N1 ディランにて (1972)   ベルウッド OFL4


N1 Dylan Nite

西岡 恭蔵 : Vocal, Guitar
角谷 安彦 : Bass
林 敏明 : Drums
吉野 金次 : Piano
石村 洋子 : Chorus
島津 祐子 : Chorus            
 
[Side A]
1.サーカスにはピエロが   N5 N8 Z6 (O1 O4 O8)
2.下町のディラン
3.谷間をくだって
4.君住む街に (O2 O4)
5.風をまつ船
6.丘の上の英雄さん [青木洋子, Bob Dylan] N5

[Side B]
7.君の窓から  (O1 O8)
8.僕の女王様
9.プカプカ (赤い屋根の女の子) N5 N8 Z1 Z2 (O4 O8)
10. 街の君  Z2
11. 終わりの来る前に
12. サーカスの終り

吉野 金次 : Mixer
望月 彰 : Photo
三浦 光紀 : Director

録音 : 東京モウリスタジオ at March 4,5,6, 1972

注: ( )内は、大塚まさじ、またはザ・ディランIIがカバーしている作品を示す。


[初めに]
2007年の暮れに、ある大手のCDショップに行きました。Jポップのコーナーを見たら、西岡恭蔵の見出しがなく、「N」のコーナーにも彼のCDはありませんでした。彼が亡くなって8年近く経ち、新しいアーティストの作品がたくさん発売されてる状況では仕方がないですね。でも彼の残した偉大な音楽をより多くの人に伝えたくて、西岡さんのコーナーを作りました。私は業界人の知り合いはいないので、楽屋裏のネタ話はないけど、感謝の念を込めて、感じたままを書きたいと思います。


石井洋子さんという女性が、大阪の難波元町に喫茶店を開いたのが1969年。大塚まさじはそこのマスターとなり、ボブ・ディラン、ザ・バンドやザ・バーズの音楽をよくかけていたので、「ディラン」という名前になったという。そこには音楽、作詞、芝居、写真などを志す様々な分野の若者が集まり、ひとつのコミュニティーを形成。そのうちにギターが持ち込まれ、フーテナニーのようなセッションが自然発生する。春一番コンサートも、そこの常連だった福岡風太から生まれたものだ。西岡恭蔵、大塚まさじ、永井洋の3人からなるザ・ディラン(初代)は、そこから生まれたグループだったが、西岡が青果市場のアルバイトによる腰痛の治療のために志摩の実家に戻る。静養中に、実家の離れで行われた加川良のリハーサルに触発され、もう一度大阪に出て本格的に音楽を志す。その時大塚と永井は、すでに様々なコンサートに出演しており、自分が戻る余地がないと感じた西岡はソロとして活動することにする。ディランIIに対しレコード・デビューの話があった時、大塚から手伝いを頼まれた西岡が加わって製作されたのが、1972年4月URCレコードから発売された「昨日の思い出に別れを告げるんだもの」だった。その際三浦光紀氏より、「ソロアルバムを出すときはいつでも声をかけてください」と言われ、それではと作られたアルバムが、西岡のデビュー作となる本作だった。キングレコードの社員だった三浦光紀は、フォークジャンボリーのレコード化や、上条恒彦と六文銭の「旅立ちの歌」の成功が認められ、彼が制作を担当する社内レーベル「ベルウッド」の設立が認められた。ベルウッドは、懐の深いシンガー・アンド・ソング・ライターや、はっぴいえんど、はちみつぱいなどの先進的なアーティストによる作品を制作、サウンドのみならず、ジャケットや解説書のデザインにもこだわり、そのアーティスティックな姿勢が多くの支持を集め、その後のJポップス(当時は「ニュー・ミュージック」と呼ばれていた)の確立に大いに貢献した。三浦光紀はその後日本フォノグラム、ショーボート(トリオ)でプロデュース活動を続け、後に徳間書店、スタジオジブリの「天上の城ラピュタ」、「となりのトトロ」などの音楽ディレクターを担当する。

「ディランにて」は、レコード番号の通り、ベルウッド・レーベル4枚目という初期に制作・発売された作品だ(ちなみに本作に先立つ3作は、六文銭の「キングサーモンのいる島」、高田渡の「系図」、山平和彦の「途中」)。当時の西岡のスタイルは、ボブ・ディランの影響が強く、メロディーやサウンドよりも歌詞に重きが置かれている。伴奏も、コードストローク奏法による彼のアコースティック・ギターの他には、エレキベースとドラムスというシンプルな編成で、リードギターやピアノといったメロディー楽器の不在(9.を除く)は、サウンド作りの面においては全体的な印象として単調さを覚えるが、その分歌詞に集中して聴くべしということだろう。名曲 1.「サーカスにはピエロが」は、本人および大塚まさじの愛奏曲で、特に二人が共演する際には、いつも歌われていた曲。西岡による曲の提供やコンサートでの共演など、あれほど親密な付き合いなのに、この曲以外で、録音作品として残されたデュエットが少ないのは不思議だ。生きる事の苦しみをラブソングに織り込んだ作品で、何とも言えないペーソスに溢れている。ちなみに歌詞の一節「サーカスにはピエロがつきものなのさ 昨日の思い出に別れを告げるんだもの」の後半部分は、ザ・ディランII のデビュー盤 O1のタイトルとなった。2.「下町のディラン」は、上述の喫茶店を歌ったもので、本作のなかでは、コーラス部分にパーカッションとコーラス(女性コーラスの1人は、ディランのママさんだった石村洋子さんだ)が入るポップな雰囲気の曲。西岡が、このようなノベルティーソングを語るように歌う時の弁舌の鮮やかさは、落語家のそれに匹敵するものがある。3.「谷間をくだって」は、ディラン風のシニカルなユーモアが感じられる曲で、「おっぱい」とか「おしり」という刺激的な言葉がでてくる。本作でドラムスを担当した林敏明は、当時はオイルフット・ブラザ−ス在籍中だったと思われ、その後の彼は石田長生のTHISを経て、鈴木茂のハックルバックに参加して知名度を上げる。その後も小阪忠や桑名正博のバックバンドなど、多くのセッションに参加。現在は、Flowers Land Recordの社長に納まっているが、ハックルバックの再結成などで、たまにドラムスを叩いているようだ。ベースの角谷安彦は、伊藤銀次のごまのはえに在籍、その後は大上瑠利子のスターキング・デリシャスに参加している。4.「君住む街に」は、都会暮らしの寂しさと出会いがシンプルに歌われる。彼が描く都会は、就職・就学のために田舎から出て来て、ひとり暮らしを始めた若者の視点で書かれており、都会に生まれ育ち、ずっと両親の実家に住んでいた人間の感性とは異なるものがある。5.「風をまつ船」は、ひんやりとした感触の歌。比較的複雑な比喩が散りばめられている。コーラス部分は、彼の声域ぎりぎりのハイトーンで、少し苦しそうだ。彼のボーカルは、音程が不安定で、決して上手いとは言えないが、その真摯さが魅力なのだ。6.「丘の上の英雄さん」は、ボブ・ディランの1967年のアルバム「John Wesley Harding」に収録された「All Along The Watchtower」に日本語の歌詞をつけたもの。元曲は、ジミ・ヘンドリックスもカバーした大変カッコイイ曲なので、悪いはずかない。

