1977年  「Sunshower」 (1977/7/25発売)の頃
サマー・コネクション/部屋  大貫妙子  (1977)  Panam (Crown) 






1. サマー・コネクション [作詞作曲 大貫妙子 編曲 坂本龍一]  シングル A面
2. 部屋 [作詞作曲 大貫妙子 編曲 坂本龍一]  シングル B面


大貫妙子 : Vocal, Co-Producer
鈴木茂 : Electric Guitar
松木恒秀 : Electric Guitar (1)
吉川忠英 : Acoustic Guitar (2)
坂本龍一 : Keyboards, Arragement
田中章弘 : Bass
村上秀一 : Drums (1)
林立夫 : Drums (2)
斉藤ノブ : Percussion

国吉静治、生田朗: Producer

1977年7月5日発売

1.は、アルバム「Sunshower」と別録音 (再発盤CD 2007に収録)
2.は、アルバム未収録 (再発盤CD 2007に収録)

写真中: 1977年 オリジナル盤 右上部
写真下: 2015年 再発盤(Record Store Day Japan 2015限定)右上部

1. Summer Connection [Words & Music: Taeko Onuki, Arr. Ryuichi Sakamoto] A-Side
  Different Version From the One of LP "Sunshower"(Included in the 2007 Reissued CD)
2. Heya (Room) [Words & Music: Taeko Onuki, Arr. Ryuichi Sakamoto] B-Side
  Not Included in the Original Album (Included in the 2007 Reissued CD )
From The EP Issued on July 5, 1977

アルバム「Sunshower」1977の発売日7月25日に先行して発売されたシングル盤。シングル、アルバムともに地元のレコード屋さんに予約して発売日に買いに行った思い出がある。当時サンタナやジャスとロックのクロスオーバーが大好きだった私は、この作品を大いに気に入り喜んで聴いていたが、巷の評価は捗々しくなく、シングル、アルバムいずれも売れずに大貫さんはがっかりしたという。今では傑作と言われる作品が当時ダメだった理由として以下の点が考えられる。

1. 当時の批評の典型は「歌い手とバックのサウンドにギャップがある」というもので、当時皆が持っていた「大人しく歌う大貫さん」というイメージと合わなかった。物事は「こうあるべきだ」とされ、現在のような多様性が尊重されない時代だった。
2. スティーリー・ダンやスタッフを意識したグルーヴィーなサウンド作りが過激過ぎて、リスナーが付いて行けなかった。
3. 所属事務所が解散するなどサポート・スタッフがいない状況で、自分達で好き勝手に制作して、「いかに売るか」というマーケティングを全く考慮しなかった。
4. アルバムの録音日1977年5月13日〜6月6日に対し、7月25日という短かい期間で発売されたため、事前の宣伝が十分にされなかった。
5. レコード会社は彼らの音楽を理解できず、適切な宣伝活動を行うことができなかった。またコンサートなどによるプロモーション活動も不十分だった。

「Sunshower」の失敗により売れ線を作る必要に迫られたため、次作「Mignione」1978ではレコード会社やプロデューサーの小倉エージ等との制作方針についての軋轢に悩んだ。大貫さんによると妥協した部分も多かったそうで、それでも売れなかったので、「それみたことか」と思ったという。しかしレコード会社移籍後に発表した「Romantique」1980以降はヨーロッパ路線とテクノサウンドを取り入れたことで、活路を見出してゆく。

背景について述べたので、シングル盤の話に戻ろう。1.「サマー・コネクション」は、アルバム版と参加ミュージシャンが以下の通り大きく異なっているため、「別テイク」というよりも「別バージョン」というほうが適切だろう。

          シングル版        アルバム版
ギター     鈴木茂、松木恒秀      大村憲司、 同左
キーボード     坂本龍一           同左
ベース       田中章弘         後藤次利
ドラムス      村上秀一        Chris Parker
パーカッション   斉藤ノブ            同左

