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入試情報と教育現場

の10年、神奈川県の高校入試は大きく変貌しました。おそらくこのHPを読んでくれている卒業生の何割かはアラフォー(ここでは男性も含みます)世代で、中学、高校受験を控えている生徒をお持ちの方も多いと思います。

 神奈川県公立高校入試で大きく変わったこと
  1. 通知簿が絶対評価になり、先生ごとに評点のバラつきが生じた
  2. 内申書と入学試験の配点比率が大幅に変わった
  3. 学区制が廃止になった
  4. 高校別に入試問題が作成されるようになった
  5. 単位制とか総合学科などの名の下に授業形態が変わった

 このように、あなたが高校受験した20年、30年前とはすっかり変わってしまいました。受験校の選択も生徒の自由になり、どの高校でも受験できるようになりました。昔のように中学校側で作成した過去の資料に則って受験するという拘束(いわゆる輪切り受験)はなくなりました。
 「狂育原論」に掲載するため、10年ぶりくらいに複数の業者の資料を基にして高校別の入学偏差値を(嫌々?)作りました。それを見てもらえればわかりますが、知らない校名がたくさんあり、学科名も多岐にわたり、高校受験が複雑化してきたことを感じると思います。閉校(「廃校」と言ったら叱られました)によって、あるいは合併(これも「吸収」と言ったら叱られました)によって、消滅した高校も数多くあります。また、単に校名変更しただけの高校もあります。これだけ毎年のように校名、学科名が変更されると、私のような年寄りにはいくら知っておくべき情報でもうんざりしてきます。
 県の「県立高校改革推進計画」によって、地元では小田原城内高校、湯河原高校は閉校になり、城東高校は校名を変えました。吉田島農林高校も2010年に校名を変えます。そして数年後にはあの高校もなくなるのではないかと言われています。これも少子化や公立離れ、県の財政難を考えれば仕方のないことです。神奈川県のHPを見ると、県の歳出1兆6832億円のうち40%近くの6200億円が教育費(そのほとんどが教員人件費)に使われています。ある県議会議員も「県の財政健全化には教育の抜本的見直しが必要」と言っていました。
 少子化の中生き残るために、私立の高校・大学を中心に校名、学部名、学科名を改称することがブームになっています。名称変更には多くの経費・労力を必要とし、さらに人々の中に入り込んでいたその名前を消してしまうわけですから、何のメリットもありません。それを承知の上で名称変更するということは、負のイメージ払拭による生徒集めが目的であることは明白です。事実、私立の底辺高校、大学は生き残りに大変のようです。新聞に折り込みチラシを頻繁に入れている学習塾でも、自転車操業のところが多いのが実情です。
 教育は人材です。危機感を持っている私学では、すでに多くの学校で経費の洗い直しや教員の質向上を図っています。大学では国立大学が独立行政法人化しましたが、ぬるま湯に浸り続けてきた年寄りの教員にはあまり意識改革が見られていません。また、税金ですべてを賄っている公立小中高校の教員は、教育費が地方財政を逼迫させている意識を持ち合わせていません。
 前にも述べたことがありますが、日本の教育機関は大学を元凶にして、学問、研究、学会などを隠れ蓑にしたダメ教員と経費の無駄遣いが多すぎます。大学においても第一義は学生を教えることです。自分の取り組んでいる学問、研究の意義を学生に伝えることです。自己満足の研究や、研究すらもしない教員、さらに生徒に接することすら拒否している教員が多すぎます。現在の日本にそんな教員にまで税金(教育補助金)を出す財政力はありません。いくら校名や学部名を変えても、そのような教員のいる学校に学生は集まりません。
 社保庁が「日本年金機構」という新しい公法人になりますが、中身が変わらなければ名称のすり替えだけで、国民への目晦ましでしかないのと同じ次元です。学校でも塾でも、経営者や理事があまりにも現場を知りません。教員も生活の安定しか考えません。教育は学生(生徒)と体温(ぬくもり)を感じ合うことが基本と考えます。学校でも、塾でも、習い事でも、一人ひとりのニーズに耳を傾け、情熱を持って接すれば、生徒はついてきます。
 人は悲しいかな、生まれたときから不平等にできています。金持ちの家に生まれた子、美形に生まれた子、一方、難病を背負わされて生まれた子、戦渦の下で生まれた子、不平等に生まれてきます。さらに、生きていく間にも、人には不平等な運、不運がのしかかります。このように人は決して平等に生まれ、生きているわけではありません。無差別殺人、無謀運転のもらい事故、天災などで命をなくす人と危機一髪助かる人との間には、10m、10秒の開きもありません。
 私は因果応報の考えから不平等はどうにもならない事実と受け止めて生きてきました。人は天賦の個の質と環境の中で日々努力するしかないと考えています。しかし世の中は、平等は無理であっても公正な社会でなくてはならないと思っています。不公平、不条理な社会は人為的策略を感じます。人の欲望の醜さを感じます。
 教員と公務員は公正な社会の模範となるべく努力をしなくてはならない職業というのが私の持論です。なのに今日、生徒に失望を与える教育関係者の事件が多すぎます。まともに仕事のできない、しない不要な役人が多すぎます。大分県教育委員会の教員採用と昇進に絡む汚職事件は、教育分野の公務員の犯罪という最悪の事件でした。堕落の極みでした。彼らは教育の信頼を失墜させたばかりでなく、日本中でこのようなことが行なわれているという疑惑を証明してしまいました。喝!! 喝!! 喝!!

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