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生活環境の変化と心の荒廃

育議論が再燃している。政府は「教育基本法」の改正に躍起になっている。マスコミは「いじめ」、「自殺」、「教師の資質」、「必修科目の未履修」などの記事を報道の中心に据えている。OECD国際学習到達度調査の結果や各大学研究機関の調査報告などによると、我が国の小・中学生の学力はかなり低下している。また、文部科学省の体力や運動能力調査の結果によると、この10年間で児童の体力や運動能力は1割減退している。このことから当然、気力や精神力も低下していることは容易に推測できる。確かに、この10年間の子供達の能力(ここでの「能力」とは、脳力、体力、気力を総括)の低下はあまりにもひどいものがある。現場で教えていて痛切に感じている。
 どうしてこのように子供たちの能力が低下したのか? その主たる原因は生活環境の変化にあると考えている。個々のDNA、親の教育・躾不足、教師の質の低下、文部科学省の愚策もあるとは思うが、これらのことは昔もあったことで、環境の変化との相乗作用の一因にはなっていても、主たる原因とは考えにくい。大人たちが快適な生活を求め過ぎたツケが、子供たちの能力の低下を生み出したと考えている。動かなくていい、考えなくていい、何もしなくていい生活の副作用という気がしてならない。
 技術革新の恩恵により、現代人の心の荒廃は年々進んでいる。親の生き方を見て育つ子供たちはその影響を直接的に受け、その結果として子供たちの学力、体力の低下はひどいものになった。科学技術は人をより安全に、より便利に、より簡単にという大義名分のもと、人をますます愚かにしていく。原爆の開発に携わり後悔したと告白しているアイシュタインも、人間社会は科学だけで成り立つものではないと言っている。快適な生活を享受するならば、その分よく考え、体を動かすことをしなくてはいけないのに、現代人は余暇を欲望を満たすことにしか使っていない。こうなると、飼い慣らされた肉食動物、安全を確保された草食動物のように、人も本来の姿を忘れて生きていくことになる。
 毎日の生活の中には学ぶことがたくさんある。否、あった。危険なこと、不便なこと、不自由なことのほうから、むしろ多くのことを学んだ。危険な目に遭うから、注意深くなる。不便なことを知れば、用意周到になる。不自由なことがあれば、我慢を覚える。体力をつけることも日常生活の中にころがっていた。昔の家事は重労働であった。毎日、和式トイレで5分、10分踏ん張っていれば、自然と足腰は強くなる。子供が家の中で遊ぶことなどなかったし、30年前までは2Km、3Kmを普通に歩いていた。ケニアをはじめとするアフリカ諸国が長距離走に強いのも、毎日の生活の延長にすぎない。先進国(とりわけ日本)は、このように日常生活で、脳力、筋力を昔のように使わなくなり、その結果気力、体力もなくなってしまった。
 小学生高学年の頃、お風呂を沸かすことは、私の家事のひとつであった。父親が仕事から帰って、すぐお風呂に入れるようにしておく。遊んでいても、楽しくても帰らなくてはならない。もちろんガスなどない時代である。薪で沸かす。薪は予め自分で割っておく。火が完全に消えるまで、火を見張ることは当然である。風の強い日もある。上が熱くても下は水だということを知る。追い炊きは大変なので、少し熱めに沸かしておくことを覚える。こんな日常の仕事からも、多くの知恵を学んだ気がする。
 昔の子供は母親に頼まれて、近くのお店によくお使いに行かされた。500円札、100円札を渡されて買い物に行く。レジのない時代、複数の商品や量り売りの商品を買うと、おつりを間違えられることがたまにあった。だから、自分もおつりの計算を無意識のうちにしていた。25円の豆腐2丁と7円の油揚げ6枚。100円札を出して、お釣りはいくら。日頃からこんな計算をしていれば、100マス計算なんて必要ない。
 好きな子ができた。デートの電話をかける。電話番号もしっかり覚える。かける時間もいつにするか考える。たいていその子の親が出る。嫌われないように、使い慣れない丁寧語を使う。会話も考えながら話す。電話を切ると、母親が「誰なの?」と、鎌をかけてくる。「友達だよ。」と、とぼける。好きな子に電話をかける一つのことにも、いろいろ考えて行動した。20件〜30件の電話番号を覚えることに比べたら、歴史の年号などすぐに覚えられる。
 毎日の生活習慣は強い。恵まれすぎた環境は怖い。人間は居心地のよい場所を求める。狡猾さを覚えた人間と怠惰を知った人間は、なかなか自分に厳しくできない。大人にもそんな人間はたくさんいる。贅沢が当たり前になると、感謝の気持ちは薄くなる。便利を知り楽をしていれば、面倒なことはしたくなくなる。ありがたいことがありがたいことでなくなり、当たり前のことが当たり前でなくなる。こんな気持ちに慣らされながら、現代人の心の荒廃は進んでいく。
 現代社会の必需品は車と携帯電話。皮肉なことに、この二つが迷惑の根源になっている。車では乱暴運転、飲酒運転、そして違法駐車。携帯電話は、所持する本来の目的も考えず、マナーも身に付けず、他人への迷惑を顧みず使いまくる。車と携帯電話は重宝であるがゆえに、人の心と体を衰弱させていく。何でも車で用を足していれば、汗をかくことはなくなり、足腰も弱くなる。携帯で思いつくままに、電話したり、メールを送ったりしていれば、思考が停止する。余談になるが、最近は自転車に乗りながらメール打ちをするバカ者をよく見かける。車を運転する者にとっては何度か冷やりとさせられたことがあると思う。歩行者に対してもとても危険な行為であるが、その究極の姿を先日見かけてしまった。なんと子供同乗器に我が子を前に乗せながら、メール打ちしている。そのバカ者は30歳前後の母親と思しき女。呆れて言葉もなかった。そんな親に限って、自分の子供が事故に遭うと、人一倍文句をたれる。
 便利なこと、楽なことをしてはいけないと言っているのではない。こんな文章を書いている私が、誰よりも現代に生まれた幸せを享受して生きてきた。何かを省略する時、人として大切なことを忘れていないか気にする必要があるのではないかと言いたいのである。最低限の人として考えなくてはいけないこと、忘れてはいけないことがあると思う。そのことを守れない親が多いから、そんな親を持ったガキは目を覆いたくなる言動を取る。「おい、お前、そんな心で人間やっていくのかよ!」と、私のほうがガンギレしたくなる10代が多い。彼らの言葉を借りれば、「ぶっとんでる」あるいは「こわれてる」ガキをそこかしこで見かける。最近の親は子供とよく遊ぶが、遊ぶだけで子供に伝えるべきことを伝えていない。家庭は文化の伝承の場でもある。昔の子供は社会の一員としてのマナーから家庭の味まで、多くのことを親から教わって育った。
 個人が車を所有したり、家庭用のエアーコンが普及しだしたのは、30〜25年前くらいからである。その頃から人は、都会的、文化的な(?)生活にあこがれ始めた。三大家事とは洗濯、炊事、掃除であるが、洗濯機はその頃に普及しだし、今では乾燥までオール自動。食事の支度も、コンビニやスーパーの調理品で済ましている家庭は多い。あとは掃除であるが、これもあと5年もしたら、吸引小型ロボットが家中を走りまわって、きれいにしてくれる時代になっているだろう。世の中は、今より速いスピードで何もしなくてよい時代になり、それに比例して人の心は荒廃し、マナーや能力の格差もますます進んでいく。日本の未来社会はどこまで住みにくい世の中になっていくのだろうか。

