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原稿の話

稿不足」。HP事務局の悲鳴が聞こえて久しい。そうなんだよなあ、編集者って。毎月締め切りに追われていた在塾時の我が身を想起させる一声。誠に共感の極み。かつてキャンプで同じ飯盒の飯を喰った者として何とかしてあげよう(カレーはゆるかったけど)。というわけで、謹んで一筆啓上申し上げます。
 と書いたけれども、「筆」は使っていない。パソコンで作文している。「執筆」は、厳密には「キーボードを叩く」とか、「文字を入力する」とか言い換えるのだろうか。「書いた」というのもダメかも知れない。手元の『広辞苑』によると、「書く」は、先のとがったもので、ものの面をひっかくことが原義、とあるから、やはり同上とすべきなのだろうか。別に酔っぱらって、からんでいるわけではありません。ただ、何とも風情のない表現、機械的で潤いがない、と思い当たってしまっただけです。
 とは言え、最近の自分自身、鉛筆やペンを持って文章を書くことがめっきり減ってしまった。というか、たぶん今世紀になってから無い。仕事がら「作文」することが多いけれども、「執筆」はしていないことになる。MPS報復刊と同時に和文タイプを使った1981年。初めてワープロを使ったのが1986年頃。本格的にパソコンを使うようになったのは1998年頃からだと思う。タイプは、手書き原稿をガチャガチャと打つ作業だった。ワープロ時代も、馴れないから、手書きで下書きをしてから入力していた。けれども、四半世紀を経た今、筆記用具を使うのはせいぜい手紙と簡単なメモ程度。手書きせずに頭の中で作文して、専らパソコンに向かう日々を送っている。
 手書きだった頃と比べると、何しろ漢字が書けなくなってきた。簡単な字が思い出せないで苦労する。入力変換で選ぶだけだから忘れるのも仕方がない。ローマ字入力を使っているけれど、これは考えてみると変なものだ。「hen」で「変」になる。パソコンで一文字ごとによく考えて作文していたら、それこそ頭が変になる。科学技術の進歩は人類を退化させている。…なんて大げさなことは言えないけれど、たぶん自分の頭の中も、手書き時代と変わっちゃったに違いない。
 漢字の書き方のような余計なこと?を考えないだけ楽になったのは確かだ。間違ったらリセットできるし、同文ならコピー貼り付けもできるし、文の入れ替えも自在だ。その上、入力画面やプリントアウトされた文章は整然と活字が並んで立派に見える。でも、普遍的な評価の対象はその中身。楽な方へ楽な方へと流れずに、少しは余計なことも考えるようにしておかないと、コピーとリセットの連続で後半生を送ってしまうような気もするのでした。
 あれ? 応援するつもりだったのに、なんだかHPの原稿不足を底辺で促進するような文章になってしまった? まあ、電子媒体の長所は気楽で手軽なところにあるわけだし。これからも楽しみにしてますから。皆さんも、じゃんじゃん原稿を送りましょう。

(ペンネーム フォローになってない元新聞屋)

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