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ペンスピナー

回「携帯電話」のことを書いていて思い出したことがある。
 現在40代中頃〜30代後半の人たちが学生の頃、クルクルとシャーペンを指先で回す芸「ペンスピナー」が流行った。当時、これを上手にできるかどうかが、大学へ現役で進学できたのか、浪人してしまったのかの判断材料になった。今またそのブームが再燃している。彼らのジュニア世代だ。最近、塾でもよく見かけ、注意することが多くなった。ペンノックも不朽の迷作(迷惑な作為)で、こちらも営々と続いている。10年程前、塾にセールスにきた営業マンが商品説明をしながら無意識にペンをクルクル回し始め、その態度が不快で即刻お引取り願ったことがあった。理由を言わなかったので、その営業マンは狐につままれたような顔をしていた。彼にはこれからも訪問先で同じようなことが起こるだろう。否、今までにもあったに違いない。可哀想に癖が取れないでいる。
 「なくて七癖、あって四十八癖」という諺がある。人は誰でも多かれ少なかれ癖を持っている。癖は親や近くにいる大人が初期のうちに注意し、止めさせるように働きかけなければ次第に激しさを増し、取るのが大変になる。貧乏揺すりもなかなか取れない癖である。人によっては何もしないという行為は心理的に不安になり、それを解消するためにペンスピナーや貧乏揺すりをして気を紛らわせているとのことで、大抵の場合何かしらの欲求不満、ストレスを抱えていることが多いと言われている。だからペンスピナーや貧乏揺すりは、何か考え事を巡らせている時とか、くだらない会議中とかに出てしまうらしい。凄い貧乏揺すりになると、周りの人間が地震と間違えるほどである。私も飲み屋で(店の作りもよくなかったのだろう)隣に座ったstrangerの貧乏揺すりが強烈で、ずっと揺れながら酒を飲んでいた経験がある。
 人は他の生物の命を食べて生きている。他の生物の生活権を侵害して楽しんでいる。偉そうなことを言っている人も、一人では生きてはいけない。社会生活の中で生きていく以上、他人に迷惑をかけないで、不快な思いをさせないで生きていくことはできない。他への侵害、迷惑、不快感を最小限にしたいということから、ヒューマニティーや社会規範が生まれた。マナーやエチケットは社会の潤滑油である。本来、社会規範は法よりずっと人間としての本質的ルールなのに、罰則がないために「俺の勝手だろう」ということになる。その風潮が時代とともに強くなってきた気がしてならない。
 不謹慎であるが、私はよく個人面接の際、子供の躾を犬の躾に例えて話すことがある。飼い主の命令に忠実な犬はみんなから可愛がられる。犬も尻尾を振り、好意を示す。鍛えられた犬は節度ある行動を取る。一方、飼い主の命令に従えない、吠えたり唸ったりする犬は誰からも敬遠される。場合によってはからかわれたり虐げられたりする。ますます凶暴になる。犬自身にとってどちらが幸せで楽しい生活を送れるかは容易に推測できる。犬を飼っているお宅にお邪魔すると、キャンキャン吠えまくる犬がいる。リードがなければ、襲いかからんばかりだ。犬好きな私でも蹴りの2、3発食らわそうかと思うことがある。そんな犬でも飼い主にとっては世界一の愛犬なのだ。犬には1歳半から2歳までの躾が大切だといわれているが、人間も「基礎の時代」の躾によって、その後の長い人生は左右されると考えている。 Every boy has in him the beginnings of the man he is to become, and the kind of boy he is now tells us the kind of man he will be.
 子供は自由奔放に遊ばせ、いろいろな経験をさせ、迷惑なこと、悪いことをしたら叱る。また同じ悪さをしたら、近くにいる大人が根気よく何度でも叱る。そんなことの繰り返しで、少しずつまともになっていく。だから、ひねくれた考え方であるが、幼少の頃おとなしい子供より、天真爛漫で活発な子供の方が叱られる機会が多く幸せな気がする。(大人になって直っていないとヤバイが・・・) あまり注意されたり叱られたりしない、いわゆる「いい子」として育ってきたタイプの子供は、自分の全ての言動を正しいと思い込んでしまう傾向にある。大きくなって打たれ弱い性格になる確率も高い気がする。本当に「いい子」ならいいが、「おとなしい子」には、将来のことを考えて、気配りしながら上手に叱ってあげる必要がある。どんな子供も未完の大器。(蕾のまま萎れていく子供もいるが・・・)
 私の世代の人間には、病気とは主に肉体的なことを指して言っていた。しかし近年、癖、性格、精神的弱さにまで病名がついている。日本中病人ばかりだ。私が50年遅く生まれていたら、中学生までの私はいくつの病気を持っていたかわからない。私の病気は大人たちの指導によって治っていったような気がする。そして、病気を治してもらった子供は、大人になって「感謝」という言葉を知る。

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