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夏目漱石 (付・・・エピソード集)

石には楽しい、あるいは胸にジーンとくる(少なくても私には)エビソードがたくさんある。ある時は茶目っ気たっぶり、またある時は人情味のあるおじさんのエビソードを集めてみた。

 自宅で忙しく執筆をしている時、ひとりの男が面会を求めてきた。さほど親しい人間でもないので、
「いないと言ってくれ。」
 と、女中に命じた。
「おかしいなー。いるような気配がするけど。」
「いえ、お出かけになっています。」
「それなら、少し待たせていただけませんか。」
「それは困ります。」 
 どうもこの男はしつこい性格の持ち主らしく、一向に帰ろうとしない。それを書斎で聞いていた漱石は、ついにむっとなり玄関に出て行った。
「なんなんだ、君は。五月蝿いな。」
「やっぱりいたんじゃないですか。」
 と、その男が言うと、漱石は
 「本人が留守と言っているんだから、間違いなく留守なんだ。そんなこともわからんのか。」

 多忙だったり気分がすぐれない時、誰にもこういうことはある。しかし基本的に漱石は誰に対しても親切に対応した。
 ある時、弟子のひとりが漱石の家を訪ねると、見たことのない中学生に英語を教えていた。その中学生が帰った後、その弟子が尋ねた。
「あの子はどこの子ですか。」
「どこの子なのかな。」
「知らない子に英語を教えていたのですか。」
「ああ。英語を教えてくれと言うからね。私は忙しい人間だから、今日一度だけは教えてあげようと言ったんだ。」
「誰が先生のところに習いに行けと言ったんですかね。」
「いやあ、あなたは偉い人だから、英語も知っているだろうと思ってやって来たんだそうだよ。」
 
 漱石は舞い込んできた手紙や葉書にも丁寧な返事を書いている。トンチンカンな青年の手紙にも、厚かましいオヤジの手紙にも返事を書いている。そのことは残された膨大な手紙が証明している。文部省からの「博士号の授与」の通知書に対し、権威が大嫌いな漱石の「それを辞退する」手紙のやり取りは有名である。これは長くなるので割愛する。

 家庭での食事中に飛行機のことが話題になり、
「あんなに重いものがどうして飛ぶのかなー。」
 と、息子がそんな疑問をつぶやいた。この疑問に論理明晰、科学知識皆無の漱石はこう答えた。
「ふん、重いのが飛ぶのではない。軽いから飛ぶのだ。」

 松山中学赴任直後のこと、悪ガキどもは東京から来る新米教師をギャフンと言わせようと、机上に辞書を用意し、おかしな訳をしないか待ち構える。
 上手い具合に辞書とは違う訳をした。この時とばかり生徒のひとりが、
「先生、それは違うぞなもし。こっちの辞書にもこの辞書にも、そんな訳は書いてありませんぞなもし。」
 しかし漱石少しも慌てず、
「それは辞書の間違えだ。直しておけ。」

 これは漱石のエピソードの中でもいちばん有名なひとつである。
 東京帝国大学で英文学の講義を行っていた時、ひとりの学生が片手を袖に入れたまま講義を聞いていた。
「君、手を出したまえ。」
 その生徒はいくら注意されても袖から手を出そうとはしなかった。
「君、聞こえないのか。手を出したまえ。」
 もう一度、漱石は言ったが、それでもその生徒は従わなかった。
 授業が終わり、漱石がその生徒のところに歩み寄ると、近くにいた生徒が、
「先生、彼は子供の時に大怪我をして、片手を失ったのです。その点をご了解ください。」
 それを聞いて、それまで烈火のごとく怒っていた漱石の顔から血の気は引き、苦しまぎれにこう言った。
「僕も無い知恵を絞って講義をしているのだから、君も無い手を出して講義を聴いてくれ。」
 しかし、この話には尾鰭がついて、実際は黙って教室を出て行ったという説もある。

 漱石に遺言としての言葉は残っていない。しかし、亡くなる日の朝に末娘に言った言葉がある。普段は「この馬鹿野郎」というのが、漱石の子供に対しての口癖だったほどで、厳格な父親として子供たちに怖れられていた。
 その日、末の女の子は漱石の枕元に連れて行かれ、あまりにもやつれてしまった父親の顔を見て、ワアワア泣き出してしまった。
 鏡子夫人が
「泣いてはいけません。」
 と、たしなめるのを聞いて、漱石はかすかな声で、
「もう泣いてもいいんだよ。」
 と、やさしく言ったという。
 すでに死の覚悟はできていたのである。

 漱石と鏡子夫人との夫婦仲はよくなかったとか、鏡子夫人は悪妻であったとかいう話がある。私にはその真偽はわからないが、二人の性格はかなり違っていたことは事実と思っている。夫人には自殺未遂もあり、離婚の危機も何度かあった。
 漱石夫妻が知人の媒酌人を務めた時の話である。おめでたい席ではつつがなく進行することを旨とする。鏡子夫人は三々九度の盃事の時に使用される「三つ重ねの盃」のことを思い出し、漱石に声を掛けた。
「三つ組の盃が二つしかない結婚式がありましたね。」
「けしからん。いったい誰の話だい。」
「私たちの話ですよ。」と、鏡子夫人が言うと、漱石は
「そうかい、俺たちのことか。道理で喧嘩ばかりして、とかく夫婦仲が円満に行かなかったわけだ。」

 このようなエビソードは枚挙にいとまがない。

 おそらく、これから半年、いや1年か2年、漱石作品を「もー、いいか」と思うまで、余暇を見つけては読んでいくことになると思う。過去の自分にも会うことができる。今回が漱石ワールドに立ち寄る最後の機会になるだろう。
 気の向くままに書いた粗悪長文に付き合ってくれてありがとう。それでは病院に行って、脳スキャンを撮ってくる。

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