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奇跡の星の上に生存する命 〜’07 年頭の挨拶にかえて〜

資料#1
球がいくつもの偶然(強運)の上に成り立ったガイアであることは、よく言われてきたことである。ガイア(GAIA)とは、地球それ自体が大きな生命体であり、全ての生命、空気、水、土などが有機的につながり合って生きている、という考えである。(ジェームス・E・ラブロック) 宇宙全体には銀河(島宇宙)がさまざまな形で1000億個以上あり、その一つひとつの銀河には約2000億個の恒星があることがわかっている(私たちの住んでいる「天の川銀河系」が平均的な大きさと考えられ、恒星の数が約2000億個あることから)。 そして、その恒星の周りには惑星が廻っていて、またその惑星の周りを衛星が廻っている。私たちの太陽系で言えば、惑星の数は8個、衛星の数は162個ある。それらを計算していくと、火の玉である恒星や絶対温度−273℃に近い惑星、衛星はガイアになりにくいと考えられるが、とりあえず宇宙にある星の数は計算上10の25乗個になる。文字通り天文学的数字である。それらの一つひとつに生命誕生の可能性はあったのだが、地球が46億年にわたる奇跡に近い強運に恵まれ、生命体の星に選ばれた。そして今、その奇跡の星の上で、人類は我が物顔で栄華を享受している。

資料#2
トの男子の精巣では、10才くらいから精子を作り始め、1日約5千万〜数億個ずつ死ぬまで作られている。人生70年とすれば、男子が一生のうちに作る精子の数は、1兆〜2兆個にもなる。一方、ヒトの女子の卵巣では、10才くらいから卵子を作り始め、約1か月に1個ずつ卵子を輸卵管に出し始める(排卵)。この排卵はふつう、50才くらいまで続く。つまり、受精のチャンスがある卵子の数は、約500個ということになる。このうち生命の誕生のために使われる精子と卵子は2〜3個である。つまり、受精して生命として誕生できる精子は,1兆〜2兆個のうち、たったの2個か3個、同様に受精する卵子も500個のうち2個か3個である。一生のうちで、受精できなかった精子1兆9999億9999万9997個と受精できなかった卵子497個は、必要とされなかったことになる。こう考えると、誕生した生命がいかに選ばれたものであるかがわかる。事実、精子には奇形もかなり多く、受精の資格をもつ強い精子はかなり少ないと言われている。
 しかも、同じ個体から作られる卵子も精子も、備えているDNAは一つひとつ個性が違う。卵子も精子も減数分裂で、それぞれ2の23乗のパターンが考えられ、それを♂♀2倍して2の46乗。すなわち受精卵のパターンは10の15乗通りになるが、実は減数分裂の際に、一本一本の染色体には乗換えが起こっている。難しい話になるが、その乗り換えはDNAのどの部分でも可能で、これを考慮に入れると無限∞に近いとんでもない組み合わせになる。受精する精子A、Bがコンマ何秒差で入れ替わっていたら、当然違った個性の子供が生まれる。そう、あの晩、酔って帰っていなければ、あるいは酔って帰る日が一日ずれていたならば・・・、別の日のあの晩も、奥方が拒絶しなかったら、亭主が元気だったら、異なる個性をもった子供が生まれている。子供は限りなく0に近い確率の中から選ばれた個性なのである。