7.「君の窓から」は、西岡の作風の発展が予想される内容で、メイジャーセブンスの綺麗なコードとメロディーが光る。歌詞も、明日に対する希望 と恋する人への励ましという、明るく前向きな内容だ。8.「僕の女王様」は、高値の花の女性に対する、少し屈折したラブソングと思われる。きっと彼は、女性にコンプレックスがあったんじゃないかな? 9.「プカプカ」は、歴史に残る名曲だ。西岡の作品のなかで、唯一カラオケで歌える曲。本作の中では、愛想の良さ、人なつっこさで他の曲と一線を画する。副題は「赤い屋根の女の子に」とあるが、その後は「みなみの不演唱」という副題で呼ばれることが多い。それは彼が劇団にいた時に知り合いだったジャズ歌手、安田南(1943〜 )がモデルと言われるためである。彼女は70年代に奔放・個性的なスタイルで大変人気があった人で、1977年発表のアルバム「Some Feeling」が代表作。彼女は1970年代末から消息を絶っているというが、今何処で何をしているのだろう? 「おれのあん娘」が好きというタバコ、スウィング、男、占いの中に、人間の生と死がしっかり歌いこまれた歌詞が秀逸。この曲のみ間奏でピアノソロが入る。奏者の吉野金次は、日本のロック史における録音・ミキシングの草分けの1人で、2006年脳出血で倒れて静養中とのこと。「プカプカ」は、桃井かおり、原田芳雄、桑田佳祐、奥田民生、福山雅治など多くの人にカバーされている。10.「街の君」のメロディーの素晴らしさ、歌詞の鮮やかさは本作の中でも出色の出来で、その洗練された軽やかさは、その後彼が目指したスタイルを予告している。 1973年にあがた森魚がこの曲をカバーし、シングル「永遠のマドンナK」のB面に収めたバージョンがあり、はちみつぱいによるバックが素晴らしい逸品だった。11.「終わりの来る前に」は、作者の孤独感が滲み出ていて、後に彼を死に至らしめた精神的な苦痛のルーツがここに暗示されているようで、今聞くと慄然とする歌だ。もしこれが本当だとすると、人間の運命は予め決められていて、そこから逃れることはできないということだ!それはかなり恐ろしい仮定であり、決してそうではない、人間は救われるのだという事を、私は信じて生きたいと思う。12.「サーカスの終り」は宴の後の空虚さが漂う作品で、本作を聴いた後に感じる虚脱感のようなものとオーバーラップする。

彼の音楽の芳醇さを期待すると、はずれるかもしれない。その代わりに、彼が持つ厳しい一面を感じることができる作品であり、若々しい気概に溢れている。黒白の写真に青い手書きのタイトルを配したジャケットデザインも素晴らしい。

[2007年12月作成]


N2 街行き村行き Kyozo With Hosono (1974)  ベルウッド OFL21


N2 街行き村行き



西岡 恭蔵 : Vocal, Guitar, Chorus
細野 晴臣 : Bass , A. Guitar (4), Arragement & All Instruments (5,6)
駒沢 裕城 : Pedal Steel Guitar, Flat Mandolin, Dobro (3,10) Chorus & Chorus Arrange
武川 雅寛 : Fiddle, Trumpet, Bass (4), E. Guitar (1), Chorus & Chorus Arrange
岡田 徹 : Piano, Chorus
かしぶち 哲郎 : Drums, Chorus

鈴木 茂 : E. Guitar (3)
村岡 健 : Alto Sax (3)
松本 裕 : Conga
松田 幸一 : Harmonica (7,10)
             
             
[Side A]
1. 村の村長さん
2. 春一番 Z4
3. どぶろく源さん (Instrumental)
4. パラソルさして (O2)
5. ひまわり村の通り雨
[Side B]
6. 飾り窓の君
7. 海ほうずき吹き N5
8. うらない師のバラード [Langston Hughes, 木島始(訳詩)、西岡恭蔵] N5
9. 朝の散歩道
10. 街行き村行き N5 Z4


細野 晴臣 : Producer
三浦 光紀 : Executive Producer
吉野 金次、 野村 正樹、 松本 裕 : Engineers
吉野 金次 : Mixer
森 英二郎 : Cover Design

