Never Be The Same (Christopher Cross) 1980 (米15位)
[Christopher Cross]
1980年のクリストファー・クロス(1950〜 、テキサス州サン・アントニオ出身)のデビューは衝撃的だった。同名のアルバムと「Ride Like
The Wind」、「Sailing」などのシングルカットにより、より洗練された1980年代の音楽の幕開けを飾り、同年のグラミー賞を総なめしたことがその事実を物語っている。ただしレコード会社は、彼の容姿を問題として、当初は契約締結を躊躇したが、プロデューサーでキーボード奏者のマイケル・オマーティアンが説得して何とかこぎつけたという。そのためか、デビューアルバムのジャケットはおろか、アルバム、シングルがヒットした後も、しばらくの間本人は公の場所に現れなかったそうだ。今の世の中だったら、人の個性を尊重する時代なので、才能・実力さえあればそれほど問題にならないと思われるが、当時は綺麗なハイトーンで歌う男が、実は髪の毛が薄めの太った男であることのギャップに耐えられなかったのだろう。かくいう私もグラミー賞授賞式で彼が「Arthur's
Theme」を歌う様を見てビックリした記憶がある。
上記アルバムからの3曲目としてシングルカットされた「Never Be The Same」は、とても印象的なイントロで始まる。このイメージはジャズ・ギタリストのパット・メセニーが1978年の名作「Pat
Metheny Group」で奏でたリフと相通じるものがあり、当時の粋でカッコイイサウンドの極みと言えよう。哀愁を帯びたエモーショナル歌声なんだけど、べとついた感じがなく、誠実さが伝わってきて、とても良い後味を残してくれる。マイケルのアレンジ、キーボードが最高で、ラリー・カールトンの間奏ギターソロも素晴らしい。最後のヴァースの途中で、突然キーアップするのもスリリングで新鮮だ。
その後は、1981年前述の「Arthur's Theme」(映画「Arthur」の主題曲で、バート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガー、ピーター・アレンとの共作)が大ヒット(全米1位)したが、以降はヒット曲メイカーとしては比較的地味になってしまった。それでも根強いファンに支えられて現在も元気に活動を続けている。特筆すべき曲として、1983年に全米9位のヒットを記録した「Think
Of Laura」は、喧嘩による発砲の流れ弾で命を落とした女性(友人のガールフレンドらしい)のために書いたという曲で、聴く都度亡き人への思いをめぐらす厳粛な気持ちになる佳曲だ。
I Don't Want You To Go (Lani Hall) 1980 [Bruce Roberts, Allee Willis]
ラニ・ホ−ル(1945- ) は1966〜1971年にセルジオ・メンデス・アンド・ブラジル '66のボーカリストだった人だ。独立後ハーブ・アルパートと結婚、ソロ活動では、シングル・チャートインは1曲(88位)という地味ながらも、アルバムで通好みの歌手としての活動を続けている。最も有名な曲はジェームス・ボンドの映画「Never
Say Never Again」1983。
「I Don't Want You To Go」は、彼女が1980年に出したアルバム「Blush」に入っていた曲で、1983年にシングルカットされてるが、チャートインはしなかったようだ。作者のブルース・ロバーツは、大ヒットしない、これまた通好みの曲を書く人で、キャロル・ベイヤー・セイガーとの共作チームで有名。私は彼女が歌った「You're
Moving Out Today」(本コーナー1977年参照)が大好きだ。彼自身も数枚のアルバムを出している。共作者のアリー・ウィリスは本コーナー掲載の「Love
Me Again」1978を参照のこと。そういえばラニはこの曲も歌っていて、しかも同じアルバムに入っていたね。
