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心 その1・序論

はどのようにして生まれてくるのでしょうか。そしてそれはどこにあるのでしょうか。宇宙の誕生、生命の誕生とともに、心の解明は人類最後の未解決問題と言われています。余談ですが、どうして全身麻酔も効くのかも未解決問題の一つです。そもそも「心」とは何なのでしょう。心身医学において、明確な“心の定義”そのものが未だに確立されていません。それゆえ、進化し続けている現代科学においても、心の本質だけは解明できずにいます。
 心についての話を進めていく上で、まず大まかな概念を提示しておく必要があります。心とは意識、意志、感情、思考などの総合的精神作用であり、換言すれば、情緒、情操、情趣に近いものと定義されています。すなわち、個人の人間性や価値観の決定の根源にあるものと理解してください。これらの心情は、類人猿、イルカ、クジラ、ゾウ、ウマ、イヌなど知能の高い動物たちに感じることはありますが、知能とはっきり区別できるほどの心を持っているのはヒトだけでしょう。
 嘘という思考回路は心を考える上でとても理解しやすい事象です。ヒト以外の動物たちは嘘をつきません。嘘をつく動物はヒトだけです。脳の進化の過程で相手を欺く術を身に付けました。嘘は保身の嘘・社交上の嘘・場を楽しくする嘘の3つに大別できますが、ここで問題にしているのは保身の嘘です。約束を履行できない人、言い訳の多い人、自己チューの人に多く見られます。嘘は心の指針になります。
 知識はなくても、お金はなくても、清く、正しく、美しく、そして優しく、誰からも好かれて生きている人がいます。あなたの周りにもきっといるはずです。心の善悪は知性、門地、職業、財産には関係していません。一方、政治家、役人、法曹人、医師、大企業の経営者、芸能人、スポーツ選手、マスコミ関係者、そして先生と呼ばれる職業に就いている人たちの中には、名誉、金銭、権力掌握、安定、知名度アップなどの欲望に取り憑かれ、市井の名も無い人たちより腐った心の持ち主が多くいます。
 ここまでの話で、人の善悪、愛憎、道徳、言動、表現、趣味などの形成は、「頭がいい、勉強ができる」という範疇とは別のものという認識を何となくでも解ってもらえたでしょうか。人の脳には、学問、技術などを習得する分野と、人格・個性を形成する分野の二つの機能を有していると考えられます。研究、技術、スポーツ競技だけ秀でた人を「一芸に秀でた○○」という言葉がありますが、ブラック心理学によると、その一芸以外は並以下、普通の人よりはるかに劣っていて、しかも心も信用できない人が多くいるようです。
 『山道を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にこの世は住みにくい。(中略)人の世を作ったのは神でもなければ、鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくからう。』この一節は、夏目漱石の有名な「草枕」の冒頭文です。
 多分ですが(はっきりとは覚えていません)、私は高校2年生の時に「心」の存在に気付いた気がします。「山道を登りながら」ではなく、受験勉強のためにしていた「現代国語の文章問題を解きながら」。その頃は、怠惰で気儘な非生産的な毎日を送っている自分を何とかしなければと考えていました。勉強嫌いな人間が受験勉強から啓蒙されるとは、なんという皮肉でしょうか。それまでは本能のままにしたいことをして生きてきました。それ以来半世紀、ずっと心の不思議について考え続けてきました。
 大学生時代は学生運動の一番盛んな時で、半分くらいはロックアウト(大学側からの学校封鎖)で、自由な時間がたくさんありました。ちなみに卒業式もしてくれませんでした(今思うと悪質な詐欺です)。しかしそのお陰で、北は青森県から南は鹿児島県まで日本各地を旅することもできました。夏目漱石の中・長編の小説15冊すべて読みました。他には恋愛、映画、マージャン、アルバイトなどをしていました。
 大学には日本各地からいろいろな人間が来ていましたので、その時から人間観察も始めました。人間観察とはその人の心を知ることです。心を知るその大きな糸口になるのは、嘘とモラルと自我の強さということを学びました。その時(1966年)から人生の心の旅は始まりました。
 アルバイトの一つが中学生の塾・個人指導でした。24歳(72年)の時、田舎塾の経営を生業としました。そして、76年にMPSのカレンダーを始めて作成した時に「知と心」を、79年に「鍛えられた個性」という言葉を下欄に載せました。その後も、「心・知・体」とか、「生活塾」というキャッチコピーを前面に出し、基礎的知識と心を媒体にして、中学生、高校生と接してきました。
 今振り返ってみると、高校生まで気儘に生きていた人間が、田舎塾の先生をし、心を説くなんて奇跡的なことです。10代の後半〜20代の前半にかけての人生が今の自分を創ってくれました。一方で「人生を楽しめ」と、20代、30代の未熟者が偉そうにしていたことを恥じてもいます。しかし還暦を迎えた今、自分をモルモットにして考えても、「心」を土台にして人生を送ることに、それ程大きく道を逸れることはなかったと思っています。

【後記】もともと蓄えられている知識も思考も浅く、その上ボケも始まっている脳ですので、何回続くかわかりません。しかし、この「心」シリーズは最期のご奉仕ということで、老体に鞭打って少しでも卒業生のお役に立てるように全力を注いでみます。

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