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団塊の世代

更その定義に言及するまでもないが、オリジナルの「団塊の世代」とは1947年〜49年生まれの人々のことを言う。実は、私もその一人である。戦後30年経った頃、作家・堺屋太一氏が小説『団塊の世代』を発表し、それからその言葉が使われるようになった。この期間の出生の増加は第二次世界大戦に参戦した国々に見られる現象で、米国ではベビーブーマーと呼ばれている。日本でのこの3年間の出生数は何と800万人を越える。現在でも700万人近くが棲息(?)していて、日本の総人口の6%を占める。私の記憶では、小学校から大学まで1クラス50人以下ということはなかったし、我等が母校・名門J 中(?)にも1学年300人近くの生徒がいた。団体行動は蟻の行列、集合場所は芋洗い状態というのが見慣れた当たり前の光景であった。参考までに、現在のJ 中1年生は60名しかいない。
 私たちにしてみると、好きでその年代を選んだのでもなく、結果的に誕生した年代が戦争後遺現象のために突出した出生数になり、私たちの世代だけに名称がついて別物扱いされるようになったというにすぎない。物心ついた頃から、「お前は死ぬまで競争相手が多いんだぞ。それだけ生きていくのが大変ということだ。」と、父親によく言われていたことを思い出す。そのことを意識して生きてきたつもりはないが、今でも覚えているということは、ずっとそのことが頭の隅っこにあったのかもしれない。小学生の頃、することもなく集落を徘徊していると、必ずどこかにたむろしている同級生がいて、暇をつぶすことができた。駄菓子屋の前やちょっとした空き地には、いつもガキの遊ぶ姿が見られた。昭和30年頃までは敗戦による物不足で、親たちは大変だったと思うが、子供であった私には「豊か」という概念すらなく、それが当たり前と思って生活していた。物はなくても、遊びを工夫し、天真爛漫に楽しい日々を送っていた。それから20代中頃までは、高度経済成長のお陰で時代とともに生活水準は上がり、中・高生時代のかなりの不良(ワル)も、全然勉強しない脳足りん(ノータリン・・・造語)もそこそこのところに就職できていた。後年、札付きの悪(ワル)がO市役所の窓口にいたのには驚いた。中学校で後輩いじめをし、今度は市民いじめかよ。「お前、それはないだろ?」と、複雑な気持だった。
 高校時代は大学受験のことが頭から離れない3年間だった気がする(私の場合)。ここから世代間の競争が始まる。当時の4大・短大の進学率は25%、それに対し現在は50%近くにもなるので、受験戦争が激しかったとするのは必ずしも適切な評価とは言えないとする意見もあるが、出生数は今春受験を迎えている世代の2倍を越え、大学の数も今よりずっと少なかったことを考えると、団塊世代を「受験戦争一期生」と位置付けてもいいように思う。しかし、嫌いな勉強をそれなりにして(否、させられて)大学に入っても学生運動真っ只中で、講義を満足に受ける状態ではなかった。学生運動の実体を今考えると、彼らには何の主義も信念もなく、全体の1割程度の学生が憂さ晴らしに暴れていたとしか思えない。多くの一般学生は授業料だけは取られ、校門はロックアウトされ、時間を持て余していた。数人の全共闘生がいきなり教室に竹やりを手に、喚きながら授業妨害に来たが、体育会系の猛者(もさ)に一喝され、すごすご退散するという漫画のようなこともあった。結局、私たちの学年は卒業式すらもなかった。
 そして、自己顕示欲と競争意識が強く、しかも劣等感を持つ団塊世代は、就職して猛烈社員になっていく。単身赴任者や共稼ぎ夫婦が急増していく時代でもあった。その頃、「オー猛烈!」というコマーシャルが流行っていたことを思い出す。結婚して子供ができると、マイホームパパに転向する者もいて、彼らの家族形態はニューファミリーと呼ばれた。結婚し子供を持ったなら、その子供を次世代を担う人間に育てることは、親として人として大切な務めであるが、猛烈社員のように仕事一辺倒で子育て全てを妻に任せ切りの夫や、夫婦共稼ぎで子育てを他人任せにし、たまに家族が揃うと子供を甘やかしていた夫婦は、社会人としての義務を果していなかったことになる。団塊ジュニアあたりから社会通念欠如の子供が多くなったことを考えると、子供の教育・躾に関する団塊世代の世代責任は大きい。家庭と仕事をうまく両立させる能力がなかったと言える。これには団塊世代の成長期(基礎の時代)の時代環境が大いに影響しているように思う。
