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「子供たちへの手紙」シリーズ 〜 その4 〜
 
国語力を身に付けよう

しぶりです。元気にしていますか。人生を楽しむための基礎作り、しっかりやっていますか。「継続は力なり。」 努力は続けることによって効果が表れます。今日は人生を深く豊かにしてくれる「国語力」の話をしたいと思います。
最近の生徒たちを見ていると、年々国語力が低下してきているのがよくわかります。おじさんの塾でも教科書を読んでいて、書いてあることを理解できない生徒が多くなっています。
 文部科学省は小学生から英語を教えることを検討していますが、おじさんはその分を国語の授業時間を増やすことに使ったほうがいいと思っています。国語力は勉強面だけでなく、生きていく上での基本と考えているからです。
 もちろん英語もとても大切であることはわかっています。進学だけでなく、社会に出てからも仕事によっては英語ができないと困る職業がたくさんあります。そうでない人でも、簡単な日常会話くらい話せたほうが、人生が楽しくなります。だって、時間があったら世界中を旅することもできます。
 しかし、母語(生まれた国の言語)が満足にわからないのに、他の国の言語を勉強する必要があるでしょうか。英語にも、 Language is the life of the people who use it. (言語はそれを使っている民族にとっては命である) という言葉があるくらいです。日本の大学は入試科目に英語を必須(必ず受けなければいけないこと)にしているのに、国語を受験科目にしていない大学がたくさんあります。おじさんは若い頃からそれはおかしいと思っていました。大学側も最近そのことにようやく気付き、現代国語やそれに替わる小論文(作文)を課すところが増えてきました。
 ある大学の先生が「今の大学生は、満足な文章ひとつ書けない。」と嘆いていましたが、そう言う大学の先生の中にも、お粗末な文章しか書けない人がかなりいるようです。理科系(医学、技術者の道)に進むのに国語は関係ないと思っている人もいるかもしれませんが、理科系には実験報告、研究発表などがあり、わかりやすく的確な文章を書く能力が必要になります。
 ところで、国語力はどのように身に付けたらいいのでしょうか。国語力は語彙(ごい)力(単語力)、読解力、表現力に大きく分けられます。よく「本を読みましょう。」と言われますが、確かにその通りで、基本は「活字慣れ」(文字に親しむこと)です。全国的に小中学校では「朝の読書活動」が行われるようになり、ある程度の成果を上げているようです。また、夏休みの宿題も教科に関係なく「感想文」「レーポート」形式が多くなってきたことはいいことだと思っています。
 おじさんも中学生までは本を読むのが嫌いでした。マンガ本すら読みませんでした。高校生になって、大学受験のために国語の勉強をしなくてはいけなくなり、少しずつ読書の習慣が身に付き、大学生になって読書のおもしろさがわかってきました。読書の量に比例して、少しずつ人間らしくなっていった気がします。
 以前の手紙に「おじさんにはこの歳まで、両親をはじめ、私を支え、応援してくれる年上の人が、いつもそばにいてくれました。」ということを書きました。振り返ってみると、それらの人たちに共通点のあることがわかりました。それはみんな読書好きだったということです。
 そんな自分の環境を振り返ってみると、「国語力は毎日の生活が大切である。」という結論に達します。読解力は人の考えに触れる能力、表現力は自分の考えを伝える能力のことですが、それらは普段からの考える生活習慣を土台にして身に付き、「考える習慣」とお互いに作用し合って伸びていくものだと思います。
 だから、現代の子供たちの国語力低下の原因は社会の仕組の変化と、親の表面的な教育にあります。社会、学校、家庭での生活のあり方が非常に大きく影響しています。すなわち、現代の子供たちの日常生活が豊かな日本語の環境に恵まれていないということです。【この表現はちょっと難しいですが、詳しいことは次の段落以降に説明しています。】
 年々、子どもたちは家庭や地域で「会話をする機会」が少なくなってきています。家庭では少子化や核家族化(夫婦、子供だけの家族)などにより、子どもが家族と会話をすることがずいぶん少なくなりました。また、余暇の過ごし方も、TV、PC、ゲームなど、一人で遊ぶことが多くなり、友だちと話をする機会も少なくなっています。さらに地域のコミュニティー(つながり)が薄くなり、大人が気軽に子どもに話しかける場面もあまり見かけなくなりました。
