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夏目漱石 (上)

は我輩、漱石とそっくりなのである。いきなりこんなことを書くと、「ついに先生、おかしくなっちゃったよ。生徒たちに悪口雑言を長いこと続けてきたから、きっとバチが当たったんだ。」という声が聞こえてくる。日本の大文豪・漱石と対比すること自体滑稽なことは十分わかっている。彼とは「月とすっぽん」「釣鐘に提灯」。まだ足りなければ、「下駄と焼味噌」である。このことは十分承知して書いた。この文章が書き終わったら、病院に行ってくるから、とりあえず最後まで読んでみてくれ。
 漱石の名前を始めて知ったのは小学生低学年のころだったと思う。父親が切手蒐集の趣味があり、卓袱台の上で切手の整理をしているその横にちょこんと座り、いろいろな切手を眺めていたら、漱石の肖像切手が目の中に飛び込んできた。10数枚ある「文化人シリーズ」の中から、どうして漱石だったのかはわからない。好きな顔だったのか、気になる顔だったのか。おそらく深層心理に父親像の原形に近いものがあったのだと思う。
 余談であるが、その文化人切手の中には現行と前回の紙幣の肖像になった人物、福沢諭吉・新渡戸稲造・樋口一葉・野口英世、そして夏目漱石の全員がいる。しかも使用されている肖像画も同一である。
 それから中学生になって漱石の名前を見ると、「あのおじさんだ」と思う程度で、活字嫌いもあり作品を読むことはなかった。高校生になって現国の教科書で定番の「こころ」に出会った。全体の1/10程度の抜粋文であるが、難しかったことしか印象に残っていない。大学受験の出典頻度の高い作家だったので、多くの問題を解いた記憶はあるが、1冊丸々読んだ作品はひとつもなかった。
 大学生になって、受験勉強のお陰で多少活字も苦手でなくなり、学生運動で手持ち無沙汰もあり、漱石の作品を読んでみようと思った。最初に読んだ作品は「こころ」「硝子戸の中(うち)」「草枕」と記憶している。いきなり彼の作品の中でも難解な部類に属する本を手にするあたり、あまり本を読んでいなかったことが推測できる。当然、どれもよく理解できなかったが、結局、大学生時代に一通りの著名な作品を読破した。
 名作はもう一度読みたくなるという。30歳になって二度目を読んだ。40歳に三度目を。50歳の時には体内管理システムの命令がなく読まなかった。そして還暦を迎える今、無性に漱石を読みたくなった。今回は彼の人となりや日常生活の素顔に関する本を読んでから、彼の作品を読んでみようと思った。だからこの2〜3ヶ月、初心に返ってそれらに関する本を10冊近く読んだ。書架で眠っていた本ばかりでなく、新しく購入した本もある。「漱石ものしり本」「漱石学入門」「漱石の思い出」「漱石ナビ」「漱石文明論集」などの類である。どちらかというと、難しく書いている専門書よりも、彼の人柄を知りたい訳だから、客観的事実を並べてあるほうがおもしろい。
 人は歳をとって、親の仕草に似ていることを知ることがある。自分自身でふと思うこともあるし、周りの人に指摘されることもある。長い人生の中で出会ってきた人物の影響を受けることは多い。接してきた期間の長短は関係ない。親ばかりでなく、師、先輩、友人たちからも少なからぬ感化を受ける。書物からもこれほどまでに影響を受けていたことを、この歳になって気付いた。
 人物からの感化の場合、残念ながら類似の真偽を確認することはできない。気付いた時には、その人物は変遷したり消滅したりしている。しかし、書物は当時のまま歴然と変化せずに存在する。20歳の時に読んだ一字一句違わぬ文字がそこにある。それを読んでいて、漱石とは素材、本質に雲泥の差がありながら、性分、発想が似ているのに気付いたという訳である。
 漱石の作品を何度か繰り返し読んでいくうちに、私の体内に彼の思想がたたき込まれていたことに驚愕している。類似していると言っても、質の違いのあることは重々承知している。どんな点かと指摘されても困る。メモしながら読んでいるわけではないので、ひとつひとつの類似点を細かく羅列することはできない。読んでいくうちに忘れていく。ただ、彼の講演集、随筆の類の本を読んでもらえれば、少しくらい私の意を汲み取ってもらえるのではと思っている。

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