注: ( )内は、大塚まさじ、またはザ・ディランIIがカバーしている作品を示す。


はっぴいえんど解散前後の細野晴臣が、ジェイムス・テイラーの影響下でプロデュースした作品。西岡恭蔵の作品ではあるが、タイトルが「Kyozo With Hosono」となっており、実質的に共同作品と言うべきだろう。埼玉県狭山市にあった米軍ハウス(当時のジョンソン基地=現在の自衛隊入間基地に駐在する米兵のための宿舎)が民間に払い下げられた際に、多くのアーティストが移り住み、ウッドストックに比較される若手芸術家のコミュニティーが形成された。現在これらの家は取り壊され公園になっててしまったようだが、小坂忠のアルバム「もっともっと」1972、細野晴臣の「Hosono House」1973 と共に、本作品はそこから生まれた文化遺産と見なすことができる。クレパスを用いた表紙イラストには、右上に配置された西岡氏のポートレートよりも大きく、車中の後ろ姿として登場する人物は、本作品の黒幕である細野氏を示唆させる趣向となっている。イラストを担当した森 英二郎氏は、現在は木版画による作品を得意とし、個展を開催する他に、「小説新潮」や多くの単行本の装丁を担当している。サウンド的には、はっぴいえんどや前述のソロアルバム「Hosono House」でみられた細野氏のコンセプトが前面的に出ているが、この音作りが西岡氏の理想だったと思われる。前作「ディランにて」が、歌詞を中心としたシンプルなフォーク音楽風のサウンドであったのに対し、ここではメロディーメイカーとしてサウンドメイキングにこだわる西岡氏の姿勢がはっきり出ている。歌詞の面では、はっぴいえんどの「風街ろまん」の影響が極めて大きいが、松本隆のような都会生まれ・育ちのクールさ、シニカルさはなく、都会を描いた歌においても田舎人な暖かさ、純朴さに満ちている。そういう意味で、エバーグリーン的な心の強さはなく、いつかは枯れる活花のような儚さが感じられ、それが彼の歌詞の魅力となっている。本作は、「街」と「村」それぞれの風景を描いた歌が収録されているが、それらをレコードのA面・B面に分けて収録せずに、混在して収めている。

バックを担当するミュージシャンは、鈴木慶一率いる「はちみつぱい」後期(後のムーンライダース)のメンバーで固められている。駒沢裕城(1950〜 )は、小坂忠のバックバンド「フォージョーハーフ(四畳半)」を経て、はちみつぱいに参加(ムーンライダースには加入しなかった)。当時は荒井由美、あがた森魚、久保田麻琴など多くの作品に参加した日本屈指のペダルスティール・ギター奏者だ。彼はその後は音楽界に疑問を感じ、引退していろんな精神活動を彷徨した後に復帰、現在は自分独自の音楽に取り組んでいるという。本作はリードギタリストが未参加であるため、メロディー楽器として彼のプレイが大活躍している。武川雅寛(1950〜 )は、バイオリン奏者として確固たる地位を築いた人で、スタジオミュージシャンとしても「神田川」など多くの作品に参加している。2000年代では矢野顕子、大貫妙子、鈴木慶一、宮沢和史、奥田民生によるユニット「Beautiful Songs」のバックバンドでの演奏が印象的だった。岡田徹(1949〜 )は解散前のはちみつぱいに加入、ムーンライダーズとしての活動の傍ら、プリンセス・プリンセスなどの音楽監督を担当し、現在はValb Label というインディーズ・レーベルを主催している。かしぶち哲郎(1950〜 )は、ドラマーとして多くのセッションに参加したが、自身シンガー・アンド・ソングライターとして独特の世界の作品を発表、若手ミュージシャンのプロデュースでも活躍している人だ。彼らによる伴奏は、当時米ウエストコーストで流行っていたカントリー・ロックのスタイルで、はっぴいえんどを少し土臭くしたような感じが西岡氏のイメージにぴったり合っている。

1.「村の村長さん」は、新しい考えを持つ若い世代の台頭を歌っているようで、村の景色がユートピアとして描かれている。演奏も含め未来への楽観的なムードに溢れた明るい曲だ。西岡氏の新しいイメージの出発点に相応しい。 細野氏のフレットレス・ベースがザ・バンドのリック・ダンコの様。それにしてもイントロの岡田徹氏のピアノは、ポール・バターフィールドのグループ、ベターデイズが発表した同名のアルバム(1973年 ホワイトブルースの名盤!)の「Buried Alive In The Blues」におけるロニー・バロンのプレイそのもの! 2.「春一番」は1971年に福岡風太達が始めた同名の野外コンサートに触発されて作られたもので、コンサートでもテーマソングとして歌われた。歌詞に出てくる「ヤスガーズ・ファーム」は、1969年アメリカで開催された伝説的なロックコンサート、ウッドストックの会場であり、若者達による文化の創造に対する強い参画意欲が感じられる。駒沢裕城のスティールギターが強力で、西岡氏もぎりぎり可能な高音で目一杯歌っている。この曲でも彼の生涯のモチーフとなる船と海が出てくる。 3.「どぶろく源さん」は、駒沢氏のドブロのアコースティックな響きと村岡建氏のアルトサックス、武川氏のバイオリンがフィーチャーされるインストルメンタル。クレジットによると、はっぴいえんどのギタリスト鈴木茂がゲスト参加しているとあるが、聞こえるソロはスライドプレイによるドブロの音なので、彼はワウワウペダルを使用したリズムギターを担当しているものと思われる。村岡健(1941〜 )は当時より数多くのスタジオセッションに参加したジャズプレイヤーで、現在も音楽スクールを開講しながら阿川泰子氏のバックバンドを務めるなど元気に活躍中。4.「パラソルさして」は都会の風景を切り取った歌で、街を吹き抜ける風の描写は松本隆の「風をあつめて」と共通する世界だ。ここでは細野のアコースティック・ギターを聴くことができる。5.「ひまわり村の通り雨」は傑作! 細野氏がアレンジを一手に担当し、アコースティック、エレクトリック・ギターなど全ての楽器を多重録音したもので、当時のリズムボックスのポコポコした少しチープな音を上手く利用して、ファンタスティックなサウンドを作り上げている。田舎の風景を描いた季節感溢れる歌詞も最高。和歌や短歌の伝統を重ねた日本人しか書けない詩だ。