 大人たちも本を読まなくなり、子どもたちにとって本に親しむ環境が整っていない家庭も増えています。大人に昔話をしてもらったり、本を読んでもらったり、あるいは親、先生、先輩からためになる話をしてもらったりという言葉の接点が少なくなってきています。
 時代の流れも早くなってきました。現代人の多くはあわただしい流れに呑(の)まれ、立ち止まることのできない性格になってしまいました。時間のかからないもの、手っ取り早いものばかり追いかけ、結果としてますます時間に振り回されています。ゆったりした時間も、じっくり考える余裕もなくしています。おじさんは最低一日一時間、文字を読み、考える時間を作るようにしています。
 学校の中はどうでしょう。どの学校にも家庭の躾(しつけ)不足のせいで救いようのない愚かな生徒が何人かいて、クラスの授業は崩壊しています。そのような状態では、話し合いや議論の場を作っても、建設的な(役に立つ)意見交換などできません。また、語学の授業でさえも、教科書を生徒に読ませたり、作文などを書かせたりしない先生もいると聞きます。ある中学校に、3年間自ら教科書を読んだり、生徒に読ませたりすることを一度もしなかったという英語の先生がいたそうです。これには驚きました。
 親もいけません。忙しさにかまけて(忙しいことを言い訳にして)、子供との会話は単語を並べているだけです。「聞いてるの!」、「わかってるの!」、「お風呂!」、「またー!」 あなたのお母さんはどうですか。
 あなたが悪いことをしたとき、「やめなさい!」と言うだけでなく、ちゃんと「あなただって同じことをされたら嫌でしょう。」、「周りの人に迷惑になることを考えなさい。」と、その理由を言わなくてはいけません。もっと素晴らしい親なら、「なぜ、このことでお母さんに叱られたか考えなさい。後で話し合いましょう。」と言うでしょう。おじさんは親からそう言われて育てられました。だから、どうしようもない悪ガキだったおじさんも今日まで生きてこれたと感謝しています。
 このように現代の子供たちの国語力の低下は、社会、学校、家庭に大きな原因があると考えています。だからと言って、現代の子供たちの国語力が今のままでいいということにはなりません。「僕(あるいは私)もこのままの国語力ではいけない。」と思ったら、あなたの日常生活を少し変えてみてください。正しい日本語を書き、正しい日本語を話せる人になってください。ある程度の文章を読めるようになってください。
 日常生活で、たとえ10分でも20分でも、まず「活字」に親しむ時間と、考える習慣を身に付けてください。新聞、物語、随筆(おじさんのこのような文章のこと)の易しい内容から入ることを勧めます。ただ、情報を伝えるだけの文章はあまり役立ちません。それは考える必要のない文章だからです。
 それが身に付いたら、自分の考えを「文字」にする訓練をしてください。たとえ50文字でも100文字でも、自分の考えに理由を添(そ)えた文章を書く習慣を身に付けてください。実は、おじさんも高校生の時から大学生にかけて、国語力アップのために思いついたことを専用ノートに書いていました。
 おじさんは喋(しゃべ)ることは好きですが、堅い話をすることはあまり好きでありません。話している言葉を録音してあとで聞いてみると、筋の通っていないことがよくあると言います。自分の心を伝えたいときには「文字」にしたほうが、相手も真剣に読んでくれるので、このように「文章で話す」ようにしています。
 最後に、国語力は知識と並んで人生を楽しむ大切な要素の一つであることを覚えておいてください。「知識なんて、あっても何の役にも立たない。」と言う人もいますが、そんなことはありません。知識のある人すべてが、立派な人間になれるとは限らないので、そう言われていますが、社会が認める「立派な人」になるには、「行動力」「忍耐力」「調整力」など別の能力も必要になり、それは別の話になります。
 国語力と知識は人生を深く豊かにしてくれます。本を読むことはそれ自体が目的ではなく、何かを得、何かを考え、自分の人生に役立たせるためのものです。本を読んだり、文を書いたりして考えることが身に付くと、いろいろな状況において意識しなくても自然に相手の立場に立ったり、物事を大局的に(大きく)捉(とら)えたり、幅広く観察したり、正しく判断できるような人間になれると、おじさんは信じています。

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