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みんなの名前、覚えてるよ

の頃よく卒業生に声をかけられる。HPを開設してもらったせいか、10年ぶり20年ぶりに会う卒業生が、この1年たくさんいた。20人前後はいたと思う。路上でバッタリが一番多いが、他にもゴルフ場のレストラン、ファミレス、コンビニ、本屋、大量販店‥‥思いがけないところでも会う。行き付けの飲み屋でも会う。街中でじろじろ見られることもある。多分卒業生なのだろう。特に女性は10年会っていないと分からなくなる。シワと化粧が邪魔をする。もしかしたら彼(あるいは彼女)は○○ではないかと思うこともあるが、俺のほうから声を掛けることはあまりない。迷惑な善意ということもあるし、「愛ある無関心」を装うことにしている。
 先日、板橋駅前で仕事帰りの卒業生(女性)に会った。「三宅先生ですか?私‥‥」と話し掛けてくれたが、俺は彼女の言葉をさえぎる。「はい。ちょっと待って、名前言わないで。」と。彼女(あるいは彼)が、卒業生に違いないと判断できた時、多くの場合このように答えている。そして、こう続ける。「俺、卒業生の名前、大体覚えていると思うんだ。名前、俺に言わせて。でも、もし間違えてたらごめん。」その時は、うまく名前と顔が一致した。彼女も喜んでくれた。彼女にOB会のHPのアドレスを渡しておいたので、この文を読んでくれているだろう。
 その数日後、やはり仕事帰りの卒業生(男性)に板橋の路上ですれ違った。「三宅先生、こんばんは。○○です。」彼には先に名前を言われてしまったが、すぐに顔を見て名前の出てくる卒業生であった。「今、どうしてる?」「はい。公務員になって、東京に通っています。」「よかったなー。これからも頑張れよ。」「ありがとうございます。失礼します。」彼は在塾の頃から礼儀正しい子だった。こんな夜のお酒は美味しい。
 小田原駅近くで、ベビーカーを押してる卒業生(女性)に出会った。いつもニコニコして感じのいい子だった。目立つ子ではなかったが、言われたことをコツコツ努力していた印象がある。目が合って、「久しぶり。元気にしてる?」赤ちゃんを見ながら「○○の子?可愛いね。」と言うと、「はい。」昔のようにはにかみながらうなずく。そんな彼女に辛いことがあったと風の噂で聞いていた。それを思うと、昔のままの明るい笑顔がよけいに切なかった。「これからきっといいことあるから、頑張って楽しい人生を送ってくれよ。」別れたあと、心の中で祈った。
 この3名は中学の部に3年間在籍し、卒業してからまだ10年前後の20歳代。だからよく覚えていたが、果たして俺はどれくらいの卒業生を覚えているのだろう。タイトルに「みんなの名前、覚えてるよ」なんて書いたけど、正直言って、俺の目の前に突然現れて、どれくらいの名前を言い当てられるだろう。
 この3月現在、中学の部卒業生は正式に816名(名簿に残してある在塾1.5年以上の卒業生の数)いる。他に高校の部から入塾した生徒もいる。その中で、何年かに1度会ったり、年賀状などで俺の埋もれかけている記憶を呼び起こしてくれている卒業生は、しっかり覚えている。また、高校の部まで6年間在籍していた生徒も、ほぼ全員覚えていると思う。しかも最近は、HP更新の際に写真掲載や事実確認のため、塾に保存されているMPS報やアルバムを見る機会が多くなり、作業の合間にクイズバス旅行、卒業旅行、キャンプなどの記事、記録、写真を見て、昔を懐かしんでいる。だから、みんなが思っている以上に、老いぼれオヤジの割には卒業生の名前を覚えていると思う。顔、体型が激変していなければ、かなりの確率で名前が出てくると思う。問題なのが卒業してから1度も会ってない、音信もない、MPSに顔写真が一枚も残っていない卒業生だ。よほどの美人とか学力優秀だったとかでないと、かなり苦しいと思う。正直言って‥‥。
 一番耄碌しているのが、卒業生の年齢掌握や上下関係だ。いわゆる「時代錯誤」がひどい。OB会で飲んでいても、ある卒業生をつかまえて「おい○○、いくら偉くなっても先輩を呼び捨てはまずいだろう。」すると「先生、△△は俺の2級下でキャンプの時、俺の班にいたんです。」こんな勘違いをよくする。久しぶりに卒業生に会った時、まず同級生に誰がいたかを聞いて、その学年背景を呼び起こす。するとその頃のことが徐々に思い出され、やっとのことで古きよき時代に舞い戻れる。そうなったら止まらない。生徒のこと、授業のこと、行事のことが次から次へと思い出されてくる。「あいつ、どうしているかなー。」「元気にしてるかなー。」耄碌している頭と追憶の関係は、ちょうどヘドロの中から噴き出すメタンガスのようなものである。(A is to B what C is to D.)
 俺は一人でも多くの卒業生のことを忘れないようにしている。この40年、俺のそばにはいつも学生たちがいた。本気、本音で叱り、説教し、一緒に笑い、楽しんできた。俺の人生はMPSそのものであり、生徒ひとり一人との思い出が、俺の財産である。確かにいろいろな生徒がいた。いろいろな父母がいた。辛いこともあった。苦手な人もいた。それは試練だったと考えている。みんな良き思い出だ。今は、卒業生、父母を初めとするMPSを支えてくださったあらゆる方への感謝の気持ちでいっぱいだ。(実は、卒業生のことを忘れないようすることは、俺自身のボケ防止のためのプラクティスにもなっている。)次はどんな卒業生に声をかけてもらえるか、楽しみにしている老後の日々である。

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