本当に聴けば聴くほど良くなり、何度繰り返しても飽きることがない曲。資料を見ると、バックコーラスにデビッド・ラズリーとアーノルド・マックラー(ジェイムス・テイラーのバックで有名な人達)が入っていると判り、もっと好きになりました。
カバーとしては、1981年にラトーヤ・ジャクソンのバージョンがあるが、役不足といった感じ。また同年フィリピンでシャロン・クネタが歌い、同国でスタンダート・ソングとなり、その後も多くのアーティストが吹き込んでいる。それらの中では2007年のカイラ(Kyla)の録音が最高で、完全にオリジナルを凌駕している。フィリピン音楽界のセンスの良さがわかるトラックだ。
Bette Davis Eyes (Kim Carnes) 1981 (米1位 英10位)
[Weiss, DeShannon]
1981年に全米9週連続1位を記録したこの曲は、80年代前半を代表する曲となった。シンセサイザーとドラムの少し無機的な感じのサウンドがとても新鮮で、何度聞いても飽きない味があった。そして女ロッド・ステュアートと呼ばれるハスキーなダミ声が必殺空手チョップだった。1945年生まれのキム・カーンズは女らしい綺麗なルックスと、囁くように歌う際のキュートな声を使い分け、そのアンバランスな感じがとても魅力的だった。このしわがれ声はタバコの煙と深夜のクラブ演奏、そしてワイン・スプリッツァーの飲みすぎという。ロスアンゼルス生まれの彼女は、最初はニュー・クリスティー・ミンストレルズに在籍、当時の同僚は後にカントリー界の大スターとなるケニー・ロジャースだった。その後独立したがなかなか売れず、1980年のケニーとのデュエット「Don't
Fall In Love With A Dreamer」(全米4位)が最初のヒット、スモーキー・ロビンソンとミラクルズのヒット「More Love」 (同10位)が続き、この曲で大金星を射止めたわけだ。作者は歌手としても有名なジャッキー・デシャノン(代表曲は、バカラック・ナンバー「What
The World Needs Now Is Love」 1965年)だ。1975年のソロアルバム「New Arrangement」に収録されたが、シングルカットされず地味な曲だった。それを取り上げて大ヒットさせたのは、原曲の良さもさることながら、アレンジの大勝利といえるだろう。その年のグラミー賞で、「Song
Of The Year」と「Best Record Of The Year」をダブル受賞した。
タイトルのベット・デイビス(1908-1989)はハリウッドの大女優で、1930年代から活躍。日本では中年の盛りが過ぎた女優を演じた「イブの総て」(1950年)、醜悪な老婆の役の「何がジェーンに起こったのか?」(1962年)、最晩年の「八月の鯨」(1987年)が有名。もっぱら意思の強い女性の役を得意とし、その眼差しが一番の魅力だった。この曲を聴いたベットは、「孫が私の事を見直してくれた」と喜んだという。
その後の80年代のシンセポップのさきがけとなった作品だ。
All This Love (Debarge) 1982 (米17位)
[El Debarge]
デバージというと、代表曲は 「Rhythm Of The Night」1985 (米2位、英4位、作者は大好きなダイアン・ウォーレンで彼女の出世作)であるが、ここでは自作曲を取り上げることにしました。
デバージは兄弟姉妹からなるファミリーバンドで、黒人ゴスペル歌手の母親と英仏系白人の父親との間に生まれた子供達(両親は後に離婚)。彼らは、モータウンのベリー・ゴルディに才能を認められ、子会社のゴルディ・レコーズと契約しアルバムを製作・発表。そして
2枚目のアルバムと、そこからカットされたシングル(「I Like It」と本曲)で成功を収めた。ジャクソン5の後継者とみなされた時期もあったが、メンバーのドラッグ依存などのトラブルのため全盛期は短く、エルとバーニー(女性)は、1986年頃に脱退。残りのメンバーは別の兄弟をグループに迎えて活動を続けたが、かつての輝き取り戻すことができず、メンバーがドラッグ関連の罪で投獄されるなどの問題が続き、1989年頃に解散状態となった。ソロに転向したエルも、1980代後半〜1990年代前半に4枚のアルバムを出したが、大きな成功を得られず、ドラッグに溺れて才能発揮の機会を逃し、「Second
