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総選挙

よいよ4年ぶりの総選挙の日が近付いてきた。発足当時は選挙用内閣と言われていた麻生内閣であったが、1年近く経ってようやく先月21日に満期同然の衆議院を解散した。今回の総選挙は「政権交代の歴史的選挙」「21世紀の日本の将来を占う選挙」などの文言がマスコミには飛び交っているが、果たして日本の政治はよくなるのだろか。
 生まれて60余年、物心ついて50余年、ずーっと日本の政権与党は自民党であった。1955年に当時の自由党と日本民主党が合体、いわゆる保守合同によって自由民主党が結成されたが、それから今日まで自民党が50年以上にわたって権力を掌握し続けてきた。確かにその間、1993年から約1年、非自民8会派連立の細川、羽田政権ができたが、何の実績も残さず、国民の不信感だけを残して倒閣した。
 その自滅を突いて、自民党がイデオロギーの全く異なる社会党と手を組むという掟破りの連立政権を打ち立てて復活した。これには多くの国民が「政治はこんなことまでアリか?」という絶望感を持った。90年代はミニ政党が誕生、分裂、合併、消失を繰り返し、自民党以外に安定多数政党もなく、何となく自民党という流れができ上がり、社会主義国を除く他国には見られない一党独裁の政権が今日まで続いてきた。その結果として、政治家・官僚の横行、癒着、利権が進行してしまった。
 ここまでくると、国民も怒り心頭、世論調査の trendは民主党である。しかしまだ、国民の多くは「自民党には不満だが、民主党には不安がある」という風潮は強い。民主党議員の多くは、自民党離党者や自民党のイデオロギーに近く、ただ政権を取りたい気持ちが強いだけで、日本の政治がどれだけよくなるのか疑心暗鬼でいる。その一方で、自民党には大きなお灸を据え、一度下野させなくてはいけないという強い考えを捨てきれないでいる。
 「民主主義」とは完成形ではなく、常に変化し、進化していくものであるということを、大学の講義で学んだことを思い出す。民主政治を揶揄する言葉に「衆愚政治」というのがある。日本では、TVのワイドショー的な雰囲気に流され問題の本質を考えない国民が多く、また付き合いの中で政治に対し個人の意見を述べる人を忌み嫌う傾向がある。目先のこと、自分のことしか考えない国民も多い。そのような風土の中で、議員や官僚たちは自らをエリート(選ばれし者)と位置づけ、国民を愚民と見て政治を行なっている。
 衆愚を逆にすると、愚衆になる。政治腐敗の元凶は主権を持つ国民にある。政治への関心の低さ、選挙投票率の低さがそれを物語っている。政治力を利用している人は必ず選挙に行くが、「どうでもいいや」「入れたい政党もないし」という人の多くは棄権しているという。むしろそのような人の1票こそ日本を変える力になると思うのだが。
 1990年代後半から、「マニフェスト」選挙が一般的になり、公示日を前に、各党の最終的なマニフェストが出揃った。これを見ると他党への誹謗中傷、ばら撒きだけが目に付く。特に、ばら撒きの政権公約は衆愚政治の表れである。特に民主党の、中学卒業まで1人当たり年312000円の「子供手当て」支給には驚いた。これに15歳未満の子供1714万人を掛けると、5兆円超になる。他にも、高速道路の無料化、年金の月額7万円の最低保証など、美味しい話ばかりしている。日本の現状と将来を苦慮する私には、財源の裏打ちはどうなっているのか、どの分野の予算をカットするのか、あるいは生活面ではどんなことに不自由、不便を与えるのか等、マイナス面も正直に明記してもらいたい気持ちでいる。
 別に民主党が嫌いで言っているのではない。自民党のエコ減税、補助金、還付金の上をいこうというのであろうが、政権を取れるかもしれない政党がこのような絵に描いた餅のようなことばかり言っても、国民の多くは不安が頭をよぎるだけである。借金が多くなれば、今の子供が大人になって苦しむだけであることくらい、少し考えればわかることである。
 どんな職業の人でも、そしてトップに立った人でも、権力・名誉・富の3つのうち、一つしか得られないという文章を、何年か前に読んだことがある。社会の名誉を求めれば、富も権力も無縁になり、資本家や金満家は富を得ても、だれからも尊敬してもらえない。確かに私が子供の頃はそんな時代だった気がする。しかし時代は移り、20〜30年前から名誉と富の二つは手にすることができるような社会になった。大学には名誉教授、大企業には名誉会長、あるいは団体には名誉会員なる名称を設けて、形だけの名誉を与える組織が多くなったことを見れば、肩書きで生きた人間は次に名誉を欲しがるようだ。
 そしてついに、権力を握る政治家や高給官僚が名誉と富の3つを併せ持つ時代が到来してしまった。私のような古い人間には、権力者は名誉や富に見向きもしない人間こそ適任と思っているのだが、彼らは安定までも手に入れようとしている。今日の政治の乱れの遠因はそんなところにあるような気がしてならない。権力を持つ者の倫理観の低下が気になる。こんな世の中を見て育つ子供たちは、どのような自分の未来を頭に描いて勉強しているのだろう。賢い子の多くは自分もこれらの3つを手に入れたいと思って勉強しているのだろうか。
 今日の日本には多くの政策課題が山積している。マニフェストもいくつもの分野に分かれて書かれている。地球環境、外交と防衛、地方分権、公務員改革、社会保障、景気と雇用、歳出と歳入のバランス等々。これら一つ一つの政策が自分の考えに合致している政党などはない。そうなるとpriorityの高い分野に、より近い考えを持つ正直な政党を選ぶしかなくなる。
 私個人の優先政策は、やはり税金の無駄遣いと、仕事のできない、しない役人をなくすことと、公平な税の再分配である。そして、もう1つは地方分権。国、県、市の役割分担を明確化することは、無駄遣いもなくなる。国は、外交と防衛、環境問題、あるいは産業、国土等の国家プロジェクトなどの国家戦略の必要な分野だけをやり、あとは物理的に住民の近くにいる地方自治体に任せればいい。現状の自治体の能力でどこまでやれるのか見てみたい気もしている。
 日本人に生まれて、日本が好きでも、なかなか日本の政治は好きになれない。そんな時、日本から脱出したいと思うことがある。しかし、この歳で外国籍を取得するのは大変であるし、異文化に順応するのも一苦労である。しかし日本の中なら、自由に好きな自治体の住民になれる。国は7割、8割の税収を自治体に渡し、自治体を競わせればいいと考えている。行政サービスが悪かったり、税金の無駄だけでなく、役立たずの役人の多い自治体からは、住民は離れていく仕組みはどうかと考えるのである。
 「企業は人なり」という言葉があるが、政治家も、官僚も、どんな職業であれ、最後はその仕事をする人の characterである。農業をする善人は消費者に安全で美味しい穀物、野菜、果物を食べてもらえるように、暑い日も寒い日も作物の世話をしている。家を立てる善人は丈夫で使いやすい住まいを、目に見えない部分まで丁寧に、住む人の身になって創っている。こんな心で国民、住民のことを考えて仕事に取り組むべき職業こそが、政治家、役人ではないのかと思っている。

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