6.「飾り窓の君」もリズムボックスを使った多重録音で、細野氏の軽快なアコースティックギター・プレイは、はっぴえんどの「相合傘」を彷彿させる。ショーウンドウの華やかなイメージのファンタジーで、シャイな西岡氏らしい女性への憧れを歌っている。7.「海ほうずき吹き」も夕暮れの景色を描いたノスタルジックな歌詞の世界。アーリー・タイムス・ストリング・バンドや愚、ラストショーなどのグループ活動とソロアルバム、そして無数のスタジオワークをこなした松田幸一氏のハーモニカが聴ける。8.「うらない師のバラード」は、ハーレムで活躍し黒人の視点で多くの詩・小説・戯曲・コラムを残したラングストン・ヒューズ(1902〜1967)の詩に曲をつけたもの。人の未来を言い当てることができる占い師のマダムが、好きな男に騙され、自分の運命を予見できなかったというバラッド(物語風の詩)で、ここでは駒沢氏がマンドリンを弾いている。9.「朝の散歩道」は細野氏アレンジによるジェイムスムス・テイラー的な曲調であるが、冬の朝を歌った詩はヒンヤリとした雰囲気に満ちた日本人のものだ。こじんまりとした小品であるが、聴いた後に余韻が残る。10.「街行き村行き」はこれから本格的に海の世界に乗り出してゆく、西岡氏の船出の歌のようだ。街と村の間を船に乗って行き来する船乗りのイメージ......。これは彼が人生に対し終世持ち続けたイメージであり、各地を転々とした私にとって共感を覚えるものだ。

1948年生まれの西岡氏が25歳の時に発表した作品で、発表されてから35年以上が経ち、今となっては聴く私が遥かに年上になってしまったが、今聴いても当時の瑞々しさがそのまま蘇る。シンセサイザーが普及する前の時代の演奏は、シンプルで飽きがこないもので、古臭さは感じられない。1970年代の前半、若者文化の勃興により日本独自の音楽が創造されてゆく黎明期の名作の一枚だと思う。


[2008年11月作成]


N3 ろっかばいまいべいびい (1975) Orange (日本フォノグラム)FW-5001









西岡 恭蔵 : Vocal, Guitar, Chorus

Side A
[Hucle Buck]
鈴木 茂 : Electric Guitar, Kalimba, Chorus
佐藤博 : Piano, Electric Piano, Organ Chorus
田中 章弘 : Bass, Chorus
林 敏明 : Drums, Chorus

石田 長生 : E. Guitar, A. Guitar, Chorus
浜口 茂外也 : Percussion, Flute
金子 真梨 : Vocal, Scat, Chorus
末永 博嗣 : Unison Vocal

[薗田 憲一とディキシー・キングス]
薗田 憲一 : Trombone
中川 喜弘 : Trumpet
石川 順三 : Clarinet
宮崎 忠一 : Banjo

1. ジャマイカ・ラブ  N5
2. 踊り子ルイーズ
3. ファンキー・ドール
4. めりけんジョージ
5. あこがれのニューオルリンズ


Side B

細野 晴臣 : Bass , A. Guitar, Flat Mandolin, Piano, Percussion
石川 順三 : Clarinet             


6. ろっかばいまいべいびい [細野 晴臣]  N5
7. 今宵は君と
8. 3時の子守唄 [細野 晴臣]  N5
9. ピエロと少年  N5, Z5
10. 夢の時計台  N5


西岡 恭蔵 : Producer
末永 博嗣 : Director
松本 裕 : Mixer
三浦 光紀 : Executive Producer
森 英二郎 : Cover Design


注)写真下は、オリジナルレコード盤に添付されていた歌詞カード



ベルウッド・レーベルにおけるアーティスティックな作品群の制作により、日本のフォーク音楽に革命をもたらした三浦光紀氏は1975年に日本フォノグラムに移籍した。その一方ザ・ディラン・セカンドのマネージャーだった阿部登氏は、1974年末グループの解散後「オレンジ」という事務所を設立して、西岡恭蔵・大塚まさじ・加川良・金森幸介といったシンガーのマネージメント・プロデュースを手掛け、ごまのはえの元ボーカリスト末永博嗣と「オレンジレコード」を設立してレコード製作を始める。三浦氏がいる日本フォノグラムから発売された本作は、ジャケット上のレーベル・ロゴに「#1」と表示されている通り、同レーベル最初の作品だった。同レーベルは特定のレコード会社には属さず、所属アーティストはそれぞれ別個のレコード会社と契約して作品を配給するようになり、大塚まさじのソロデビューアルバム「遠い昔ぼくは…」(1976年3月)、ソー・バッド・レビューのデビューアルバム「Sooo Baad Revue」(1976年8月)、金森幸介「少年」(1976年6月)、 加川良「南行きハイウェイ」(1976年10月)等が制作された。

当時湿っぽいフォーク音楽が主流だったなかで、本作のようなバタ臭くスケールの大きな作品に驚かされたものだ。前作まで日本情緒溢れる作品を書いていた西岡氏の目線は、本作から海外に飛び出す。しかし、次作「南米旅行」以降は、実際に現地を旅行した体験に基づいて曲が作られたのに対し、本作では海外は「まだ見ぬ世界」として捉えられているように思える。当時渡航経験のなかった私にとって、海外は憧れとファンタジーの世界であり、そういう意味でこの作品は私の思いとシンクロし、大いに共感するものがあった。アルバムの構成は、海外もののA面、従来のフォーク路線を踏襲したB面というように、ふたつのコンセプトからなり、西岡氏のキャリアにとって過渡期に作られた作品とも言える。