Chance」というアルバムで復帰を果たしたのは2010年になってからだった。子供の頃に受けた彼の父親による虐待が根底にあるそうで、他の兄弟もドラッグの泥沼から這い出せず、投獄されたり、病気になったり、死亡するなど、多くが悲劇的な人生を送っている。
本曲は、彼らが最も輝いていた時期の曲で、リードボーカルのエル(1961- )の作品。ラテン音楽の香り漂うミディアムテンポの曲で、前半のマイナー調からメジャーに切り替わるメロディーが素晴らしい。他の兄弟は歌ではコーラスに徹し、楽器ではキーボードとホーンを演奏。間奏における印象的なアコギソロは、名手ホセ・フェリシアーノが弾いている。
陰影があるメロディーとハイトーンのボーカルが大変魅力な逸品。同時期にヒットした「I Like It」もお勧め。
A Night To Remember (Shalamer) 1982 (米44位 英7位)
[Nidra Beard, Dana Meyers, Charmaine Sylvers]
学生時代の私は、白人のロック、シンガー・ソングライター一辺倒で、黒人のソウル、ダンス・ミュージックを聴くことはあまりなかった。それでも当時のテレビ番組「Soul
Train」はなんとなく観ていた。同番組では、ヒット曲に合わせてカップルのダンサー達が数十秒踊り、別のカップルに交替するコーナーがあり、ディスコに行かない私でも、短時間にエッセンスを詰め込んだクリエイティブな踊りに驚嘆したものだった。番組製作スタッフが、そこで踊っていたカップルと、シンガーを組ませたのがシャラマーの誕生経緯だ。ダンサーは、ジェフリー・ダニエルズとジョディ・ワトリー
(YouTubeで同番組での二人の踊りを観ることができる。凄いよ!)、シンガーは、ハワード・ヒューイットで、歴史に残った曲が「A Night
To Remeber」だった。
ファースト・ヴァースは女性のジョディ、セコンド・ヴァースを男性のヒューイットがリードボーカルを担当し、間奏後のサード・ヴァースは二人の合唱となる。ジェフリーは、歌唱面ではバックコーラスに専念していて、むしろ間奏などにおけるダンス・パフォーマンスに集中している。特にヒューイットとジョディの声の相性が抜群で、二人の声を合わせた音色が最高。また「Get
ready, Tonight, Gonna Makes A Night To Remeber」と繰り返し歌われるコーラス部分における転調、様々な掛け合いのバリエーションが次々に展開され、クリエイティブな魅惑に満ちている。
イギリスの人気番組「Top Of The Pops」で、ジェフリーが同曲をバックにソロで踊ったシーンが大評判となり、アメリカを凌ぐ大ヒットとなった。YouTubeで観ることができる彼のダンスは、パントマイム、ロボット、スローモーションを多用した驚異的なもので、なかでも「バックスライド」という摺り足のステップは、後にマイケル・ジャクソンが1983年のモータウン25周年コンサートの「Billie
Jean」で「ムーンウォーク」として披露し、時代の寵児なった(実際のところ「バックスライド」の原形はスウィングジャズの時代からあり、それが多くの人々により発展・洗練されて、このようになったという)。
映画「Footloose」1984で使用され、もうひとつのクラシックとなった曲 「Dancing In The Sheets」1984 (米17位、英41位)の時は、ヒューイット以外の二人は脱退済だった。そしてグループから離れた後、大きな成功を収めたのはジョディーだった。ジェフリーは後にマイケルと組んで「Bad」や「Smooth
Criminal」などの振り付けを担当。ヒューイットもソロ活動を行ったが、比較的地味な結果に終わった。
クリエイティブなアレンジ、生き生きとした歌唱、絶妙な相性の声質が見事に組み合った名作だと思う。
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