三宅学習塾OB会 > トップ > 狂育原論 > 親子の関係を考える 


親子の関係を考える

拝主義、物質主義のはびこる現代、親は「自分の子供だけは幸せになってほしい。」と願います。子供にとって不幸な事件が多発する現代、「自分の子供だけはそんな事件、事故に巻き込まれないように。」と心配します。欺瞞、偽善、保身に満ちた今の世の中で、これは親として抱くごく当たり前の感情です。しかし、多くの親たちがこのような発想をしていて、果たして子供たちに明るい未来はあるのでしょうか。
 幸せを考えるとき、個人、家族、子供の幸せだけを追い求めても、そしてそれがある程度実現されたとしても、世界情勢の急変、大きな天災、あるいは戦争によって一瞬のうちにそんなものは吹き飛んでしまいます。選挙投票率の低下が示すように、平和ボケしている日本人の多くは大局的視野に立っての個人のあり方(幸せの追求)を考えることを忘れているような気がします。
 子供に明るい未来を約束することは、実は簡単なことです。すべての親が何よりも優先して、自分の子供を「人様に迷惑をかけない人間に育てる」ように躾ければいいのです。日本中の親がそのように子育てすれば、理論的には日本から一切の犯罪は消え、子供にとって安心できる社会ができるはずです。「自分がされたくないことを、他人にしてはいけない。」この言葉は子供の頃、両親から耳にタコができるほど言われました。現代の多くの親はこの言葉を忘れて子育てをしているのではないでしょうか。
 現代の親は公共の意識も薄くなっています。公共の場で度を過ぎて走り回ったり、騒がしくしているガキを半数の親は注意しません。注意しても「怒られるでしょ!」という言葉がほとんどで、「みんなに迷惑がかかるでしょ!」という言葉で叱る親は、私が観察する範囲では10人に1人くらいしかいません。その言葉をたまに、本当にたまに耳にすると、なぜかホッとします。
 近年の殺人事件の半数は家族による凶行という統計があります。その原因は必ずしも放任や無責任からではなく、溺愛、重圧、歪んだ愛情の結果と考えられるケースも多くあるといいます。家族は一緒に住まず事務的な会話だけの関係でいれば、家族殺人のほとんどはなくなるかもしれないという専門家がいます。家族に限らず、人は知り合うほどに、愛するほどに憎しみを抱く機会が増えます。「挨拶は殺人の始まり」とまで、その専門家は言っています。
 一方で、映画「三丁目の夕日」の舞台となった昭和30年代のような伝統的家族回帰を願う人も多くいます。しかし、家族とは本来、密になればなるほど憎しみ合い、殺し合う可能性が高いものだと認識しておくべきもので、そこには隣近所、地域という共同体が分け隔てなく子供を育てるという土壌がなくてはいけません。自分の子供だけしか考えていない親には伝統的家族のあり方は逆効果になります。
 家族だけの結びつきが強すぎるあまり、必然的に、あるいは意図的に、属する共同体、集合体との接触を遮断している家庭があります。世の中にはいろいろな人間がいます。確かに奇人、変人だけでなく、悪さをする人間も多くいる世の中です。誰にでも、苦手な人、波長の合わない人が近隣、職場、学校、趣味の世界(サークル)にはいるものです。しかし、最低限、挨拶程度の軽い接点は残しておくべきです。それのが双方にとっての平穏です。親がその模範を示さなくてはいけません。
 人間関係は免疫を作ったり、人間観察をして判断力を養う場でもあります。そして何よりも家族の強引なまでの結びつきは、偏りのある親だったり、友人等の外部との接点の少ない子には大人への成長過程で致命傷になることがあります。子供の時分は、誰でも多かれ少なかれ親に反抗したり、ウザったく思ったりするのが普通です。これを家庭の外でうまく中和しながら、子供は成長していきます。
 いじめも同じ構造になっていると思います。子供にとって学校は生活の中心の場です。そこでいじめにあったら逃げ場がありません。家庭で偏った親の考えに忠実にしている子であれば、よけいにどうして自分がいじめの対象になっているのか気付きません。その苦しみが日々蓄積され、閉塞感から自殺する生徒まで出てくると考えています。勿論、悪の根源はいじめる側の親にあります。また、いじめがあったことは周知の事実であっても「学校としては認識できていなかった。」という、公立学校の事なかれ主義や隠蔽体質も大きな要因の一つであることは十分認識して言っています。
 子育ては「まず愛ありき」ではありません。社会人として、子の生産者としての「義務」の子育てが優先します。今の子供は欲望ばかり強くなって、自制、我慢する力が弱くなってきていますが、これも親の生き方と子育てに問題があると思っています。嫌われても、子供の将来を見据えた指導が必要です。子供が社会人になって親に感謝したとき、親子の愛、絆は生まれるのです。子供のときに優しくするのは、病気のとき、悩んでいるときだけで十分です。
 TVでも視聴率アップ、お涙頂戴から「家族愛」の番組をよく放送しています。新聞のTV欄や番組宣伝を垣間見るだけで、その種の番組を一度も見たことはありませんが、愛をあそこまで前面に出し、押し付けられると、むしろ嫌らしく感じます。愛は他人に見せつけるものではありません。良かれと思って一緒になった夫婦でも、我慢と調和を重んじ日々努力しても、仮面夫婦になったり、離婚したりするものです。子育てはそれ以上に難しい親の仕事です。
 子供に愛されようとして子育てをしている親が多くなっている気がします。今の親の子供への愛は自己愛の延長のように見えることもあります。子供に愛されなくても仕方ありません。人として親としてすべきことをして、あとは結果です。自分の産んだ子供でも、誕生したときからあなたとは全く別人格の人間です。悲しいことですが、それは定めです。あなた一人が愛する人間より、一人でも多くの人に愛される人間に育てることです。人として立派に育てた子供なら、必ず社会から愛される人間になり、そして親に感謝する子供になると、私は信じています。
 社会が悪い、だから自分の子供のことしか考えない。するともっと社会は悪くなる。さらに自分の子供のことしか頭の中になくなる。こうなると、負のスパイラルが進むだけで、世の中はよくなりません。モラルの欠如した親、子供を溺愛する叱れない親、正しく躾けられない親が多くなりました。そのような親と子は視野が狭くなり、他人の注意に耳を傾けません。さらに悪いのは、そのような人間に限って手におえなくなると、他人や社会のせいにします。
 これから地球はどんな星になっていくのでしょう。日本はどんな国になっていくのでしょう。人類はどんな生き物になっていくのでしょう。できるものなら、これからの地球、日本人、家族、教育の変遷を見たいと思っています。ヨボヨボになるまで生きていたいという願望はありませんが、自分の予測が当たっていたのかどうか、あの世から地球全体を包括的に、あるいは magnifyして部分的に見られたらいいなと思っています。

 神奈川新聞の月曜日に【意見】という紙面があります。そこに「言いたい 聞きたい」というコーナーがあり、各界著名人の essay が載っています。私の愚見を見透かすかのように、12月8日にノンフィクション作家の柳田邦男さんが『「親教育」の強化を』という評論を、タイミングよく別の角度から鋭く書いていました。神奈川新聞を購読されている方は、是非その文を読んでみて下さい。私の稚拙な文を補うことができます。

住 所
〒250-0034 小田原市板橋647番地 三宅学習塾OB会事務局
事務局への投稿などはこちらへ
三宅先生への連絡などはこちらへ