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体内管理システム

歳頃までの俺は虚弱体質だったらしい。生まれて一週間全く○○がなくて、町医者に担ぎこまれたとのこと。そんな俺が手術ゼロ、入院ゼロで還暦を迎えようとしている。大人になってこの40年、病院に行ったのは20代に急性胃炎になった時くらいしか記憶にない。腹痛や風邪程度は自然に回復する。歯医者には小学生の時虫歯を一本治療してもらって以来行ったことがない。視力もまだ1.0 ある。老眼は進行しているが、調子がいいと老眼鏡なしでまだ辞書の字が読める。何しろ健康なのである。
 虚弱体質の上に疳の虫のよく騒ぐガキだったようで、幼稚園児からはそれがワガママな性格となって引き継がれ、中学生まで続く。高校生くらいから多少我慢と努力を覚えたものの、人間らしい性格になったのは社会人になってから。それでも「三つ子の魂百まで」、ガキの頃からの性分は消えない。この歳になってもヤンチャ坊主のままだし、自分勝手に生きている幸せなオヤジである(そう思うことにしている)。
 そんな俺がどうして健康に大過なく生きてこれたのか、40代の中頃に考えたことがある。どうも俺には「体内センサー」があるのではないかという結論に達した。体内センサーの知り得た情報は、ワガママな俺を何の抵抗もなくその気にさせる高度な「感情抑制付き体内管理システム装置」に送られる。人はよく「天のお告げで・・・」とか「もう一人の自分が・・・」のような表現を使うが、それとは似て非なるものである。俺のような縦横無尽の「もう一人の俺」もかなり自分勝手な発想をし、本体の俺と似たようなことしか考えない。また、無神論者である俺が「天のお告げ」を素直に聞くこともそうはない。俺の体内管理システムにはそんな俺の欲望をまず抹殺し、それからひとつの行動を俺に仕向けたり、止めたりする能力がある。
 超小型ロボットセンサーが血液のように体内を流れていて、多くの情報を集めてくる。それを大容量メモリーと高い精度の処理能力を持つCPUが俺に気付かれないように行動を管理する。俺が抵抗できないような精神状態にしておいて働きかける。だから、「健康のため」と意識して行動してきたことはほとんどない。結果的に自分のしてきたことが健康によかったということにすぎない。ジョギングとウォーキングは嫌いだったが、いつからか歩くことに抵抗がなくなった。今では年間300万歩も歩く。車の運転は昔から嫌いだったので、自転車と徒歩の移動が多い。健康の食事メニューなんて気にしたことがない。気の向くままに食べたいものを食べている。酒も飲みたい時に飲んでいる。毎日2杯の緑茶割りを楽しみにしているが、飲みたくない日が必ず定期的に訪れて、休肝日もちゃんとできている。どんな料理も濃い味は嫌いだ。ラーメンにも胡椒をかけない。とにかく野菜が大好きで、♪キャベツばかりをかじってる。
 健康面だけでなく、人間関係の在り方も体内管理システムに任せている。「好きは好き。嫌いは嫌い。」生理的に嫌いな人間にまで阿附迎合することはない。「俺を嫌いな人間がいてもいい。みんなから好かれる人間なんて滅多にいやしない。俺を好いてくれる人間を大切にすれば。」と、この歳まで感性だけで生きてきた。愚娘弓子にまで「お父さんはストレスになることは一切遮断して生きている。」と言われる始末。しかし、これも健康でいられる大きな要素。「間違いだらけの地図ならば、ないほうがまし。」という格言があるように、悪い人間なら付き合わないほうがいい。感性の合わない人間とは接点を少なくし、「和して同せず」が一番。それが双方の幸せというものだ。
 学校の勉強に対しては、この体内管理システムは働いてくれなかった。中学生の頃まで遊んでばかりいて、勉強などあまりしなかった。その影響で大学卒業まで学校の勉強は嫌いだった。大学受験勉強は特にきつかった。そんなに早くシステムのプログラムが完成するわけもなく、開発途上の装置では俺の極度の勉強嫌いまで対応できなかったと考えている。それでも中途挫折せず、何とか並みの大学に入れたので良しとしている。塾を始めたのも、大人になってからもっと真剣に勉強をしておけばよかったという自己反省から、勉強嫌いな子供たちに少しでも机に向かって欲しいという気持からであった。
 遺伝子なのか後天的なものか分からないが、上手に使えば生きていく上での大きなエネルギーになる行動力、集中力、そして活力、気力などの生命維持力が備わっていたことは幸せであった。両親からもらった人並みの心・知・体もあった。多少の器用さもあった。好奇心も強かった。そこのところを上手く考慮に入れたプログラム作りがなされてきたことに感謝している。子供の頃から、漫画は読まない。TVも安物のドラマはまず見ない。車の運転、携帯電話の使用も好きになれない。これも体内管理システムの指示に従っているだけだ。
 政治から○○、ゴルフから格闘技、論語からブラック・ユーモア、笑顔から叱責、熟考から衝動、そんなふうに幅広く生きていける自分が好きだ。感性で生きていける人生を楽しんでいる。俺にだっておもしろくないことはたくさんある。多くの失敗もある。しかし、愚痴を言ったり、言い訳をしたりしない。言ったところで、自分を惨めにするだけだ。「忙しい、忙しい。」とか「どうして俺だけ・・・」ということを言わないようにしている。ガキの頃、この言葉の乱用を父親からかなり戒められた。
 今の俺は物欲がかなり弱くなっている。精神的に煩わしいことは嗅覚で避けている。しかし、体を動かすことは億劫にしていない。毎日、マメに頭脳(あたま)と身体(からだ)を使っている。体内管理システムが、それが楽しい老後の迎え方だと教えている。そう信じて生きている。
 「亘は我の強い子だ。自分たちが産んだ子である以上、そのマイナスを少しでも軽減することが亘のため、世のためである。そのためには体内管理装置を取り付けてあげるしかない。」両親はそう考えたに違いない。そのために愛情を持って叱り、殴り、諭すことによって自己是正プログラムの基盤を考え出してくれたのだろう。子供に合った体内管理装置を「基礎の時代」に取り付けることは、親としての究極の家庭教育であると思う。嗚呼、親に感謝。

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