 ついでにもう少し世代批判をしておく。全体として団塊世代の昭和時代は恵まれていたと思う。オイルショックのような多少の景気の起伏はあっても、人口の多いことが好循環し、豊かな労働力、大量消費、その上に技術革新も始まり、右肩上がりの時代が続いた。それほど努力しなくても、それなりの生活を維持できる時代であった。「一億総中流」という奇怪な意識も生まれ、欲望を満たすのに忙しく、まさに心を亡(な)くして生活していた。個人主義や物質主義が蔓延し、「消費は美徳」というとんでもない言葉まで生まれた。そんな感覚でよい子育てなんてできるわけもなく、ましてや自分の将来、地球の未来など考えるゆとりなど持ち合わせていなかった。その時がよければいいという、まさに世代全体の感覚がバブルになっていた。
 そのツケが平成に入り、40代から表れる。バブル時代には社会の中核を担って働いていたが、崩壊後にはリストラや会社の倒産で転職していった。早い者は、50歳前に出向社員になったり、志願退職している。ホームレスにも団塊世代は多いと言う。会社人間だったために家庭崩壊し、熟年離婚という話も耳にする。そして今、多額の退職金や老後の年金支払いで煙たがられている。現在70歳以上の世代は、団塊世代の労働と税金のお陰で安定した老後を送ることができているのにと思うと、不条理を感じる。団塊世代の退職、いわゆる「2007年問題」が今年からいよいよ始まるが、マスメディアはこの機に乗じて、団塊世代の人物像、社会に与えた功罪などをまことしやかに論じ合っている。あまりいいことは言われていないようだ。特にサラリーマンは先輩・上司からは「指示待ち症候群」と無能者扱いされ、若い世代からは「勝ち逃げ世代」となじられている。団塊世代の中では異端児として生きてきた私には、どんな揶揄も気にはならないが、同世代の一人として、どうして団塊世代だけが責められなければいけないのか納得できない。大半の人は与えられた時代の中で、小市民として一生懸命60年間生きてきたのに。
 今この時間も、NHK総合TVで団塊世代の3時間SPお節介番組を放送している。余計なお世話だと、私は書斎でこの原稿を書いている。今なぜ急に団塊世代なのか、その意図が見え透いているのが腹立たしい。相も変らぬマスコミの話題作りと拝金主義企業の消費ターゲットにされているに過ぎない。団塊世代をまな板の上の鯉にして面白おかしく喋っている討論番組や、団塊世代を一派一絡めにして偉そうなことを書いている論評、このような番組や記事はどうも好かない。「お前は俺の何を知っているというんだ。お前にとやかく言われなくても、ここまで生きてきたんだから、死ぬまで俺なりに生きていくよ。」と反論したくなるばかりで、精神衛生上よくない。劣等感の塊(かたまり)が歳をとると、天の邪鬼になってしまうのか。
 団塊世代向けの番組が多くなったお陰で、実は楽しみにしている番組もある。アーカイブズ系の映像(記録映像)を流してくれる番組や『あの歌が聞こえる』のような昔に戻れる番組だ。ナレーションはいらない。当時の歌がBGMとして流れているだけがいい。『あの歌が聞こえる』は、ちょうど仕事が終わった直後の10時45分に始まる。焼酎の緑茶割りを片手に、♪肴は炙ったイカがいい。女は無口な人がいい。しみじみ飲めばしみじみと、思い出だけが行き過ぎる・・・。「あとは勝手に俺の世界に浸らせてくれ。」という心境である。年寄りは外部からの刺激がないと、昔を思い出せない。しかし、いったんその世界に入ると、次から次へと芋づる式にいろいろな昔を思い出す。これがたまらなく嬉しい。涙が滲むこともある。旅したことのある土地の映像を見て、当時の自分を思い出す、あの追憶と同じだ。次回の『あの歌が聞こえる』は2月28日、中村雅俊の「ふれあい」 ♪悲しみに出会うたび あの人を思い出す 何気ない心のふれあいが 幸せを連れてくる・・・。こんな小さな癒しの中に、生きてきた喜びや証が隠されているのかもしれない。

私の選ぶ団塊世代のキーワード
 競争社会 学生運動 フォークソング 仕事人間とニューファミリー     
 消費文化 バブルとリストラ 熟年離婚 老後問題

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