注: シングル盤ジャケット裏面には参加ミュージシャンの表示はなく、上記の情報はWikiの記事による。

一番大きいのは、リズムセクションの違いで、特にドラムスの演奏スタイルの相違が、曲のグルーヴに決定的な影響を与えている、どっちが良い悪いという問題ではなく、ドラム奏者が違うだけで曲ってこんなに変わるんだと思わせる最高の見本だと思う。当時天下一のクロスオーバー・グループ、スタッフでスティーヴ・ガッドと一緒に叩いていたクリス・パーカー(彼らの来日時に捕まえて、参加交渉して実現したとのこと)に挑んだ村上さんも凄いね。ベースも後藤のうねるサウンドに対して田中は得意のチョッパーで対抗している。シングル版ではテンポを上げているのもポイント。

ギター奏者については、鉄壁のリズムとおかず入れを行う松木恒秀は同じであるが、リードギターの違いが顕著。シングル盤の鈴木はいつもの訥々とした感じでソロをとっているが、大村はよりクリアな音使いで迫っている。これは推測であるが、シングル版はアルバム版の出来上がりをチェックしたうえで、ラジオで流されるシングル盤としての受けを狙って、その後に急遽行われたものと思われる。

B面の「部屋」は、従来の彼女のスタイルを思わせるスローな曲であるが、それでも確かなグルーヴが底流に感じられ、スティーヴィー・ワンダーのスロー・バラードに相通じるものがある。彼女のお気に入りとのことであるが、「Sunshower」のコンセプトには合わない感があるので、シングル盤に収めたのだろう。

後年アルバムが再評価されるに伴い、別バージョンとして本シングルは中古市場で高値を呼ぶようになった。その後2007年の「Sunshower」の再発CDに両曲がボーナストラックとして収録され、さらに2015年のレコードストア・デイ限定盤として、ジャケットやレーベルのアートワークや中袋を忠実に再現したシングル盤が発売された。両者の相違は以下のとおり。

@ ジャケット表面 右上のレコード番号と価格表示
A ジャケット裏面下の番号、クレジット、価格表示
B レーベル上のレコード番号、発売年表示
C 中袋裏面のバーコードの有無(オリジナル発売時はバーコードがなかった時代) 

別テイク、別録音、セルフカバーが大好きな私にとって、宝物のような作品だ。


 
 
1981年  「Aventure」 (1981/5/21発売)の頃 
ふたり / 愛に救われたい  大貫妙子  (1981)  RCA  

 

1. 愛に救われたい [作詞作曲 大貫妙子 編曲 清水信之] シングルB面

大貫妙子: Vocal
清水信之: Keyboards
青山徹: Guitar
奈良敏博: Bass
島村英二: Drums
松下誠: Chorus

牧村憲一: Producer
宮田茂樹: Director

1981年1月21日発売

1. Ai Ni Sukuwaretai (I Want To Be Saved By Love) [Words & Music: Taeko Onuki, Arr: Nobuyuki Shimizu] Single B-Side

 
1980年7月21日発売の「Romantique」と1981年5月21日発売の「Aventure」の合間に発売されたシングル。A面の「ふたり」は前者のアルバムから「Carnaval」に次ぐ2枚目のシングルカット。B面の「愛にすくわれたい」はアルバム未収録で、彼女らしくないメロディーと清水信之編曲によるラテン調のアレンジは、売れ線を狙った歌謡曲っぽい出来上がりになっている。当初はA面にするつもりで制作したが、自分らしくないと感じ、「地味で売れなくても、自分にそったものを出していったほうが良い」ということでB面に変更した経緯があるそうだ。なお本曲は2006年に紙ジャケット仕様による「Romantique」の限定版CD発売の際にボーナス・トラックとして収録された。

シングル盤には伴奏者のクレジットはなく、上記メンバーの情報はホームページのディスコグラフィーから収集した。いつもとは異なるメンバーになっているのが面白い。ギターの青山徹は、無名時代の浜田省吾と「愛奴」というバンドを組み、吉田拓郎のツアーバンドで演奏、その後スタジオミュージシャンになった人。ベースの奈良敏博は、サンハウスを経てシーナ&ロケッツのオリジナルメンバーになった人で、プロデューサーとしても活躍している。コーラスの松下誠は、スタジオ・ミュージシャンが結成したAORバンド、AB'sのメンバー(ギター、ボーカル)。

大貫さんのレコーディングのなかで、一番彼女らしくない曲。

[2024年3月作成]


