなた自身も高齢者になっていて、私のように罪滅ぼしということではないですが、子どもにはしてあげられなかった分まで、祖父母として孫との接し方を客観的に観察し、それとはなく上手に指導してあげてください。これが「心」その4(2)の、「この文章を読んでくれている卒業生はおそらく40歳以上の人たちで、『今頃読んでも、何の役にも立たない(もう子どもたちは、とうにその年齢を過ぎているから)』」に関しての、私の伝えたかったことです。

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