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自然災害・人的事故・病的犯罪 その5
 〜 青少年の病的犯罪 〜

 
間の遺伝子の総数は、昨年末の科学雑誌「ネイチャー」の新しい推計によると、2万ないし2万5000個だそうです。我々の日常会話での遺伝とは、親の持ついろいろな性質(形質)が子孫に伝わることを意味して使っていますが、その実体は染色体上に存在し、核酸の一種であるDNAであることがわかってきました。すなわち、DNAの塩基配列上に遺伝子という機能的単位が並んでいて、それがヒトあるいは個人の遺伝情報として子孫に伝わるということなのです。(もちろん、我々が日常生活で使うときは、遺伝子=DNAでいいと思っています。)そのDNAは60兆個とも言われている人間の細胞の核の中にあります。ヒトのDNAに書き込まれた情報の物理的配置(分子レベルの設計図)を解読しようとしたのが、あの「ヒトゲノム計画」でした。世界中の科学者によって、2年前にそれがほぼ達成されたと言われています。
 いきなり『青少年の病的犯罪』とは関係ありそうに思えない、DNAの難しい話からで恐縮です。実は、塾を始めてからすぐに、生徒達と接していて、10余年という短い期間に、どうしてこれほどまでに種々様々な子供ができるのだろうと不思議でいました。人間の性質は生まれながらのものか、あるいは学習によるものかということは、プラトンやアリストテレスの時代から議論されています。私もそのことに強い関心があり、「ヒトゲノム計画」のことが紙面を賑わしていた頃、トリビア的好奇心から薀蓄を深めようと、その種の本を少し読んでみました。「人間にとって生まれ(遺伝子)と育ち(環境)のどちらのが重要なのか?」ということです。結論から言うと、どうも環境のが重要のようです。遺伝子とは完全不変なものではなく、我々が胎児の段階から外界から影響を受け、外界からヒントを得る積極的参加者だというのです。ゲノムが分かれば分かるほど、遺伝子が経験に影響され易いのが分かり、今やこの考えが遺伝の考えを根本的に変えようとしているようです。遺伝子は我々に学ばせ、記憶させ、真似をさせ、言葉を刻み込ませ、文化を吸収させ、本能を表現させようとしている、というのが新しい考えです。遺伝子は単なる遺伝の運び屋ではなく、生きている限り活発に動いて、遺伝子同士はお互いにスイッチをオンにしたりオフにしたりし合っているとのことです。このスイッチ部分はDNAの連なりであり、遺伝子の上流部に位置していて、プロモーターと呼ばれています。
 子供は親にあれだけ顔や体系が似ているのだから、当然、性格、知能も似て生まれてくるものと考えています(医学的なことはわかりませんが)。生まれてきた子供は親よりも上でもなく下でもなく、親と同レベルのものとして子育てをすべきであると考えます。誕生の時から鷹が生まれることを期待してはいけません。鉛を二つに別けたら、片方がダイヤになることはありません。しかし、最近のDNAの研究では、子育ての仕方によっては、鷹にもダイヤにもなるかもしれないというのです。逆に親の人間性が怪しく、子育てもしないと、その子供は凶悪犯にもなってしまうというのです。本当に『基礎の時代』は大事です。大部分の子供は15歳まで親のもとで生活して育ちます。特に親の生き方、考え方には大きな影響を受けます。『孟母三遷』という言葉もあるように、家庭以外にも、育つ環境が大きく影響します。国情、地域、学校、親戚など、敏感な子供は全てに反応します。父親(あるいは母親)の職業も影響を与えるでしょう。どんなことが子供達に影響を与えているかわかりません。本当に些細なことが子供の一生を決めてしまうこともあります。
 子供にとって成長期の社会情勢(時代背景)はかなり大きな影響力を持ちます。これだけ社会が乱れ、悪がはびこり、情報過多の時代であると、子供達は密林のジャングルの中で生活しているようなものです。しかも今の子供達の多くは、自己抑制、危険判断、状況把握などする力が弱くなっています。しかも親もだらしないときています。行政が悪いのは、その代表者を選ぶ国民、住民が悪いのだという理論からいけば、青少年の病的犯罪、猟奇事件の多発は、その土壌である社会が悪く、社会全体の責任ということになります。確かに、現代大人社会の醜さや歪み、あるいは欲望丸出しの生活がそれなりの影響を与えているとは思っています。しかし、やはり未成年までの凶悪犯罪は、根本的に家庭が責任を負うべきだと考えます。歪んでしまった子供の原因は、主に親の子育ての放棄、過保護、常識不足、マナー、エチケットをはじめとする躾の欠如にあると考えます。そのような子供を作り出してしまった親は、ちょっと怪しいのが多いのではないでしょうか。また過激な発言をして、すみません。40年間、父母と面接を何千回としてきて、感じてきたことがあったものですから。
 現在の刑法では被害者遺族の心情が蔑ろにされているという意見もあります。刑罰の考え方には、刑罰の目的を犯罪者の教育とする教育(目的)刑論と、引き起こされた結果に応じて刑罰を科す応報刑論とがありますが、突然の事件や事故で(被害者の過失はほとんどなく)愛する人を失った悲しみは、当事者でなければわからないほど深いものです。少年であるために、精神異常であるために、犯罪者の刑事責任が問われないということになったら、その憤りのやり場もありません。未成年の子供に対する監督、保護、教育は民法の中にも謳ってあることであり、御上は何でも法成化するのが好きなのだから、あまりにひどい親には、親権不履行の過失罰則でも設けたらいいと思っているほどです。ヒトゲノムがもっと進んで、人間性は生まれ(遺伝子)より育ち(環境)ということが立証されれば、数十年後にはそんな法律ができているかもしれません。要するに、日本中の各家庭が『自分の子だけは被害者にならないで』から、『自分の子供だけは加害者にさせない』という発想になればいいということです。

三宅先生近影 左  昨年10月有隣堂同期会にて
  右  今年4月小田原湯本CC#15ホールにて
    左上の人物は湯本CCのTheO.B.ghost

私的余談 : 長いシリーズ(続き物)のお付き合い、ありがとうございました。頭に浮かんだことを、取り留めもなく長々と書いてきました。要旨は以下の通りです。自然災害だけはどうしようもありません。だから地球の怒りと考えることにしています。しかし、企業であれ、個人であれ、故意であれ、過失であれ、事故、事件は、現代人の心に潜む歪みが具現化したものと考えています。
 私はゴルフばかりして好き勝手に遊んでいるのではありません。いろいろ考えて生きています。そんな一片をお見せしようと、このシリーズの執筆に張り切りすぎ、少々疲れました。

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