資料#3
トは誕生してからも天文学的数字の出会いをする。家族・血族のように決定付けられているものもあるが、物心つく3歳頃から多くの人と物に出会い、感性と多少の理性によって取捨選択を繰り返し、人生を歩んでいく。友人、恋人、結婚、進学、就職、趣味等、これらはまさに各人の本質、つまり心の選択である。この選択が人生を大きく左右する。また、その選択(あるいは対応)によって、生き方が決まってくる。一人の人物との出会いによって、人生が大きく変わることはよく言われている。親切面をした腹黒い人間がいる。口は悪くても暖かい心の持ち主もいる。端正な顔立ちをしていてもだらしない男がいる。器量はそれほどでなくても、誰からも好かれるかわいい女性もいる。あれほど好いて一緒になっても、すぐに別れる夫婦がいる。気付いたら空気のように何十年も付き合っている友人もいる。信じていた人に裏切られることもある。そんな選択の積み重ねで人生は作られていく。
 職業も人生の大きな選択の一つである。稼ぐということは生きていくための必須要件である。楽と欲もからみ、多くの人は幸せになる確率を高めようと、有名大学に入り、大企業に就職する。しかし、それとて確定要素ではない。不透明な時代、良かれと思って入った会社が業績不振になることがある。リストラされることもある。人間関係に苦しんだり、仕事がつまらないこともある。農業、漁業、個人経営者などのように、時勢、環境、周囲の人間などの外的要因に大きな影響を受け、本人の努力だけではどうにもならない職業もある。しかも近年は、人為的、政治的操作による不公平さからくる運、不運も加わる。人間関係と職業選択の運、不運は人生に特別な影響を与えるだけに、諦めのつく天命だけの運、不運であって欲しいと願っている。そもそもが、欲がなければ金はそれほど必要ない。大地の中で、必要最低限の収入で自給自足に近い生活をし、幸せを感じている人は少なくない。幸せは自己満足にあると言われる。心の持ち方ひとつで不運は幸運にもなるし、その逆にもなる。
 他にも書物、趣味、芸術など、物との出会いもある。若い頃に読んだ本、人から言われた言葉が、この歳になるまで体内を流れていることを知る。日常生活の中のどこに運、不運が転がっているか分からない。良かれと思って買った我が家も、後にそのローンで苦しむことがある。欠陥住宅ということもある。携帯電話のように、便利に使っているうちに、大切な何かを見失ってしまうこともある。子供の安全のために持たせても、それ以上に危険や堕落の道具になっていることを知らない親は多い。旅は楽しい。Aは旅に行くことになった。身内に不幸があってドタキャン。しかし、乗る予定だった列車が死傷者の出る大事故を起こす。一方、Bは準備万端浮かれ気分で旅に出た。旅先で盗難に遭い、クレジットカードまで悪用され、女難のおまけ付き。踏んだり蹴ったりということもある。人生の禍福はまさに「塞翁が馬」、どのように転ぶかわからない。一つの出会いの選択を取捨の二者択一にしても、一生の間の選択は、2Xチャンス回数乗になり、これも天文学的な数字になる。

そしてわたしは・・・

のようなことを書き並べると、どこかの怪しい新興宗教の説法や勧誘文みたいですが、私は基本的に無宗教の無神論者であり、独立独歩、和而不同をスタンスに生きてきました。どちらかというと宿命論者に近い人間だと思っています。勧善懲悪、因果応報、自縄自縛、天網恢恢・・・、そんな言葉が好きな人間です。自分にできる範囲の我慢と努力をし、あとは運を天に任す。なるようにしかならないと考えて生きてきました。
 そんな私でも考えるのです。地球の奇跡と生命の神秘の上に、私たちはヒトとして誕生しました。選ばれし命として。ガイアとしての地球の上にヒトとして誕生した私たちの確率は、極めて0に近い数値です。「命を粗末にしたらバチがあたるわよ。」これは子供の頃に母親によく言われていた言葉です。私たちの命は砂塵よりも微細な存在でも、生命継承の一つです。人間のエゴと争いが続くと、人類はあと100年持たないかもしれないと言われています。私たち生物の存在を(自分だけでなく他人も、人類だけでなく他の生物も)、まず生命継承の一つと捉え、その上でそれぞれの人生をいかに楽しむのか、どのように使っていくのかということを、自分の子供や社会の若者に伝えていくことは、先に生まれた者の務めではないかと考えます。万人に合った生き方はありません。だから、他人への迷惑を最小限に押え、あなたの信条に沿ってあなたらしく生きていって欲しいと願っています。
 私は「人生とはエゴ、努力、運の絶妙なバランスの上に成り立っている。」と考えて、今日まで生きてきました。そして明日からもそう考えて、僅かな余生を生きていくでしょう。下に吉田拓郎の「今日までそして明日から」を付記しました。似た心境です。昨年の9月に吉田拓郎がかぐや姫と掛川市の「つま恋」で31年ぶりにコンサートを行いましたが、そのライブをNHKの番組で観ました。懐かしかったです。忘れていた若い頃を思い出しました。

http://ongakukan.music.coocan.jp/2006music/2-ka/mkyoumadesosite.html

 余談ですが、このサイト「青春音楽館」の館長(編集者)は、昭和30年代生まれと自己紹介していますが、いい文章書きます。館長の個人的な解説エッセイが、1 曲ごとに書かれているのですが、この吉田拓郎の「今日までそして明日から」のエッセイは私の好きな夏目漱石の話とうまくコラボ(融合)されていて興味深かったです。時間があったら読んでみて下さい。

今日までそして明日から  
            作詞/作曲 吉田拓郎

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

            1971年(昭和46年)

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