 
1983年  「Signifie」 (1983/10/21発売)の頃 
魔法を教えて 大貫妙子  (1983)  FM放送音源 (未発表)  
 

1. 魔法を教えて [作詞 大貫妙子 作曲編曲 山下達郎]

大貫妙子: Vocal, Chorus
山下達郎: Guitar, Electric Piano, Tambourine, Mini Cymbal, Chorus
椎名和夫: Guitar, Chorus
野力奏一: Electric Piano, Piano
伊藤広規: Bass
青山純: Drums

佐藤康夫: Mixer
遠藤京子: Facilitator


録音: 1983年1月5日 NHKFM放送 「山下達郎のポップス講座」

1, Maho Wo Oshiete (Teach Me Magic) [Words: Taeko Onuki, Music & Arr: Tatsuro Yamashita]
by Taeko Onuki from NHK-FM Radio broadast "Pops Lecture Of Tatsuro Yamashita" on January 5, 1983
 

1983年1月1〜5日の5日間、NHK FMで放送された正月特別番組「山下達郎のポップス講座」の最終回1月5日は、大貫さんがゲストで登場し、「如何に曲を作るのか」をテーマに番組で実際に曲作りを実践した。その結果生まれたのが「魔法をおしえて」だ。

まず進行役の遠藤京子(番組の共同司会者)から場所がNHK放送センター602スタジオ、時間は午後5時過ぎと舞台状況が説明される。大貫さんと山下によるコンセプトの打ち合わせで、作詞家が大貫さん、作曲家が山下、歌い手が23歳の「ター坊」、そしてOL、サラリーマン、大学生など大人向けのニューミュージックと設定される。「このコンビでそんなにさ、ベストワンに入るシングルヒットなんて作れるわけはないよ」という山下の傑作なコメントの後で、「新人としては十分なデビュー」というターゲットが決まり、曲先で作業することになる。

山下がピアノの前に座り、時間的な制約により 2分位のコマーシャル用を作ると語る。ター坊の音域をチェックのうえ、「他の人が使わない音」でイントロの和音、リズムボックスを鳴らしてピアノでコードを弾きながらメロディーを決め、ワンコーラス、フック(サビ)、間奏、フックの繰り返しによる曲を約1時間で完成させる。放送はその過程を約10分に編集したもの。ある程度のアイデアは予め頭の中にあったと思うが、曲作りを1時間で仕上げるなんて凄い!最後にリズムボックスとピアノの伴奏で、山下が「ラララ...」とメロディーを歌い、大貫が「山下君らしい.....」とコメント。ここで遠藤が二人は芝の日音スタジオに移動したと述べ、山下のアルバム「For You」1982 から「Loveland, Island」をかける。

芝のスタジオにはミュージシャン、ミキサー、アシスタント等が待っていてカラオケの製作にかかる。時間は7時15分。山下が「ステージバンドを揃えた」と言い、メンバーを紹介する。彼らにコード譜が渡されてヘッドアレンジとリハーサルが始まる。その間大貫さんは別室に籠って詩作に専念。山下がバンドに指示を出し、1時間ほどで完成したテープをバックに山下がハミングで歌う。

続いて24チャンネルのマルチトラックを使ったオーバーダビング。間奏のピアノ、山下によるタンバリン、ミニ・シンバルそしてサビの部分のエレキピアノ(「本当はグロッケンを使いたかった」)を加える。これでバッキングトラックが完成。

大貫さんの歌詞が出来上がり、彼女による内容説明「なんであんなにときめいていたのに、3ヵ月位経つとだんだん醒めてくるの......魔法があったらね」。ボーカルのリハーサルが始まる。途中でとちっているのが可愛い。歌い方の調整・修正作業を経て、1時間でボーカルの録音を完了。最後に大貫さん、山下、ギタリストの椎名の3人によるバックコーラスの録音。

ミキサーの佐藤康夫が紹介され、24トラックのマルチを2チャンネルにおとすミックスダウン作業(所要時間40分)。作業イメージを示すため、ドラムスとベースのみ、リズムギターのみ、キーボード入り、もう1台のギター入りの音が紹介される。ここで、山下がリズムギターを弾いていたことがはっきりする。

