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丹波哲郎

波哲郎が亡くなった。好きな俳優の一人だった。実は大学の大先輩であり、学部も同じである。育ち、風貌、エピソードから、自由奔放、豪放磊落な人生を送っているなぁと思ってきた。彼は東京屈指の大地主の家に生まれ、おもちゃ屋に行っても、お菓子屋に行っても、指差した物は何でもくれたそうである。あとで店の者が家に請求しに行ったのだろう、と彼は言っている。だから、大人になってもかなりの我が侭だったらしい。撮影時間は守らない、台詞は覚えてこない、NGは当たり前。出演依頼は二度断り三度目に応諾する・・・など、信じられないようなエピソードをいくつも読んだり、聞いたりしたことがある。マネージャーの条件は「仕事を取って来ないこと」で、仕事を取りすぎるという理由で解雇されたマネージャーが複数いたという話もある。ただ、私には直接迷惑が及ばないので、そんな彼の生き方が好きで、出演する映画、TV番組を多く見てきた。
 芸能界では、役柄や明るく豪快な人柄から、多くの後輩たちに「ボス」と慕われていた。細かいことにくよくよしない、物怖じしない、そんな豪快な性格で、後輩を怒鳴ることも少なかったようだ。自分がかなり我が侭だったから、叱れなかったのかもしれない。(笑) 娘の弓子も、登下校の際、丹波哲郎宅の前で、2〜3度話し掛けられたことがある、と言っていた。仕事を離れると、女子大生と気さくに話したり、道で出会った子供にも気軽に握手に応じる、お茶目で、優しいおじいさんだったようだ。
 晩年こそ、バラエティー番組やTVドラマでの特別出演の引き締め役が多かったが、’60〜’70年代は存在感のある重厚な役者であった。「007は二度死ぬ」に出演し、三船敏郎と並ぶ国際俳優と呼ばれていたことは有名である。彼は数本の外国映画に準主役級で出演しているが、個人的にはイタリア映画「五人の軍隊」が、彼らしさが出ていて好きだった。日本映画では、やはり「砂の器」だろう。グループSのN君主演のTVドラマと比べてもらっては困る。月にすっぽん、提灯に釣鐘、斎藤佑樹に亀田三兄弟だ。スタッフ、俳優陣も豪華である。DVDで是非観てください。
 壮年になって、彼はいきなり自称「霊界の宣伝マン」になった。TVドラマ、映画出演は余興のようになって、文字通り「ボス」として、少し顔を出すだけになってしまった。彼の書いた霊界の本も読んだ。簡単に言ってしまえば、現世で人のためになる生き方をしたかどうかで、自分が行く霊界が決まるというのである。現世での名誉、地位、金は関係ない。命を粗末にすること、過度の欲望、執着を戒めた。世の中の乱れも悲しんだ。報道によると、ガンで亡くなった友人の死が壮絶で、生への執着が異常だったのを見て、死を生の延長と捉えれば、いつか訪れる死にたじろがずに済むだろうと考えたという。いや、彼は賢いから自分自身の行動のいい加減さを十分わかっていて、それを穴埋めするために「霊界の宣伝マン」が適役と考え、演じていたのかもしれない。そんなふうに考えたりもする。
 私も自戒の意味を込めて、授業中に霊界の話を生徒によくしてきた。昨日も中1生に話した。誰でも死は怖い。死後の世界を知らない。そのことを上手く利用させてもらって、「この世で努力しないと、あの世で苦しむぞ。」と、霊界の話をしてきた。私のような我が侭で怠け者の人間は、生来なかなか努力しない。そんな自分を承知していた私は、現世の生き方によって、来世が決まるかもしれないと思い込むことによって、努力してきた節がある。そのお陰で、勉強も、仕事もそれなりにこなせてきた。何とか生きてこれた。そして大人になって知った。「まず命を大切にしろ!命あるものに思いやりを持て。約束は守れ。」そして「人生を楽しめ!そのためには努力しろ!」ということを。だから、あまり向上心のない生徒、努力してくれない生徒には、このことを伝えたくて霊界の話まで持ち出した。しかし、ダメなヤツはやっぱりダメだった!?(笑) 子供たちにはもっと今を大事に生きてほしい。歳をとれば取るほど「若い時ほど大事に生きろよ!」と伝えたい気持ちが強くなる。
 丹波哲郎の最期は、こうだったようだ。ただ、芸能メディアの情報なので、信憑性はないが・・・。病室で看護婦さんが彼の頭を洗い始めた。「気持ちいいねー。」と嬉しそうに言ったそうだ。そして、しばらくして「俺、どうも息していないみたいだな。」と最後の言葉を残して、周りの人が気付かないほど穏やかに亡くなっていたという。まさに生死の境目のないことを証明するかのように霊界に旅立って行ったらしい。私もそんな最期でありたい。合掌。

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