A面のバックバンドは、鈴木茂とハックルバックの連中に石田長生が加わったもの。鈴木茂(1951〜 )は、はっぴいえんど解散後の1974年に渡米。リトルフィートをバックに録音した初ソロアルバム「Band Wagon」は大評判となった。そのサウンドをステージで再現させるために組んだのが、以前加川良のバックを担当していた「This」の佐藤博、田中章弘、林敏明の3人だった。ハックルバックと名付けられたバンドは、精力的なコンサート活動を行ったが、残念ながらバンドとしてのアルバムは発表されず、1976年に日本クラウンから「幻のハックルバック」というカセットテープが発売されたのみにとどまった(ちなみに同音源はその後1996年にCD化されている)。本アルバムは、バック担当とは言え、このグループが残した唯一の公式録音(注 シングル盤では久保田麻琴が出したシングル盤「バイバイ・ベイビー」 1975のバックがあった)であり、そういう意味で当時の鈴木茂ファンにとっても感慨深いものであったはずだ。しかも「This」で一緒だった石田長生の参加によって、一種のスーパーセッション的な雰囲気も出ており、日本を代表するギタリストの共演盤としても聴きごたえのあるものになっている。最初の曲 1.「ジャマイカ・ラブ」のラテン調のリズムから、新しい世界が開ける。レコードを購入して、この曲を最初に聴いたときの高揚感は、35年以上経った今も覚えている。石田長生のオクターブ奏法を交えたソウルフルなギターソロと、指弾きによる鈴木茂のリズムギターが左右のチャンネルから聴こえるゴージャスな音作りだ。石田長生(1952〜 )は、ブルースを得意とするギタリストで、ジャズもこなす。当時ソーバッド・レビューの一員として山岸潤史とギターバトルを展開したのは語り草になっている。後年は渡辺香津美やChar等のギタリストとのコラボレーションが有名。ここで達者なフルートを演奏する人はパーカッション奏者の浜口茂外也。彼は作曲家の浜口庫之助の息子で、最初はジャズのフルートを志しニューヨークで修行したが、帰国後はティンパンアレイの主要パーカッション奏者として活躍。その後も多くのスタジオ・セッションをこなしながら、自分自身のソロアルバムの制作、コンサート活動も展開している。

2.「踊り子ルイーズ」は金子マリとのデュエット。彼女は「下北沢のジャニス」と呼ばれ、ジャニス・ジョップリンの影響下からスタートし、Charとバンドを組んだのち、1974年に「金子マリとバックスバニー」を結成。日本の女性ロックシンガーの草分けの一人となった人。その後も地道な活動を続け、年を重ねるにつれて、より味わい深いボーカルを聴かせてくれる。彼女の声がもつパワーの魅力が満載の曲だ。西岡氏も負けじと気合いを入れて歌っている。演奏的にはブルースとラグタイムが得意な佐藤博によるピアノとエレキピアノのプレイがポイント。佐藤博(1947〜 )は、ジャズ、ブルースのピアノを独学でマスターした人で、独特の音使いとタッチを持ち、ティンパンアレイにおいて松任谷正隆や矢野顕子とともにメインのキーボード奏者となった。後年はシンセサイザーや打ち込みによる多重録音で持ち味を発揮し、ソロアルバム発表の他、多くのCM・テレビ音楽を手掛けている。3.「ファンキー・ドール」は、ニューソウル風のバックバンドの演奏、そしてスケールの大きなメロディーにのせて歌う西岡のボーカルが最高! ジャズの香り漂う石田のギターソロ、田中と林のリズム隊のグルーブ感も言うことなし。後半にフィーチャーされる金子マリのスキャット・ボーカルは天を翔けるかの様。4.「めりけんジョージ」は、副題に「’テキサス無宿’ 谷譲次に」とあり、小説家の長谷川海太郎(1900〜1935)が、このペンネームでアメリカ移民の生態を描いた「めりけんじゃっぷシリーズ」のイメージで作詞されたもののようだ。サウンド的にはリトルフィートそのもので、田中のチョッパーベース、佐藤のファンキーなキーボードをバックに、鈴木のスライドギターが石田と掛け合いを演ずる豪華版。5.「あこがれのニューオルリンズ」はマイナー調のメロディーで、薗田憲一とディキシーキングスがゲスト参加している。同バンドは1960年に結成され、日本のディキシー・ジャズ・バンドの筆頭として活躍、2006年薗田氏の病没後も後継者により現在も活動中。ここでは若い人に自分達を知ってもらおうという気概からか、素晴らしく張り切った演奏を展開しており、若いミュージシャンとがっちりかみ合った好演となった。コーラス部分におけるバンドの合唱には、通常この手のスタジオ録音にはあまり感じられないメンバーの連帯感がある。ちなみにこの曲はシングルカットされた。

B面はがらっと変わり、西岡と細野のセッションとなる。作品的にはこじんまりとしたフォークに、ジャズとニューオリンズの味付けをしたような感じで、1975年発表の細野のアルバム「Tropical Dandy」のこれまたB面の姉妹編とも言える内容だ。6.「ろっかばいまいべいびい」は、西岡のアコギと細野のウッドベースによる演奏。温かみのあるラブソングなんだけど、ダークな雰囲気に包まれている。細野が同名のソロアルバムでこの曲を歌っていたが、彼のダークさは人を寄せ付けないエゴのようなものが感じられるのに対し、西岡には人を許してしまう弱さ、優しさがある。細野のマンドリン、ベース、パーカッションの多重録音がフィーチャーされる 7.「今宵は君と」は、西岡ならではのスタンダードソング風のメロディーが美しい逸品。8.「3時の子守唄」は「Tropical Dandy」における細野の演奏よりも、さらっとした感じのストレートな歌唱だ。9.「ピエロと少年」のみ西岡の弾き語り。昔聴いたラジオ番組を題材にして作ったとのことで、自分を花形ピエロであると嘘をついてしまったサーカス団のアイスクリーム売りの老人と、サーカスに行けなかったと嘘をついて、それを許した少年の優しさを描いたペーソス溢れるバラッドだ。8分以上にわたり繰り広げられる西岡の語り口は素晴らしい。一見華やかな音楽の世界と自己の内面のギャップに悩む自分自身をピエロに投影しているのではと思われる。細野のピアノのフェイドインで始まり、フェイドアウトで終わる子守唄 10.「夢の時計台」は、ディキシーキングスのクラリネット奏者、石川順三がソロとオブリガードを担当。細野のピアノ演奏はシンプルであるが出色の出来で、この人の天性のリズム感の素晴らしさが良くわかる。シンプルながら包容力のある歌詞が素晴らしい。

