三宅学習塾OB会 > トップ > 狂育原論 > 心 その3・変遷と発達を考察する(上) 


心 その3・変遷と発達を考察する(上)

たり前のことですが、突然変異が起こらなければ実子である子供は、その生産者である父母の所有する遺伝子の範疇の形質を持って生まれます。一組の父母と、その遺伝子を継承する子どもと、そして同じ空間に9人の無作為に選んだ子どもの計10人を並べ、どの子どもがその両親の実子であるかを言い当てることは、目の大きさ、鼻の形、体型など、ビジュアル的ないくつもの特徴を判断材料として、かなりの高い確率で可能だと思っています。
 両親やその血筋にガン、脳卒中、心臓病などを患った人がいると、その子孫も同じ病気に罹る確率が高いことは医学的にも証明されています。そう考えると、外見、健康面だけでなく、当然、性格や種々の能力など、内面的にも子供は親に似た形質を持って生まれることは容易に推測できます。
 新しい生命は有性生殖では配偶子の接合(受精)によって誕生します。その際、その2本の相同染色体のうち、父方、母方の染色体のどちらかが配偶子に引き継がれるかによって、多様な配偶子が形成されます。そうでなければ、受精のたびに子の染色体数は親の2倍になってしまい、種として決まっている染色体数を維持できなくなります。そこで、配偶子の染色体数を半分ずつにし、受精をしても親と変わらぬ本来の本数になる仕組みになっています。
 この程度のことは高校生物の時間に「減数分裂における相同染色体の分離」という分野で学習します。ヒトの場合、46本の染色体(23対の相同染色体)を持っているので、片方の親の染色体分配パターンは2の23乗種類。従って生まれてくる子の染色体は、両親からの2の23乗×2の23乗という天文学的数字の組合せになります(乗換えとか組み換えと言われている仕組みまでも考量して数値化すると、実際には無限大〈∞〉近くなります)。親子間以上に兄弟姉妹がそれ以上に似ていないことはこの理由からです。このように親の遺伝子の1/2ずつといっても、父親、母親のどの部分のDNAを授かってこの世に存在するようになるのかは誰にも分かりません。
  『血を分けた親子』という言葉がありますが、妊娠によって母親の血液は胎盤まで、子の血液は臍帯(せいたい、へその緒)を経由して胎盤まで達ますが、胎盤で両血液が混ざることはありません。つまり、母子は血を分け合ってはいないのです。それは、A型の母親からO型の子供が生まれることでも明らかで、もちろん父子が血を分けることもなく、ましてや兄弟姉妹が血を分けあっているることもあり得ません。したがって、進化しつつある現代医学では『血を分けた親子とか兄弟』という表現はおかしな表現なのです。『2の46乗分の1の確率で両親の遺伝子を1/2 ずつ引き継いた子ども』というのが、正しい表現ということになります。味気ない言葉ですが…。しかし、文頭に書きましたように、それでも他人と対比したら親子はやはり似ているのです。
 それにしても、私が中・高生だった頃の半世紀前に比べたら、医学は科学技術の発達(ITなどの進化)のお陰で、驚異的な進歩をしてきました。遺伝子の解析は日進月歩で、半世紀もしたらほとんどのことが解明されているかもしれません。しかし、現代医学ではその遺伝子の選択はできません。仮に将来できるようになったにしても、死の尊厳と同様、生命誕生の崇高を考える時、人道的問題が議論されることになるでしょう。
 元来、科学は得意の分野ではありませんので、書物やネットを参考にして、私なりに理解しようとしたのですが、果たしてどこまで理解できたのか、またその理解が正しいものなのかも分かりません。生物学系の教授をしている卒業生に監修してもらいましたが、おそらく多くの人にとっては、ど素人の文章は難解であると察しています。お許しください。にもかかわらず敢えてこの文章を書いたのは、「心」の原点は父親、母親の遺伝子の1/2ずつを授かることにあり、その部分を省略する訳にはいかなかったからです。どのような、理由、動機があったにせよ、命の誕生は少なくてもヒトにおいては14歳(基礎の時代)までは、親の責任が付いて回ると思っています。
 子どもの心の歪みを社会の責任にする人もいますが、同じ土地、同じ環境で生活していても、多種多様の人格が形成されます。最近、日本でも多くの外国人観光客を目にするようになり、社会規範の貧しい国々(具体的な国名は、あなたの頭に浮かんだ国です)の人々のマナーやモラルの低さを見て、確かに人種の遺伝子、国全体の政治、行政の在り方も重要であると感じています。しかしそれでも、根本的にはやはりその責任は生産者にあると思っています。
 健全な「心」の成長に学歴の有無、貧富の差は関係ありません。各個人には自由と尊厳という基本的人権が与えられています。自分の子どもを溺愛するも放任するも親の自由ですが、同時に最低限、他人も同等の権利を有しているということだけは教えなくてはいけません。昔の人は「自分がされて嬉しいことを人にし、自分がされたくないことを決して人にしてはいけない」という、とても分かり易い素晴らしい言葉を残してくれています。
 あなたの人生ですから、あなたの好きなように生きて行くのは自由です。しかし、あなたの行動が、社会や他の人に悲しみ、苦しみを与えていないかということを、同時に考えなければいけません。そうであるならば、実子をそのようなことをしないヒトに育てることが、親の当然の責務と考える訳です。次号の(下)では子どもが誕生してから、自我に目覚め、13歳までの「基礎の時代」を中心に述べてみたいと思っています。

【遺伝に関する参考画像と参考説明文】


 すべての生物は細胞から成り立っています。ヒトの場合、成人の細胞の数は長いこと「およそ60兆個」(画像の中でも)と言われてきましたが、実際は60兆個よりもかなり少ない「37兆2000億個」ということが、2013年末頃に論文に載りました。それ以降は学術的にはこの数値が取り上げられているようです。60兆のうち、3分の1の20兆くらいは赤血球です。赤血球は核がなく細胞としてはとても特殊なものなので、それを除いているのではないかという説もあります。確かにそれを加えると、それまでの60兆個近くになります。
 細胞の中には核が入っています。核は核膜、核液、染色体からできていて、染色体はDNAとタンパク質からできています。このDNAのことを遺伝子といいます。遺伝子情報の本体をなしている部分ですが、それ以外にも自己増殖できること、外部環境の変化に対応して体内環境の状態を一定に保つ仕組みがあること、また生命活動にエネルギーを利用することなどが挙げられます。
 DNA分子(正式名称はデオキシリボ核酸)には4種類の塩基(アデニン、チミン、グアニン、シトシン)があり、この塩基の並び方が生物の形質を決定する設計図になります。この並び方が生物の形などを決定し、ゲノムと遺伝子は似たようなものですが、ゲノムはその生物が持つ全てのDNAのことで、遺伝子は実際に働いているDNAのことのようです。DNAには遺伝子情報を持っている部分と、持っていない部分が存在し、一般的には遺伝子情報を持っている一部(領域)のことを遺伝子と言っているようです。

住 所
〒250-0034 小田原市板橋647番地 三宅学習塾OB会事務局
事務局への投稿などはこちらへ
三宅先生への連絡などはこちらへ