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夏目漱石 (下)

人的見解と前置きして、私の思う漱石を最後に書いてみたい。彼の小説、演説集、逸話集などを読むと、次のようなことを感じる。
 漱石の小説の中に、親子を題材にしたストーリーは極めて少ない。また物質面での「生きる」ということも除外している。まさに「高等遊民」の世界である。私のような俗人には、「愛欲と金欲」の交錯したどろどろとした世界を、漱石ならどのように書いたか知りたいと思ってきた。「夫婦」「恋愛」「友情」「師弟」の関係を通して、漱石は精神面での「人とは何か」をひたすら追求している。多種多様のキャラクターを設定し、「こんな人物、どう思う?」と、問い掛けているような気がする。
 漱石は小説の中に自分の性格、周りにいる人物の性格を巧みに登場人物に投影させている傾向がある。「坊ちゃん」の登場人物は、全員に少しずつ漱石の性格を持たせていると言う研究家がいるほどである。漱石は自分を含めた人間観察がとても鋭く、人の「愛・信・義Vs猜疑心」の葛藤を投げかけ続けた。
 漱石は書くほうばかりでなく、人前で話すことも上手く、日本各地で多くの講演を行っている。各会場でその日の題目が話されるのであるが、中には難解且つ複雑なものもある。それを聴衆に分かり易く、譬(たとえ)を引用して説明する術は巧みである。また、時折ユーモアも交えている。島田紳介や私のような人を小バカにした笑いではなく、品位あるユーモアである。
 我がまま、頑固、我執、孤独、コンプレックス。これが漱石のキーワードだと思う。そして、決して幸せとはいえない幼児時代の経験が、思考、創作の原点にあるように思う。50年という短い人生を「人の本質」を模索しながら筆一本で壮絶に生きた。ここらあたりに男性ファンの多い理由があるのかもしれない。
 「漱石」とは、昔の中国のことわざ「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」からきている。本来の言葉は「枕石漱流」(石を枕にして眠り、川の流れに口を漱ぐ)であるが、間違えて「漱石枕流」と言ってしまった孫楚という男がいた。
「それじゃ意味が通じない、お前間違えただろ?」
 と、指摘した友人に孫楚は
「いやいや、俺は石に口を漱いで歯を磨き、川の流れを枕にして耳を洗ってるんだ。だからこれでいいのだ。」
 と、自分の間違いをごまかすために、強引にことわざを変えてしまった。
 それ以来「漱石枕流」は「頑固者」「へそ曲がり」「負けず嫌い」という意味のことわざになった。
 漱石はその男の性格が自分にそっくりであるこのエピソードを気に入り、「漱石枕流」の「漱石」をペンネームにした。ちゃんと漱石は自分の性格をわかっていたのである。
 この12月9日で漱石が亡くなって91年。今日まで近現代の大文豪として愛され続けているのは、作品の普遍性と深遠さにあることは言うまでもないが、気難しい反面このような憎めない性格であったからではないだろうか。
 漱石の小説は前期においては「非人情」を傍観的態度で洒脱に、後期においては「エゴイズム」を理知的に鋭くえぐり出している作品が多い。その内容も「坊ちゃん」を除くと難解な作品が多い。それなのにこの100年、時代を超えて彼の作品は愛され続けてきた。近代文学史の中で余裕派とか高踏派とか呼ばれ、文学の最高峰と位置付けられ、聖人君子のように思われている。しかし実は、私たちよりずっと正直に生きた人間臭い人間なのである。漱石ファンには人間としての漱石に魅力を感じている人も多い。

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