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夏期キャンプの裏話

ャンプの替え歌の記事を読んでいて、いろいろなことを思い出した。今になると、俺自身も楽しい思い出である。
 今年の正月、ナタで人差し指を半分切ってしまったA.T.君が、嫁さんを連れて塾に遊びに来てくれた。開口一番彼に尋ねた。「指の傷、どうなった?見せてくれないか?」 傷の跡は、目立たないほどに薄くなっていた。
 「良かったです。ゴルフもできますから。」と、彼は明るく笑った。
 一歩間違えば、救急車を呼んだり、警察の事情聴取を受ける羽目になるようなことが、他にもいくつもあった。泡を吹いて、意識不明になったM君は今どうしているだろう。蓼科登山の一行が予定の1時間、2時間経っても千代田山荘に戻ってこなくて、捜索願を考えたこともあった。女子中学生はデリケートだ。体調を崩して、地元の病院に連れて行ったこともあった。スタッフ運転の荷物輸送車が、バスの後方に付いて来ないことがあり、事故でも起こしたのかと心配したこともあった。
 この夏も10年ぶり、20年ぶりに偶然会った卒業生が数名いた。その中の1人にH.K.さんがいた。行きつけの飲み屋で会った。20年近く会っていなかったが、すぐにKさんだとわかった。Kさんは自分を覚えてくれていたことに感激すると、「三宅塾楽しかったです。キャンプ最高でした。」と、楽しかった塾の行事のことを喋り捲った。俺は同級生の消息なども聞きたかったのだが、完全に彼女のペースにはまってしまった。Kさんとはキャンプでも同じ班になり、当時から屈託のない明るい子だった。今も変わっていない。「みんなと会う時には、私も呼んでくださいね。キャンプにも行きましょうよ。」 別れ際にKさんの言ったこの言葉がこの上なく嬉しかった。
 今あれと同じキャンプをしろと言われてもできない。俺自身に体力と気力がない。そして時代も変わった。スタッフ、高校生の協力は大きかった。自分達が楽しんだことを後輩たちに教えようという伝承は20年続いた。当然俺は、班員の管理を班責任者のスタッフ、高校生に任せた。消灯時間も設けず、自由時間もたっぷり与えた。班長は先頭に立って班対抗戦を盛り上げてくれた。普段の授業の中で生徒を信じることができたから、あそこまで自由なキャンプができたのだと思う。子供たちに悪さを一番教えたのは、結構俺自身だったかもしれない。「うちの子にこんな恥ずかしいことをさせるんですか?」と言って来た親が、当時からごく少数ではあるが、いたことはいた。「それなら、参加させないでください。」と、私が言えば、それで片付く時代であった。
 若い頃の俺は無謀なことをたくさんしていた。そんな俺がキャンプなどの行事で子供たちをあちこちに連れて行くのを、母親はひどく心配していた。「よそ様の大事なお子さんに、もし何かあったらどうするの。」 今思うと、母親は全員が無事に帰ってくるまで、針のむしろに座った心地でいたのだろう。必ず大窪橋の解散地点に様子を見にきていたことを思い出す。後ろのほうから、みんなが無事であることを確認し、子供達が出迎えにきた家族と満足げに帰路につく姿を見て、おふくろも嬉しそうにして帰って行ったことを思い出す。
 「よけいな心配かけて、ごめんよ。おふくろ」

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