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秋葉原

日の秋葉原の無差別殺傷事件も惨い事件でした。また起きてしまったかという残念な気持ちでいます。何よりも、何の拘わり合いもないのに殺害された7人の方の気持ちはただただ無念な思いでしょう。さらに彼ら、彼女を愛していた人、親しくしていた人の悲しみははかりしれません。このような事件は人々の生活を一番不安にさせます。安心して公道も歩けません。不謹慎な表現ですが、「関係のない人間まで巻き込まず、お前一人で死んで行け。」という思いです。
 近年、このような凶悪な事件がどうして多発するようになってしまったのかという背景について、専門家ではありませんが、類似事件が起こるたびにずっと私なりにその原因を考察してきました。しかし、所詮素人、資料も少なく、なかなか上手に組み立てることもできずにいます。いつかまとめることができたら、HPに書いてみたいと思っています。しばらく時間をください。
 3月のJR荒川沖駅の無差別殺傷事件の容疑者も二つの殺害事件を起こす間に秋葉原に行っています。「容疑者がこのような凶行を考えたときにどうして秋葉原という街を思い浮かべるのか。」と言う記事を目にしたとき、秋葉原の変遷と今を知ることで、現代人の病巣を知ることができるかもしれないと思いました。秋葉原の街がどうして(少なくても私の目から)病的な街になってしまったのか考えてみました。
 実は、私は年に2〜3度、秋葉原、御徒町方面を徘徊するのです。「先生にもそんな趣味があったのか!」と、誤解しないでください。東京に行くと、学生時代のプレーゾーンが東京駅を中心とした品川〜上野のエリアだったためか、新幹線を利用するからか、どうしても山手線東側の街に足が向きます。ゲームにもフィギュアにも、ましてやコスプレ喫茶・メイド喫茶にも全くその趣味はありません。ただ、隣の御徒町界隈がゴルフ関連グッズの街でもあり、時間があるとたまに秋葉原にも行くことがあるのです。
 上野駅で降り、何か気になる展覧会があるときは上野公園内の美術館・博物館に行き、それから行きつけのスポーツ店やゴルフショップを廻りながら、秋葉原までwalking しています。疲れていなければ秋葉原のIT関連グッズの店に立ち寄ったりします。
 秋葉原の街に近付くにつれ、すれ違う人の種類の変化を肌で感じます。秋葉原の街を歩いている人は、上野の美術館・博物館に来る人、私のようにゴルフショップで新製品のクラブを眺めている人とは明らかに違います。身なり、肩からかけているバッグ、青系のシャツ、歩き方などから、いわゆる「キモオタク」ではないかという判断は容易にできます。彼らは独特の雰囲気を持っています。笑いながら歩く者、ブツブツ何かを言いながら歩く者も多く見かけます。はっきり言ってしまえば、私のような人間から見るとbyoki です。
 秋葉原は電気街の街でした。しかし、バブル期の事業拡大のツケ、家電量販店の台頭、さらにインターネット通販などによる価格崩壊により、1990年代後半から徐々に衰退していきました。17年前、スタッフをしていたU君、S君と大金を手に秋葉原まで車でPCを買いに行ったことを思い出します。その頃もすでにPC店が多くなりつつありましたが、まだ電気街の街という色合いは残っていました。
 家電からPCの街への転換により、PCソフトのゲームやアニメを扱う店が多くなり、さらにそのキャラクターのフィギュア店も多く進出するようになりました。秋葉原の町は家から出ないオタクのもうひとつの「お宅」になりました。
 このようなことがマスコミに頻繁に取り上げられるようになると、金儲け主義の人間には金の生る木を見つける特技があります。オタクの人間は劣等感、引きこもり、むっつり助平の傾向があることを知っています。暗い性格のオタクのためにメイド喫茶、コスプレ喫茶、アダルトショップ、仕舞いには風俗店までつくってしまいました。こうしてついに、秋葉原は世界有数のオタク文化発信の拠点として、聖地とまで言われるようになってしまいました。
 歩行者天国の際には、秋葉原駅前や中央通りで路上パフォーマンスが過激に行なわれています。路上はコスプレに身をまとった若い女の子たちの舞台になっています。コスプレの萌え〜スターも多くいるようです。それをその種の若者が幾重にも取り囲み、その姿をカメラに収めます。その中に30歳を過ぎたおじさんがそこそこいるのに驚きます。「おまえ、いい歳して、何やってんだよ。他にすることたくさんあるだろう。」と言いたくなります。
 今の秋葉原は新宿歌舞伎町、渋谷の街のように、本能の街、快楽の街になってしまい、今までとは違う種類の若者が押しかけるようになりました。自由主義、資本主義、モラルの低下、ナルシシズムが合体した街のように思えます。社会的責任を垣間見ることができます。
 秋葉原は今でも部品販売の街でもあります。ここで見つからない電子部品はないとまで言われています。部品を一つずつでも購入できるので、大学が実験などに使う部品を調達したり、製造業業者が開発中の商品のちょっとした部品を調達することも多いそうです。電子部品に限らず、工具、測定器から線材・ネジ・ケース類・結束用部材など、電気工作や工事に必要と思われるものは、およそなんでも調達でき、電気・電子関係と目される機器製作においては、秋葉原内の店舗を巡れば必要な工具や資材はほとんど入手できるそうです。学生時代から知っている私には、秋葉原はそんな街のイメージが強いのです。
 地元の商店街や町会関係者は「喧嘩もない町だったのに…」と困惑しています。 秋葉族とアキバ系の混在する街、秋葉原。私のような年寄りは、歌舞伎町、渋谷のように、秋葉原にはもう来るなということでしょうか。私は「秋葉原」を[あきばはら]とは言っていません。「あきはばら」と言っています。これが古い人間の呼び名で公式名です。

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