大貫と山下による完成の挨拶。時間は午前2時。大貫が3時間、山下は1時間で書いたという。「君が僕の歌を歌ったのは珍しいよね。」、「11年ぶりくらい」、「なんでター坊に頼んだかっというと、人間知っていてあまり仕事はしていないけど、少しはしたことがあるから」、「(あまり仕事をしていると)ウンと言うとアーとわかって面白くないから」という会話が面白い。「突貫工事。今年の新人最有力候補のター坊による"魔法を教えて"です」の紹介で出来上がったトラックが流れる。ファースト・ヴァース、サビ、ピアノによる間奏、サビの2回繰り返しの構成による2分ちょっとの曲だ。本当に素晴らしい出来で、2分ちょっとで終わってしまうのが誠に勿体ない。最後に熊谷と山下による締めの言葉で45分間の番組が終わる。

大貫は「自分で使おうかな?」と言っていたが、その後公式発表されることはなく、山下のメロディーにアラン・オディ(1940-2013 山下の曲の英語詩を担当したアメリカの著名シンガー・アンド・ソングライター)が英語の歌詞をつけて、日米合作のサーフィンのドキュメンタリー映画「Big Wave」1984のテーマ曲「The Theme From Big Wave」に改作され、山下達郎名義のシングル盤が1984年5月25日、オリジナル・サウンドトラック盤が6月20日に発売された。曲調自体がビーチボーイズを想起させるものだったからね。

ということで、大貫さんの歌詞、ボーカルによる「魔法を教えて」は残念ながらお蔵入りになったが、インターネットの時代になってからファンが録音したエアーチェックがYouTubeで出回るようになり、幻の名曲という評価が確立した。後年山下はマスターテープは存在しないと語っており、既にこれだけ出回っていることを考慮すると、将来正式に発売される見込みは薄いと思われる。大貫さんが過去の提供曲のセルフカバー・アルバムを作って、そこに入れてくれたらいいのにね。

「魔法を教えて」は、2020年代になって若手アーティストの正式録音による複数のカバーが出ることで再評価されている。そしてそれらのリリースを両人が許可したということは、彼らがこの曲の価値を認めているという証だと思う。

聴いたことのない人は、すぐにYouTubeで検索すべし。一生の宝物になるよ!

[2024年5月作成]


Classics 大貫妙子  (1985)  Dear Heart (RVC) 
 

1. みずうみ [作詞 山川啓介 作曲 エドヴァルド・グリーグ 編曲 乾裕樹]  CD5曲目


大貫妙子 : Vocal
乾裕樹 : Piano, Arranger
清水信之 : Synthesizer

グリーグ作曲「ペール・ギュント組曲 第2番」、「ソルヴェイグの歌」1892年から
NHK「みんなのうた」 1983年6〜7月 初回放送
LP 「Classics」ベスト・アルバム 1985年9月発売
CD 「Classics」ベスト・アルバム1985年10月発売

1. Mizuumi (Lake) [Words: Keisuke Yamakawa, Music: Edvard Grieg, Arr: Hiroki Inui] CD5
  From "Peer Gynt" Suite No.2 "Solveig's Song" 1892 by Edvard Grieg
  From "Classics"Best Album Of Taeko Onuki, September,1978 (LP), October,1978 (CD)
 

「みずうみ」は、NHKテレビの「みんなのうた」で 1983年6〜7月に放送され、1985年に発売された大貫妙子RVCレーベル時代(「Romantique」1978 から「Signifie」1983まで)のベスト盤「Classics」に収録された。裏面の曲目表示には、この曲につき「From Signifie Cassette」と書かれており、当時発売された同アルバムのカセット・テープ版にボーナス・トラックとして収められたいたものと思われる。まず1985年9月にLPレコードで、すぐ後の10月にCDで発売された。当時はレコードからCDの転換期にあたり、私はCDを選んで購入したが、当時で3,500円というとんでもない値段がついていた。他の曲が収められているオリジナルのアルバムは全部持っていたので、この曲だけのために大金をはたいたことになる。トホホ........

