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年の世相を漢字一字で表す年末恒例の2007年の漢字が「偽」に決まった。私も昨年はさすがにこの一字しかないだろうと予測していた。同じ音読みの「ぎ」には「欺」「疑」もある。この漢字も近い意味を持つ。
 不二家に始まって、ミートホープ社、北海道土産の定番「白い恋人」の石屋製菓、南紀卒業旅行の土産品「赤福」、とどめに船場吉兆と一連の食品偽装は絶えることなくこの一年続いた。食肉、野菜、海産物などの産地偽装は特に多かった。しかし、国民を欺き、偽り続けてきたのは食品業界だけではない。介護報酬の不正請求、診療報酬の水増し請求、一流企業の粉飾決算、独立法人の隠し資産(埋蔵金)、あらゆる業界で好き勝手に偽装、隠蔽していることが白日の下にさらされた。建材耐久報告や耐震構造計算の偽装は今も続いている。社保庁の年金記録不備や保険料ネコババは隠蔽を通り越して詐欺・横領である。個人的には、最近ますます過激になっているTVショッピングでの商品プレゼンター(進行係)の立て板に水の如き流暢な喋りもわざとらしさを感じ、不快感を覚えている。
 食品の偽装に関しては原材料及び産地偽装表記と消費期限・賞味期限の不正表示に大別できるが、前者のほうが悪質ということで社会的制裁も強く、ほとんどの企業があれから倒産している。消費者自身も消費期限・賞味期限を過ぎていても、自己判断で大丈夫と思えば、2/3以上の人が食べてしまっているそうだ。どうしても昔の人は「もったいない」という気持ちが先に出てしまい、私も食べている一人である。嘘はよくないことは十分承知しているが、赤福は30年以上前から消費期限の改ざんを続けていたのに、それによる食中毒がマスコミに取り上げられることはなかった。
 私が子供の頃には一般家庭に冷蔵庫はなかった。三種の神器と言われた白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が各家庭に普及しだしたのは’60代からであるが、その中でも冷蔵庫は一番遅く、’60代の中頃ではなかったと記憶している。だから、昔の人は食べ物にたいしての保存、安全に細心の注意を払っていた。危なそうな食べ物には必ず火を通していた。母親が臭いをかいだり、少量を口に含んで、腐っていないか調べていたことを思い出す。マンションを買う、家を建てるというような一生に一度のことには、専門的な法律の庇護が必要だろう。しかし、日常生活での取捨選択、危険予知等の行動判断力は、人に任せきりにするのではなく、生きていく上での知恵としてある程度日頃から身に付けておくべきだと、私自身は考えている。今では冷蔵庫の中のものまで腐らせてしまう主婦や若者も多くいるという。
 少し前まで、日本人は中国の偽装品、模造品、粗悪品のことを非難していた。私も多くの友人から中国人のよからぬ噂は耳にしていたので、そのようなことを平気でする民族なんだと思っていた。しかし実は、日本人も同じことをしていたのである。中国側に偽装を依頼していた企業もあった。日本人の道徳心も地に落ちた感がある。己の利や欲のためには人を騙してもいいという発想はなんとも悲しい。「騙されるより騙すほうが悪いのよ。」という言葉は昔の話。こんなご時世になると、自己防御の術を身に付ける必要がある。これからは何でも鵜呑みにしないで、疑うことから始めなければならない嫌な世の中になったということだ。この風潮は負のスパイラルに乗って、もっとひどくなっていくのだろう。
 両親から「約束は守りなさい。」「嘘はいけません。」「責任は果たしなさい。」と、よく言われた私には、これらの言葉を人としての最低限のルールと信じ、今まで生きてきた。このことは同時に、人様になるべく迷惑をかけない生き方でもある。「いつもお天道様がちゃんと見ているのよ。」この言葉も母親がよく言っていた。お天道様とは良心を持ったもう一人の自分と置き換えてもいい。そんなもう一人の自分を無くしてしまった人間ばかりの社会に、一年の世相を「信」と書ける日がいつ来るのだろうか。

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