お寺の境内地で、本堂正面のお墓に入るその入口にこちらの塔はあります。
こちらの塔の裏側に「元久二年」の文字があり、鎌倉前期1205年になります。 西方寺のごく初期の遺構になると思われます。
昭和にこの塔を解体した際に、塔の1番上の石の中から指の一関節程のお地蔵様がでてきました。