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ゴルフと私

お前、そんな下手なゴルフしていて、どこが楽しい?」
 これは私がちょうど40歳のとき、グァムのゴルフ場でプレー中に、大学生時代からの友人に何気なく言われた一言である。勿論この言葉に悪意はない。冗談半分に言われたのだが、かなりショックであった。グァムには延べ10数回行っているので、その言葉を何回目のときに言われたのかは覚えていない。帰国後もその言葉が妙に心に残り、新しいクラブを買い、打ちっぱなしの練習場に通い始めた。生来のやり出したら夢中になる性癖と、ちょうど草野球をリタイアしたことと重なり、そのときからゴルフが趣味の一つになった。
 私の友人はグァムで某会社のジェネラル・マネージャーをしていた。私は彼の家に一週間居候し、ゴルフ三昧できた。朝6時起床。午前中ゴルフ。午後、彼はプレー後に支社長出勤だが、私は水割りを片手に読書。そして、うとうと昼寝。夜は美味しいディナー。念のため、そのとき隣に美しい女性をつけることまではしてくれなかった。私は彼の会社のVIP customer ということになっていたので、支払いは・・・そう、あなたの考えている通り。まさに天国であった。時代も1980年代後半、バブル全盛期で日本中が浮かれているときであった。
 当時の私は年に10回程度の月1ゴルファーで、スコアも調子がよければ90、悪ければ100を叩くという典型的なアベレージ・ゴルファーだった。誘われればついて行き、大叩きすれば「同じグリーンフィーだから、単価が安くなる。」と、不謹慎なことを言って、ゴルフを立派なスポーツであることを忘れプレーしていた。グァムでのゴルフ場でも「こんな大きな青い空。エメラルド色の海。緑の絨毯。気持ちいいなー。」と思いながら、プレーしていたのだろう。そう、しかもタダで。
 『趣味』とは新明解国語辞典によるとこうなっている。1.一定の修練を経た後、味わえる、そのものの持つおもしろみなど。2.利益などを考えずに、好きでしている物事。確かに、我々の趣味は、まず楽しくなくてはならない。楽しいからするのである。これが自然の感情であり、趣味=したいことと考えるなら、趣味に理屈はいらない。だからそれまでのゴルフの接し方は、「人間は楽しむために生まれてきたんだ。」ということを、信念の一つとして生きてきた私には、至極当然のことであった。ただ、彼のその言葉の中に、趣味だからといって、楽しいだけでいいのか?それは遊びではないのか?という1.の定義の『趣味』に、もう一人の真面目な振りをして生きている私が幸か不幸か気付いてしまったのである。
 趣味であってもやめてしまいたくなったり、一時的にしたくなくなるときが幾度となくやってくる。そんなとき、踏みとどまる要因の一つに、「ここまでやってきたのは、上手になりたかったからだ。」ということがある。これはスポーツに限らず、楽器でも、絵画でも、真剣にやっていれば、「上手くなりたい」、「もっと美しくできないか」、「こんな技術も身に付けたい」という向上心が、自然と湧き上がってくるものだと思う。向上心のない趣味は、その範囲の楽しみや喜びしか味わえない。向上心のない人間は、同じ趣味をしていてもルールの知識やマナー・エチケットが不足し、仲間からのひんしゅくを買うことも多い。ゴルフをプレーする人がアスリート・ゴルファーとエンジョイ・ゴルファーに区別されるように、自分の趣味が本当に趣味なのか、遊びなのか、向上心を物差しにして峻別してみたらいい。そうなると、一つも趣味がなくなってしまう人もいるかもしれない。酒、風俗、ギャンブルを趣味と言う愚か者がいる。それらに向上心は必要ない。ただの遊びである、いやむしろ『中毒』の枠にはいる類である。なぜなら逆にやめよう、控えようと努力するものだから。どんなものでもいいから、自分に向上心を植え付けてくれる能動の趣味を一つ探してください。真剣に取り組むなら、それに比例して向上心が生まれてくる趣味は、いつまでもあなたの身体も心も若く保ってくれるはずである。
 あれから16年。今ではゴルフをアマチュア・アスリートとして楽しむことができるようになった。多少は腕も上達したと思う。学生時代のあのひたむきな態度でスポーツをする喜びと、プレー後の心地よい疲労感を呼び戻すことができた。いつまでも少年の頃のように、純真な心で好きなものに取り組んでいきたい。健康でいられる限り、きっとゴルフとは死ぬまで付き合っていくことになるだろう。減退していく、筋力、体力と戦いながら。

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