カリブ、ニューオリンズなどまだ見ぬ世界への憧れを描いた歌は、日本のミュージシャン達によるイミテーション的な演奏と相まって、本物でないチープな雰囲気が醸し出されている。しかしそれは愛おしいオモチャのような独特の味わいを生み、この作品の大いなる魅力となっている。そういう意味で森英二郎氏(前作と同じ人)による、収録曲のキャラクターが机上に登場する、何処か安っぽい感じのイラストによる表紙デザインは、この作品の本質を見事に表現している。ちなみにジャケットの裏面には西岡氏と奥様のKUROと幼い長男の家族写真が、そしてレコード盤に添付された変形サイズの歌詞カードには、狭山の元米軍ハウスの自宅の窓に佇む家族写真が掲載されている。


[2008年12月作成]


 
N4 南米旅行  (1976)  Orange (Trio Show Boat)  3SB-1006 
 










西岡 恭蔵 : Vocal, A. Guitar
石田 長生 : E. Guitar
山岸 潤史 : E. Guitar (3)
国府 輝幸 : Piano
永本 忠 : Bass
土居 正和 : Drums, Tymboli (2)
砂川 正 : Back Vocal (1,2,8)

Robert Greenidge : Guerdo (2,7), Casaba (2,6,7), Big Drum (7), Steel Drum (7), Conga (5,6), Sand Blocks (4)
Marcus Cabuto : Trumpet (2,6,8,9), Cowbell (6), Wood Block (10)
Tony Garcia : Flute (6, 8, 10), Tenor Sax (2), Guerdo (6)

All Mmbers : Arragement
Robert Greenidge : Arrangement (7), Horn Arragement (6)
石田 長生 : Pattern Arragement (3)

[Side A]
1. Gypsy Song  [KURO, 西岡恭蔵] N5 N8 N13
2. 南米旅行 [KURO, 西岡恭蔵] N5
3. Never Land  [KURO, 西岡恭蔵]
4. アフリカの月 [KURO, 西岡恭蔵] N5 N13
5. 今日はまるで日曜日 [KINTA, 中川イサト] N5 N8 Z6

[Side B]
6. Kuro's Samba  [西岡恭蔵] N5
7. Dominica Holiday  [KURO, 西岡恭蔵] N5
8. Gloria  [KURO, 西岡恭蔵] N5
9. Port Merry Sue  [KURO, 西岡恭蔵] N13 O6
10. Good Night  [KURO, 西岡恭蔵] N5 N13

安部 登(Orange Records ) : Producer
森 喜久雄 : Director, Liner Photo
Ben Jordan : Mix And Remix
森 英二郎 : Cover Design

録音: 1976年6月中旬〜末、 Original Sound Studio, Los Angeles

注) 写真下: 宣伝パンフレット


私の生き方に大きな影響を与えたアルバム。本作が発売された1976年当時の私にとって、個人による自由な海外旅行は夢の世界で、発売されたばかりのアルバム・ジャケット、ライナーノーツを眺めながら、憧れと羨望の念を抱いたものだ。「地球の歩き方」が創刊されたのは1979年であり、当時の日本人の考え方自体、私と大差なかったものと思う。そしてこの作品には、西岡氏が生涯を通じて志向する「ボヘミアン =自由人」の生き様が強く感じられる。それに感化された私は、普通の勤め人としての人生を送るようになったが、心の奥底に自分なりの「自由人」を秘めるようになり、冷徹な組織のなかにいても孤独を感じないようになった(恭蔵さんの考え方と違うかもしれないけど、アートの世界において作品が人に与える影響の内容は、その人なりにまちまちなもんだと思います)。またその後の私は、会社の業務の関係で海外で長年生活することになり、日本の文化・精神的な束縛から解放されることで、異なるかたちであったけど、そんな思いが実現されたのではないかと思っている。

西岡氏は、ロックスターの矢沢永吉氏のために詩を提供する仕事を始め、1975年のアルバム「I Love You」に3曲、1976年「A Day」では5曲が取り上げられ、かなりの印税が入ったという。その資金で奥さんと一緒に、1976年5月3日のロスアンジェルスを起点としてメキシコ、バハマ、ニューオルリンズを回り、30日にロスに戻るという念願の海外旅行を実現させた。アルバムのライナーに記載された紀行文には、現地での旅の様子と、旅先で3, 4, 5, 6を除く各曲を書き上げたことが述べられている。実際に訪問した国とアルバム・タイトルとのずれについては、「メキシコ、バハマを旅しただけで、「南米旅行」とは、いささか大げさでピントはずれな気もするが、機会があれば、パナマ、ペルー、ブラジル等の南米諸国も旅する事を約束してこのタイトルを」という西岡氏のとぼけたコメントが好きだ。アルバムの宣伝パンフレットには西岡氏本人が紹介文を寄稿しており、資料として貴重かつ大変面白いので、ちょっと長いけど全文を引用しよう。

[南米旅行に関して]

