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「子供たちへの手紙」シリーズ 〜 その3〜
 
生きていく上での大切な「SEVEん」

年も終わろうとしています。あなたにとって今年はどんな1年でしたか?
 歳をとると1年の経つのを早く感じるようになると言われています。それは経験上事実だと思っています。同じ365日なのに、なぜそんな錯覚に陥(おちい)るのか考えたことがあります。生活が充実しているとか、だらだらしているとかはあまり関係ないように思います。生活に変化がないと1年を短く感じる気がします。幼い頃は、毎日が新しい発見の繰り返しです。あんなことがあった、こんなことがあったと、新鮮な体験の積み重ねの日々が続きます。それが1年を長くしている気がします。ところが歳をとってくると、毎日の生活は型にはまり、単純化し、新しい行動が少なくなります。だから、短く感じるのだろうと思っています。
 おじさんはこの数年、仕事を多少控えめにし、人生を楽しむようにしています。今年も病気もせず、病院のお世話になることもなく、健康に過ごせました。感謝です。とは言っても、何のストレスもなく、努力もせずに生きてきたというわけではありません。歳をとっても嫌なことはあります。それを上手に対処する方法を身につけたので、若い頃ほどカリカリしなくて済むようになったのです。体は鈍(なま)らないようにしています。生きることの第1条件は健康です。あなたは若いので分からないでしょうが、20歳を越えると、体力差ははっきりと表れます。30歳代の人より若々しい肉体を持った50歳代のおじさんはたくさんいます。心も同じことが言えます。
 この歳になると、昔が懐かしくなり、若い頃の歌を聞いたり、古い映画をDVDで観たりすることが多くなりました。昔好きだった人はどうしているかなと想うこともあります。しかし、同時に今でも何か新しい楽しいことはないか探してもいます。おじさんは欲張りのようです。人生を楽しみたい思いは歳とは関係ありません。いやむしろ、残り少ない人生をもっと楽しみたいという気持ちは強くなっているかもしれません。長生きしてよかったと思えるように生きれることが、結局一番幸せなのかなと考えるようになりました。 
 そのためには若い日々を大切に生きることです。おじさんは14歳〜27歳を「選択の時代」と名付けましたが、この14年間で人生は決まります。それから先の人生は、それまでの生き方の延長になります。人生の中で一番輝く時、すなわち気力、体力、経済力、経験、信用などのバランスのとれた期間は、35歳〜40歳というのがおじさんの考えです。その時にあなたの人生が花開くように一日一日を大切に生きてください。27歳までが勝負です。きっと神様はあなたの努力を見過ごしたりしません。【※どうして27歳までなのか、そのことはこの「狂育原論」の2005/03/19「人生14年周期説」の中に書いてあります。ただ、あなたにはまだ少し難しい内容です。】
 ところで、今年はあなたと同年齢くらいの生徒の多くがいじめから自殺しました。悲しいことです。尊い命を自ら絶ってはいけません。おじさんは善良な人をだます詐欺(さぎ)と弱いものいじめは人間の一番醜(みにく)い行為と思っています。だから、自殺にまで追い込むいじめを許せません。いじめは相手の側に立つことのできない人間のすることです。しかも、一人では何もできない弱い人間のすることです。最低です。仮にいじめられる子に悪いところがあったにしても、みんなでシカトしたり、悪口を浴びせてはいけません。おじさんは陰口が嫌いなので、相手の悪い点ははっきり言います。それを受け入れてくれない相手や聞く耳を持たない相手には、距離を置いて上手に付き合います。
 おじさんの時代には、クラスの中や同級生の間にいじめはありませんでした。上級生が生意気な下級生にリンチやカツアゲをしたりということはよくありました。おじさんも生意気だったのでよくやられました。今思うと、それは立派ないじめだったのでしょうが、おじさんは「俺、そんなに先輩たちに目障(めざわ)りなのかな」と考える程度で、いじめられているという意識はありませんでした。むしろそのお陰で強くなった気がします。他にも他校の生徒と喧嘩したり、万引きしたりする生徒が当時もいましたが、陰湿ないじめを耳にした記憶はありません。