り言 : このように生活環境の変化のために、子供の能力が退化していく今の時代、次の4点をしっかり頭に入れて子育てをしておくと、子供が大人になった時のアドバンティジになると思います。今の時代はあなたの学生時代とは大きく違っています。40年子供たちに接してきて、今ほど家庭教育の必要性を痛感する時代はありません。
@ どの子供にもADHD(注意欠陥多動性障害)とアパシー(無関心・無気力・無感動などの状態の総称)の傾向は多少あるものですが、なるべく早い時期にそれを取り除くことは賢明です。
A 活字に親しませ、速い計算力と記憶力を養います。暗記は「詰め込み教育」の弊害のように言う人もいますが、学習の基本はこの3点です。理解力、創造力、応用力等の能力はこの上に成り立ちます。
B これらのことができないなら、外部の力を借りるしかありません。家族以外の信頼できる人(子供を引っ張ってくれる人)を探します。学力を重視する家庭なら、小学校に入学したら塾に行かせることも必要です。経済的余裕があれば、私立学校も考えます。公立小学校、中学校の質は、その学区の住民のモラルにある程度比例しているように思えます。
C @〜Aのできている子供には、何か1つ2つの家事を分担させます。子供の日常習慣をチェックし、マナーを身に付けさせます。そして、耐える力、考える力、行動力、状況判断力を伸ばします。
 これで、これからの時代に順応し、かつ自分の人生を楽しめるご子息、ご令嬢の誕生です。言うのは簡単ですが、実行するのは難しいことです。私にも分かっています。しかし、子供の教育・躾は親の義務です。いじめをする子供は、親権者を監督義務違反で罰すればいいのに、と思っている私です。「お宅のお子さんはいい子です・・・どうでもいい子です。」と、言われないようにしてください。

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