 このアルバム「南米旅行」を作りたいから、旅行に出かけたのか、旅行したいから、このアルバムを作ったのか、自分でもはっきりしないのですが、とにかく、メキシコ・カリブ海・ニューオルリンズあたりを、ブラブラ旅しながら、唄を書き続けました。1976年5月はじめから6月にかけての頃です。
 これまでは、頭の中で唄を書き、アルバムを作っていたのですが、今回、それぞれの国の風物、人間に接する事により、唄を体で感じて、イメージを拡げたし、気負らず、のんびりと、この「南米旅行」を仕上げることが出来ました。聞いてみても、リラックスして、やってる自分が感じられ、これが一番気に入っている点です。
 皆さんにも、のんびりと聞いてもらえば........。
 メキシコでは、陽気で情熱的なメキシカン達とは、対照的に、深く沈んだ目をしたインディオ達が印象的だったし、街の辻々や広場で、投げ銭目あてに奏られるマリアッチやボレロに耳をかたむけました。バハマでは、人間の極限とも思われる、すばらしい肉体とリズム感をもった、ウエスト・インディアン達の中で、パラダイス気分を味わい、しなやかなビートと光の中、のんびり過ごせました。
 ポップな音の発祥の地であるニューオルリンズでは、古い町並みがそのまま残るフレンチ・クォーターの一角に宿をとり、毎夜くりひろげられるお祭りさわぎの中、言葉ではとても言い表せない胸にしみるJAZZを聞かせる年老いた人達に出会えました。
 無国籍な人間にあこがれて、ジプシーの様に旅を続け、これまた無国籍な唄を書きたかったのですが、所詮、私の体に流れるのは、日本民族の血にほかならず、マリアッチや、カリプソを意識してみても、わたし風のそれにしかなりません。
 そんなわけで「南米旅行」には、わたし風のマリアッチ・レゲエ・オールド・タイム、ボサノバ、カリプソ、ボレロ等が織り込まれています。
 それはそれで良いのですが、時がたつにつれ、それぞれの民族がもっている魂からわき出した、文化や音楽、風俗、習慣が、時の流れの中で風化され、アメリカナイズされ、形だけになってしまうのは、残念な事です。
 メキシコ、カリブ海諸国は、南アメリカではなく、特にメキシカンは、メキシコを南アメリカと呼ばれるのに気分を害するのですが、近いうちに、本当に「南米」と呼ばれる諸国、ペルーや、ブラジル、アルゼンチン等を、彼等の魂が風化されぬうちに旅してみたいと思っています。
 録音は、'76年6月中頃から末頃にかけて、ロスアンゼルスのオリジナル・サウンド・スタジオで行いました。このスタジオのオーナーは、200枚以上のミリオン・セラー・レコードを録音したのが、ご自慢の今年60何才かになる、ベン・ジョーダンで、彼は私達にアメリカン・ポップスの歴史とヒット曲の要素について教えてくれました。
 又、トリニダード・トバゴ出身のスティール・ドラム奏者、ロバート・プレード・グリニッジやメキシカンのトランペット奏者、マルコ、サックス奏者トニー達と一緒にプレイ出来た事も、今となれば楽しい思い出です。

(引用終わり)

ということで、アルバムの解説に入ります。プロデューサーは「オレンジ・レコード」の創立者、阿部登(1950〜2010)で、インディー・レーベルとしては贅沢なロスアンゼルスでの海外録音。旅を終えた西岡夫婦は5月30日に同地に戻り、その後スタジオ入りするまでの間、現地でアルバム製作の準備および曲作りの仕上げを行ったと思われる。バックを務めるミュージシャンは、関西を本拠地に活躍していたブルースバンド、ソー・バッド・レビューの連中(アルバムの帯には「元」がついているので、録音の時点では解散直前または直後)だ。メインは前作に続いて登場する石田長生で、アレンジはメンバー全員となっているが、音楽面で主導的な役割を演じているのは明らか。国府輝幸はジャズをベースとするピアニストで、シンセサイザーがない時代、ごまかしの効かないアコースティックでストレートなピアノに徹している。その後の彼は、久保田麻琴や金子マリ等と活動、現在は国府利征という名前で、奈良県を本拠地として生活に根ざした独自の音楽活動を展開しているという。ベースの永本 忠は、ベーシスト、アレンジャーとして現在も活躍中。ドラムスの土居正和は、永本とベーカーズ・ショップを結成、上田正樹や大上瑠璃子(スター・キング・デリシャス)のバックの他、桑名晴子をメンバーにバンド活動を展開、現在もベーカー土居の名前で元気にドラムを叩いているとのこと。 本作は、曲やアーティストに加えて、彼らが叩き出すグルーヴ感が大きな魅力になっている。

恭蔵さんのテーマ曲といってもいい名曲 1.「Gypsy Song」は、その持ち味が最大限に発揮されている。日本では(または日本人には)、なかなか出せない乾いたリズム感が最高で、砂漠・荒野をイメージさせるような歌詞のムードにぴったりはまっている。今の時代だったら、こんな曲にはシンセサイザーを入れてドラマチックに演出するんだろうけど、ここでは禁欲的なまでのストレートなプレイで押し切っている。といってもサウンド自体は、ゆったり漂うような包容感があるんだよな......。KUROちゃんが、自分の作品のなかで一番好きと言っていた歌詞は、旅行中の心にみなぎる精神的なエネルギーが伝わってくるようで、シンプルながらもパワフルな言葉。恭蔵さんは、ヴァースではいつもの訥々とした歌い方であるが、「バイバイ」というコーラス部分では、自分の声域ギリギリのメロディーをつけてエモーショナルにシャウトする。そしてバックコーラスの砂川正が、合いの手、コーラスパートでソウルフルなハーモニーを入れている。後の彼は、砂川正和という名前で、ジャンベというアフリカン・ドラムを日本に紹介し広めるなど活動、1998年の「KUROちゃんを歌う」では本曲のリードボーカルを担当していたが、2004年に亡くなった。そして最後に入る石田長生のワウワウを駆使したギターソロは、これまで抑えていた感情を吐き出すようなプレイで、日本ロックのレコーディングにおけるギターソロの傑作と呼べるものだろう。マリア・マルダーの「Midnight At The Oasis」におけるエイモス・ギャレットのソロに匹敵する出来だよ!「Gypsy Song」は、大塚まさじ N8、亀淵由香 Y2等がカバーし、現在も恭蔵さんや春一番のイベントでのフィナーレとして演奏されている。