 実は、いじめは大人社会にも「モラルハラスメント」という形で存在します。ハラスメントとはいやがらせという意味で、いくつかの種類に分けられています。どんな職場にも後輩いじめをする先輩はいるものです。「いじめはいけません。」と言っている政治家や役人が、職場でいじめをしているかもしれません。校長が部下の先生をいじめ、その先生が自殺したという事件もありました。署内でいじめをしている警察官が、いじめをした子の取り調べをするというマンガのような話だってあるかもしれません。
 あなたにはいじめという卑劣な加害者になって欲しくありません。将来、自分がいじめられる側になることもあります。その時のためにも、権力や悪に立ち向かえる強い心を、今から育てておいて欲しいと思っています。クラスの中には身勝手な子やタチの悪い子が何人かいるでしょう。(そんな子はたいてい親も悪いです。)そういう子にどう対応するかを学習しておいたほうが、社会に出てから役立ちます。大人社会にはもっともっと汚い人間や悪い人間がたくさんいます。
 いじめの話はこのくらいにして、本題の生きていく上での大切な「SEVEん」の話に入ります。これは、おじさんが60年近く生きてきて感じたことです。「SEVEん」とは、すなわち7つの「・・・ん」の付く言葉のことです。これはおじさんが考え出したもので、ガメたものではありません。その7つの「・・・ん」とは、『純・感・鍛・勤・運・縁・恩』です。
 その一つひとつを説明していきます。
 「純」とは、混じりけのないことから、自然のままであること、飾らないこと、偽りのないことを意味します。すなわち、「人として」「自分らしく」生きるということです。自分を知ることから人生は始まります。
 「感」とは、感心したり、感動したりする心です。毎日の生活の中で、いろいろなものと出会います。外部のものに触れて、心が動くことで感性が磨かれます。偏(かたよ)りのない豊かな感性(この言葉は大事です。)を身に付けましょう。
 「鍛」とは、文字通り、心と体を鍛えることです。もともとの意味は、金属の質を良くするために打ちたたくことからきています。年齢とともに、心と体の質を良くしていかなくてはいけません。特に、健康は人生にとって一番大切なものです。
 「勤」とは、学ぶこと、働くことです。親から、先生から、友人から、書物から多くのことを学びます。そして社会人になったら働きます。生きていくためにはお金が必要です。勉強も、仕事も回りの人より、ほんの少し努力することを心掛けましょう。
 「運」とは、めぐり合わせ、さだめのことで、人生には自分の意志ではどうにもならないことがたくさんあります。自然災害に遭ったり、交通事故に巻き込まれたりすることは、普段のその人の努力、振舞いとあまり関係なく起こります。逆に、宝くじに当たったり、素晴らしい人に出会えたりするという幸運もあります。人生に運は付き物であることは、頭に入れておいたほうがいいと思います。
 「縁」とは、つながり合いのことです。人は社会的な動物です。一人では生きていけません。世の中にはいろいろな人がいます。だから、その全員から好かれる必要はありません。また、それは不可能でもあります。ただ、自分を育ててくれた人、自分と波長の合う人(考え方や感じ方の似ている人)、自分を向上させてくれる人は大切にしたいです。人は環境の影響を強く受け、自分の属する環境で大きく変わっていきます。同時に、自分もその環境を構成している一人であることを忘れてはいけません。
 「恩」とは、感謝の心、慈(いつく)しみの心(温かい心や優しい心)、真心のことです。かかわり合ってきた人・物に、どのくらい「ありがとう」と言えるかによって、その人の人生の幸せ度が決まるような気がします
 人生とは、このように欲望、我がままを抑え、人より少し我慢、努力をし、あとは運を天に任せるしかないというのが、おじさんの考えです。恨(うら)み、妬(ねた)みはいけません。そこからは何も生まれません。全てを運で片付けてもいけません。それは自分の努力不足を公言しているだけです。「SEVEん・・・純・感・鍛・勤・運・縁・恩」を、心の隅っこにしまっておいてください。これからの長い人生、役に立つことがあるかもしれません。
 あなたにとって来年が良い1年になることを願っています。あなたの1年はおじさんの1年の5倍も10倍も価値があるのですから、1日1日を大切に使ってください。ちょっと我慢すること、努力すること、注意することを意識して、来年1年を生きてみてください。

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