この曲は、ノルウェーのクラシック音楽の作曲家エドヴァルド・グリーグ (1843-1907)の「ペール・ギュント組曲 第2番」のなかの「ソルヴェイグの歌」1892が原曲。「ペール・ギュント」はヘンリック・イプセンの劇詩にグリーグが曲を付けた戯曲(1867年)が元で、そこではノルウェー語の歌詞がついていたが、後の1892年に歌詞のない組曲に編曲されたもの。組曲「ペール・ギュント」はノルウェーの民族音楽を取り入れた名作で、特に第1組曲冒頭の「朝」が名高く、そのメロディーは誰もが知っているはず。

グリーグ作曲のメロディーに、作詞家の山川啓介が原曲とは異なる内容の日本語の歌詞をつけ、乾裕樹が編曲したもので、二人は歌謡曲の仕事以外に、子供向けの音楽を多く作っていることから本作で起用されたものと思われる。リズム・セクションのないオーケストラによる伴奏で、大貫さんの仕事仲間である清水信之がシンセサイザーで参加しているというが、目立たない。静謐で透明感のあるメロディー、伴奏に硬質な感じの大貫さんの歌声がとても似合っている。

なお本曲は、2008年に再発された大貫妙子のアルバム「Signife」1983にボーナス・トラックとして収録された。


1984年  「カイエ」 (1984/6/5発売)の頃   
チェルシーの唄  Varisou Artists  (2005)  テイチク 


1. チェルシーの唄 [作詞 安井かずみ 作曲編曲 小林亜星] 1984 CD 8曲目

大貫妙子 : Vocal

明治製菓 チェルシー CMソング 1984年

CDは2005年5月25日発売


1. Chelsea No Uta (Song Of Chelsea) [Words: Kazumi Yasui, Music: Asei Kobayashi] CD-8
CM Song of Meiji Candy 1984, CD Issued May 25, 2005

明治製菓のチェルシーは1971年に発売された英国風キャンディーで、ロンドンのチェルシー地区が名前の由来。ヒット商品となって現在もいろいろなフレーバーで販売されている。CMソングを手掛けたのが、安井かずみ(1939-1995) と小林亜星(1932-2021) のコンビ。小林は作曲家としてCMソング、アニメ・特撮ソングで数多くの作品を残したが、俳優としても「寺内貫太郎一家」1975など太った親父の役を演じた。彼が作ったCMソングで頭の中に残っているものはたくさんあるが、その中で「チェルシーの唄」は筆頭にあがる存在。初代は1971年のシモンズだったが、あまりに曲が良すぎたため、その後も歌い手を替えて、その人に合うアレンジを施すという 「手を変え品を変え」作戦で、30年以上同じ曲を使い続けた。それらは2005年テイチクから発売されたCD「チェルシーの唄」でまとめて聴くことができるようになった。CMソングの場合 15秒・30秒・45秒・60秒という短いものが普通であるが、ここでは演奏時間が2分を超えるものが大半という異例の制作になっている。単なるCMソングでなく、ひとつの楽曲としてとらえていたからだろう。

大貫さんは1984年に登場。彼女のアルバム「カイエ」の頃で、テクノっぽい電子音楽とクラシカルなサウンドが並存するスタイルの時期にあたる。そのためか、少し変則的なリズムと弦楽器とシンセサイザーの混成によるアレンジに大貫さんの爽やかな歌声が乗るという、かなり特異な出来上がりとなっている。

他のバージョンでは、初代のシモンズ1971年の瑞々しさが最高。ガロが1972年に演っていたのは初めて知った。その他は南沙織1978、サーカス1979、八神純子1981、あみん1982、アグネス・チャン1985、シーナ(シーナ&ロケッツ)1994、Puffy1997、Chemistry 2003 などの著名なシンガーや、クラシックやセッション・シンガーを起用したものもあって内容は多彩。亜星氏が歌い手を見て楽しみながら編曲している様が目に浮かぶようだ。

なおこのCMソングは、2011年に発売された大貫さんのCMソング集「Taeko Onuki Works 1983-2011 CM/TV Music Collection」には含まれていない。

[2024年3月作成]

[2024年3月追記]
3月4日のニュースによると、チェルシー全商品は2024年3月で販売終了になるとのこと。市場環境や顧客ニーズの変化により販売規模が低迷し、収益性が悪化したためとのことですが、残念ですね.......

1991年のハイ・ファイ・セットは、権利の関係からCDには収録されませんでした。当時ファンクラブあてに配布されたカセットテープがあるそうです。