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携帯電話依存症

帯電話依存症が蔓延している。精神医学上の正式な診断名にはなっていないようだが、「テクノ依存症」とも呼ばれているらしい。ある意味、依存症は現代社会の病理を象徴するものだと、多くの精神科医は言っている。この携帯電話依存症はアルコール依存症によく例えられる。普通の酒好きとアルコール依存症の違いは、お酒を飲む量を調整することのできないコントロール障害と、お酒を飲む間隔が空いてしまうと禁断を起こす症状にあるという。携帯電話に置き換えるなら、携帯電話(携帯)をいつも持ち歩いていたり、そばに置いておかないと不安になったり、TPOをわきまえず、のべつ幕なし携帯を使っていないとイライラしてしまう症状ということになる。アルコール依存症を「アル中」と呼ぶように、携帯電話依存症を「携帯中毒(ケー中)」と言うのもうなずける。
 携帯の普及によって学校、職場でもその対応には苦慮し、いろいろと規律を設けているらしいが、その対応は千差万別のようである。塾でもこの1〜2年、携帯電話に関する注意、指導をすることが多くなった。今年から入塾の際の配布プリントに携帯の項目を一行加えた。自宅から塾までそれほど離れてもいないのに、携帯電話を持参して来る愚か者もいる。かばんの中に携帯を隠し持っているらしく、授業中に時折盗み見る生徒もいる。これらはもう完全なケー中と言える。ここまで進むと、“禁(筋ではない)”無力症と呼ぶらしい。塾生の中にも携帯を持つようになって、人格が一変してしまった者がいた。もちろんその生徒は勉強もしなくなり退塾していった。
 ゴルフのラウンド中にも、携帯をカートのフロントかごの中に置いてプレーする不届き者がいる。TVでもギャラリーの携帯の着メロやカメラのシャッター音が、選手のショットに影響を与える場面をよく目にするが、アマチュアレベルではプレー中に携帯に応答する者までいる。「お前は何をしにきたんだ。だから『ゴルフは遊び』と言われてしまうんだ。」と、言いたくなることがたまにある。このような連中はゴルフの実力やマナーのレベルの低い人間か、仲間内でも社会通念欠如の人間であることが多い。携帯が流行りだしてからゴルフ以外のスポーツをする機会が少なくなったのでよくわからないが、他のアマチュアスポーツでもこのように携帯を身の回りに置いて競技している者がいるのだろうか。ゴルフ同様、「遊びのスポーツ」とよく揶揄されているボーリングではよく見かけるが・・・。
 大の大人がこんな状態だから、社会規範習得中の子供たちに「自らの行動を客観的に見られるようになれ。」とは言えない。携帯電話依存症になってしまった子供たちは、我慢すること、考えることをしなくなり、自分の世界しか見えず、公共のマナー、集団生活のルールを習得できずに大人になっていく。昔の人はいいことを言っている。「何かを手にしたら、何かを無くしていることに気付け。」 負の部分のあることを教えなくてはいけない。薄情な私は、アルコール依存症同様、携帯電話依存症になって人生を台無しにしようと、「俺の知ったことではない。あなたの人生、勝手に使ってくれ。」と思っている。ただ他人に迷惑を掛けないで欲しい。小学生低学年から携帯を持たせている家庭もあるが、全体的に社会規範欠如の家庭ほど小さい頃から持たせている傾向にある。
 携帯電話の機能は日進月歩を続け、本来の通話目的の他に、カメラ、メール、ウェブサイト、音楽プレーヤー、TV、お財布、位置確認(GPS)など、多目的に使われるようになってきた。これからもますます進化し、生活の中心に居座るだろう。そのような中で、まず大人たちが携帯電話使用の模範を示し、子供たちに他人への迷惑の意識をしっかり身に付けさせることが大切だと思う。集中したい仕事、勉強、趣味の時間、あるいは静かな空間であるべき場所などでは、マナーモードにしておくことが最低のマナーであろう。現代は携帯電話の使用法で人間性が推し量れる。各人のグレーゾーンの認識が第一であり、それを子供に教えるのは親の責務であると考える。

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