2.「南米旅行」は、ラテンっぽいメロディーの曲で、当地における旅行の面白さを歌っている。現地ミュージシャンのパーカッションの乗りは、日本人には出せない感じで、メキシコ人のホーンセクションによるマリアッチ風の間奏も入る。3.「Never Land」は、ライナーノーツによると、5月30日にロスアンゼルスに戻った後、 「レコーディング開始の日まで、もう1曲書く予定」と記されている曲で、他の作品とくらべてややクールな仕上がりとなっている。ネバーランドはピーターパンが住む世界のことで、恭蔵さんとKUROちゃんが幼い頃から親しんできたファンタジーの世界に対する憧れを込めて作ったものと思われる。海外のおとぎ話や偉人さん達の伝記を読んで思いにふけった昔の自分の姿がよみがえるような気がする。彼は、その後「Never Land II」、「Never Land III」という曲を書き、1980年代初め恵比寿にあったライブハウスにもその名前をつけているので、相当愛着があるのだろう。ここでワウワウ・ギターを弾いている山岸潤史は、ソー・バッド・レビューもう一人のギタリストで、ジミ・ヘンドリックスばりのパワフルなギタープレイが持ち味の人。1995年以降はアメリカのニューオリンズに移住し、現地で音楽活動を続けている。4.「アフリカの月」は、KUROちゃんが初めて書いた作品とどこかで読んだことがある。同年1976年発売の大塚まさじのアルバム「遠い昔僕は」O5に入ってたバージョンが最初で、同じ石田長生中心のアレンジながら、まさじはトム・ウェイツばりのねっとりしたサウンドだったのに対し、こちらはさらっと仕上げてある。引退して酒に浸る船乗りを描いたノベルティ・ソングで、語り口がまことに鮮やか。恭蔵さんはこの曲はまさじにあげたものらしく、二人が共演する時は、自分はギターを弾き彼に歌わせるパターンとなる。この曲は後も多くの人達に愛され、アン・サリー、金子マリ、カルメン・マキ等が唄っている。以下は、私個人の思い出より。1981年恵比寿のネバーランドで行われた「New York To Jamanica」N7の発売記念コンサートを見に行ったが、全部の曲が終わってもアンコールが止まないので、最後に恭蔵さんがギブソンを下げて一人で出てきた。そこで観客の女性から「街の君に」というリクエストが飛んだが、「歌詞を覚えていませんので出来ません」とのこと。一瞬気まずい雰囲気になったので、私が「アフリカの月」と言ったら、恭蔵さん喜んでくれて、曲の紹介のかたわらイントロのギターパートを弾き試しをして、歌ってくれました。という意味で思い出のある曲です。

5.「今日はまるで日曜日」は、ギタリストの中川イサトが1973年にURCから発表した初アルバム「1970」に収められた曲で、作詞のKINTAは、私にとって長らく謎の人物だったが、放送作家、ノンフィクション作家の上田賢一氏であることがわかった。彼は阪神タイガースを描いた「猛虎伝説」、「縁の下のバイオリン弾き バンドマン遠山新治の物語」、「上海ブギウギ 服部良一の冒険」などの著書がある。抽象的な歌詞なんだけど、不思議な魅力があって、それにイサト氏が素敵なメロディーを付けている。オリジナルは内面的な雰囲気の弾き語りだったが、恭蔵氏は現地ミュージシャンによるフルートをいれたボサノバアレンジで、よりバタ臭く唄っている。彼のお気に入りのようで、1976年の「鼻歌とお月さん」Z6、1983年の「ハーフムーンにラブコラージュ」N8でも歌われている。B面最初の 6.「Kuro's Samba」は、文字通り奥さんのKUROちゃんに捧げた歌で、軽快なサンバによる演奏。西岡氏のアコースティック・ギターの上手さが際立っている。 7.「Dominica Holiday」は、ロバート・グリニッジのアレンジで、彼のスティール・ドラムがいい味を出している。彼はその後も長らく、同楽器をメインに西海岸におけるスタジオ・ミュージシャンとして活躍している。8.「Gloria」も前の曲と同じ雰囲気のラテン・フレイバー溢れる曲で、このような歌詞・メロディーは、本場の人が作るものとは異なる、確信犯的なまやかしのファンタジーがあり、時として本物を上回る魅力があるのだ。9.「Port Merry Sue」は、南アメリカの炭鉱町を舞台とした山師達と酒場の女の物語で、コンセプトにおいて「アフリカの月」の姉妹曲と言える。これも大塚氏がアルバム「風が吹いていた」1977 O6で取り上げている。また後に大阪新世界の歌姫大西ユカリの持ち歌となった。石田氏によるジャズプレイのベスト・トラック。この素晴らしく胸を打つギター伴奏を、レコーディングの厳しいスケジュールの中で短期間で創り上げた彼は天才。石田氏にとっても思い入れある曲のようで、1998年の「KUROちゃんを歌う」で自らボーカルをとっている。最後は、バハマの海岸の風が目に浮かぶようなドリーミーな 10.「Good Night」で優しく終わる。

35年の年月に晒されて、レコードジャケットのところどころに茶色いシミが浮き出ているが、これを聞いた時の印象はいまも鮮やかで、これからも変わりなく輝き続けるだろう。シンプルな演奏で不思議なほどにカラッとしているんだけど、本物でないイミテーションながら、ゴージャスでスケールの大きい歌詞・メロディによる何処か無国籍なバタ臭さと日本人の心が持つ繊細さを併せ持っていて、そのバランスが稀有な作品だと思う。