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心 その2・歴史

「心」の概念はいつ頃からあったのでしょう。それを現代に生きる私たちが知るためには、文字で残っていなければ知り得ません。高校世界史の教科書に載っていたように、シュメールの楔形文字と中国の甲骨文字が一番古く、今日知られている世界の文字体系の殆んどは、そのどちらかの流れから発達した文字であると言われています。
 しかし、その成立時期に関しては、専門家によって意見が分かれています。文字というよりまだ記号や絵文字に近い時代、その記号が変化しながら1000語程度の文字になった時代、あるいは文章という形まで実用化した時代など、その基準をどこに置くかによって、成立期に約3000年もの差が生じてしまいます。後世の人々が理解し得る文章という形で残されている段階を文字成立の時期とするならば、紀元前3000年頃となります。
 この頃は、ちょうど世界の四大文明の始まりと合致します。メソポタミア文明の担い手はシュメール人でした。シュメール文字、金属精錬、灌漑農業、天文学(太陰暦)、数学(60進法)などの多くの技術・学問を身に付けましたが、特質すべきは人工的な多層段丘「ジッグラド」の頂上に神殿を造ったことです。この頃から、貧富の差は大きくなり、奴隷制度は始まり、隣国との争いは絶え間なく行われていたと考えられます。
 この頃にはまだ心という具体的な概念はなかったにしても、家族的な生活から村のような小さな集団生活に変遷し、ヒトの心は大きく発展したと考えられます。毎日ウマやウシのように奴隷として働いていたヒトたちが、同じ人間であっても丘の上の大きな神殿に住むヒトを見上げながら何を考えたでしょう。根拠のない個人的な憶測ですが、この辺りから心の歪みが大きく生じ始めました。嘘、裏切り、物欲などの自己中心的発想を生きていくための手段とし、貧富などの格差の広がり、戦争などの常態化、技術の進化などに比例して、現代まで徐々にヒトの心は社会規範から逸脱した心を持つようになったと考えています。
 イソップの寓話を御存じでしょう。日本ではイソップ童話という名でよく知られています。寓話とは、登場する動物の対話、行動などの例を借りて、深刻な内容を持つ処世訓を印象深く読者に訴える物語を言います(三省堂国語辞典より)。この寓話は紀元前6世紀にアイソーボスという奴隷が作ったと言われていますが、それ以前から伝承されてきた古代メソポタミアからの寓話も多く含まれているようです。
 そのイソップの寓話集の中には、「オオカミと少年」「金の斧」「ガチョウと黄金の玉子」「ウサギとカメ」「アリとハト」「アリとキリギリス」「北風と太陽」など、約300編もの短編があります。私はもう10前後の物語くらいしか今では思い出せませんが、驚くべきことは、既に2500年以上前に「心」の正しい在り方についての物語があったということです。「嘘はいけない」、「欲張りはいけない」、「情けは人の為ならず」、「慢心の戒め」など、現代にも十分参考になる教訓がこのような形であったということは、既に当時のヒトの心は十人十色であったことが推測できます。
 学問として「心」が考察されるようになったのも同時代の古代ギリシャの哲学者、プラトン、その弟子アリストテレスの時代からで、心がどこにあるのか考えていたようです。特にプラトンは紀元前4世紀に、心とは理性、感情、欲望の3つの要素を指し、理性は頭、感情は心臓、欲望は肝臓が掌っていると考えました。心という認識を持つということは、同時にそれが身体のどこにあるのか、どこで作られているのかを考えなければ学問にはなりません。なぜなら、どこにあるのか判らなければ、「心」の研究はできないからです。
 日本では、三大随筆の一つで14世紀前半に書かれたと言われている、兼好法師の「徒然草」があります。清少納言の「枕草子」は貴族社会や自然美を述べている「をかし」だけの世界。鴨長明の「方丈記」は人生観や無常観を並べているだけの世界観。それらに比べると、「徒然草」は現代人にも通用する、独自の持論や趣向なども幅広く述べられており、観察眼に優れ、日本人として最初の「心」に関する随筆を書いた人物かもしれません。この「徒然草」は、大人になって読むほうのが面白さが味わえると思います。
 そして中世になると、世界では17世紀に近代哲学の祖と言われているデカルトが現れ、「心の座は脳にあり」と説きました。ただし心=脳ではなく、心は脳から独立した松果体にあり、その松果体の中にいる小人(こびと)の思考、意志が、私たちを操作しているとしました。しかし、その小人の思考、意志は何によって操作され、どこから来るのかということになると、その小人の中にいるもっと小さな小人ということになり、その理論は結局無限に続いてしまい、このような理論はホムンクルスと呼ばれています。
 そして今日では、それまでの研究成果を基に、おそらく心は脳のどこかにあると仮定して研究を進めています。その研究はIT技術の加速度的進歩のお陰で、脳波スキゃンのハードウェア―が開発され、微弱電気を可視化できるようになり、心の役割の重要な一つである意思が生まれる時、脳はどのような活動をしているかの研究も始まっています。意識に関わる理論が既にあるそうで、その数式は何を表わしているのかチンプンカンプンですので省略しますが、要するに、意識の量は神経細胞の数とその繋がり(ネットワーク)の複雑さにあるということらしいです。それぞれに特別の機能を持つ脳の中にあるいろいろな部位が一つになって意思、思考などが生まれているようです。
 人工知能(AI)は、膨大な知識やルールなどを人間が全て教え込むプログラミングの必要があり、現実社会に通用するレベルにはなかなか近づけずにいましたが、最近では人工知能は「機械学習」、つまりコンピュータが勝手にルールを学んでくれる技術が軸になりつつあり、将棋やチェスよりもはるかに難しいとされる囲碁でも、人間を負かすようになっています。対話ツールや自動運転など、ある分野に特化したコンピュータやロボットを造ることは飛躍的に進歩し続けています。
 そしてついに、次はコンピュータに「それをしろ!」「これをしろ!」という、今までのような命令を一切与えない、「心を持った人工頭脳」の研究が始まっています。「心を人工的に創る」という人工意識システムを構築するために、脳科学、神経科学、脳波学、精神哲学、心理学などの分野の研究者は、情報工学、人工知能(AI)学、解析学の分野の専門家の力を借りて、幅広い英知を集め、「心」の科学的解明を始めました。
 しかし、純粋に「心の仕組み」の解明のためと言っても、この人工頭脳の研究については、多くの専門家が軍事利用などの将来における危惧を心配しています。第2の核兵器のような存在になり得ると言っています。確かに、これまでの技術の進化も負の産物として地球規模の環境破壊を繰り返してきました。「人工頭脳を持ったロボット」と聞くと、私のような古い人間は、半世紀前の「鉄腕アトム」を思い出します。そんな夢のような理想的な楽しい未来だけが待っているのではないようです。確か、大学生の時に観た映画「2001年宇宙の旅」(1968年)の中にも、クルーの科学者と宇宙船の全てを管理していた「HAL」というコンピュータとの衝突する場面がありました。
 生命や感情が感じられない冷淡な印象を無機質と形容することがありますが、コンピュータやロボットに心があっても、冷徹な計算式だけで求められたその意識、感情、思考は無機質に感じてしまいます。やはり、ヒトの心には温かさと優しさがなくていけません。そして個の対極にある客観を考える概念を常に宿しておかないといけないと考えています。
 最期に、兼好法師は「徒然草」の中で悪しき心を7つ挙げています。1つに地位の高い人。2つに年の若い人。3つに病気をしたことのない人。4つに酒好きの人。5つに強がりの人。6つに平気で嘘をつく人。7つに欲張りの人。成程なと思います。

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