Fool (If You Think It's Over) [Chris Rea] 1978 (米12位 英30位)
[Chris Rea]
当時弾き語りの伴奏等で使われていたリズムボックスは、パターンの設定により各種リズムの伴奏を付けることができる機械だった。シンセサイザーが定着する前に流行ったが、音のバリエーションが少なく、テンポも機械的で単純だったため、どこか安っぽいサウンドだった。この音の特徴を逆手にとってイントロに使用したのが、クリス・レアによるこの曲だった。始めにリズムボックスが鳴り、エレキピアノによるシンプルなコードプレイとパーカッション、そしてギターが加わってゆくイントロは、モコモコ、フワフワした感じでとても印象的かつ魅力的。イントロ部門の名作だ。テレビ映像では、彼自身エレキピアノを弾きながら歌っていた。
クリス・レアは1951年生まれのイギリス人。アメリカでのヒット曲はこれだけで、あとはダメだったが、イギリスと欧州では、その後も1980〜90年代に全英トップ40に12曲チャートインという凄いキャリアを誇るアーティストになった。この人ほど欧州とアメリカでの人気に格差がある人は珍しいかも。2000年代前半、ヨーロッパにおける彼のコンサートの切符がすぐに売り切れた事を知りビックリした記憶がある。この曲は、失恋してガックリしている妹を慰めるために作ったという。「これでお終いだと思うのはバカだぜ」と歌う少し鼻にかかった低音のヴォイスは、アイドル向けではないが、スモーキーなバーボンのような独特の風味があり、大人の優しさ、包容力に溢れている。間奏のソプラノサックスのソロ、バックコーラス、ストリングスなどの洒落た演奏がAORっぽいが、軽めの作風やアレンジと、重量感のある歌声との対比が一種独特なムードを醸し出した成功例といえよう。ただし、本来の彼の音楽はこのようなポップなサウンドではなく、得意とするスライドギターをフューチャーした、よりブルース色が強いもののようだ。現在も元気に活動中で、2005年には130曲の新曲からなる11枚組のソロアルバム(ドヒャー!)「Blue
Guitars」を発表したという。
ひとこと。この曲好きです。
[2006年12月作成]
How Much I Feel [Ambrosia] 1978 (米5位)
[David Pack]
アンブロージア(ギリシア・ローマ神話に出てくる、食べると不老不死になるという「神の食物」の意味)は、1970年代ロス・アンジェルスを本拠地に活動したバンドで、初期の2枚のアルバムはプログレッシブ・ロック的なサウンドにウェストコースト風のコーラスをミックスしたスタイルが特色であったが、3作目「Life
Beyond L.A.」は、よりポップなカラーを全面に出し、好セールスを記録、バンドの名声を確立させるた作品となった。
アルバムからカットされ全米5位の大ヒットを記録した「How Much I Feel」は、リードボーカルのデビッド・パックによる作品で、洗練されたサウンドはAORの名曲とされるが、プログレッシブ・ロックを演っていたバンドだけあって、どこか骨太な感じがする。恋人と別れ、他の女性と結婚した男が、妻と愛し合う際に以前の恋人の顔を思い出すという、不健康な内容の歌詞であるが、過去の恋愛の残り火を引きずる人間の業を描いた歌といえよう。デビッド・パックの歌唱が巧みで、黒人ソウルシンガーのような歌い回しを多用しながら、退廃的で冷めた白人の視線で表現するスタイルはとても魅力的。バックの洗練されたサウンド、清涼感のあるコーラスも心地よい。
バンドは1980年代前半に分裂し、デビッド・パックはソロ活動となる。1980年代末〜1990年代初めにオリジナル・メンバーで復活を遂げるが、1995年以降デビット・パックはソロ活動に専念、他のメンバーは現在も同バンド名で活動を続けている。
1980年代のAOR音楽を先取りした作品。
Shaker Song [Spyro Gyra] 1978 (米90位)
[Jay Beckenstein]
スパイロジャイラは1970年代後半にデビューしたバンドで、ジャズ、R&B、ポップスを融合したフュージョン音楽の雄として、多くのメンバーチェンジを経て現在も元気で活動している。彼らのメジャーレーベル初アルバム「Spyro
Jyra」1978の筆頭曲で、シングルカットされて全米90位を記録した「Shaker Song」は、リーダー、サックス奏者のジャイ・バックステインの曲。カリブ海の香りがするそよ風のように心地よい曲。ジェイのアルトサックスとデビッド・サミュエルス(当日はゲストとしての参加で、1980年代には正式メンバーとなる)のマリンバがメインであるが、バックで一貫して流れるシェイカー(ドラムス奏者がハイハットをたたきながら片方の腕で振っている)が決め手になっている。
この曲をカバーしたのがマンハッタン・トランスファーで、アレー・ウィリス、デビッド・ラズリー(そう! JTバンドで長年バックボーカルを務め、自身でアルバムも出している人)が詩を付けて、翌1979年のアルバム「Extensions」に収録され、同年のシングル「Birdland」のB面にもなった。リズミカルなメロディーにつけられた歌詞が軽妙洒脱で、ジャニス・シーゲルのボーカルが素晴らしい。バックミュージシャンが凄い面々で、グレッグ・マジソン(アレンジ、キーボード)、ディーン・パークス(ギター)、アンディ・ミューソン(べース)、アレックス・アクナ(ドラムス)、パウリーノ・ド・コスタ(パーカッション)、そしてソロイストはリッチー・コール(アルトサックス)という当時最高の顔ぶれだ。
ソウルとハートをしっかり備えた1970年代のフュージョンの名曲であり、ヴォーカリーズ(インスト曲に歌詞を付けたもの)の傑作。
Love Me Again [Rita Coolidge] 1978 (米69位)
[David Lasley, Alee Willis]
リタ・クーリッジ(1945〜 )はテネシー州出身。デラニー・アンド・ボニーに見いだされ、ジョー・コッカーのマッドドッグス・アンド・イングリッシュメンで「Superstar」を歌い有名となった。仲間から「デルタ・レディ」と呼ばれた彼女は、1971年にソロアルバムを発表、1973年にクリス・クリストファーソンと結婚(その後1980年に離婚)。1977年にジャッキー・ウィルソンの「(Your
Love Has Listed Me) Higher And Higher」(全米2位)、ボズ・スキャッグスの「We Are All Alone」(全米7位)のヒットを出した。
この曲が収録された同タイトルのアルバム(1978年)は、義兄のブッカー T ジョーンズがプロデュースを担当し、ディスコ調のアレンジ等で、従来のダウン・トゥ・アースな持ち味から、より洗練されたアダルト・ミュージックへの転身を図ろうとしたアルバムだった。その試みはあまり成功しなかったようで、アルバムの売り上げも芳しくなかったようであるが、少なくてもこの曲を聴く限りにおいては、ブルーアイド・ソウルの雰囲気に満ちた曲調と彼女の歌、そしてバックのサウンドがぴったり合って素晴らしい出来になっている。作曲は上述の「Shaker
Song」と同じデビット・ラズリー(ジェイムス・テイラーのバックボーカルを長く務めた人。本稿執筆の2019年時点では引退状態のようだ)とアリー・ウィリスの二人。彼らは当時クリスタル・ゲイルやヴァレリー・カーターが録音した「Blue
Side」や、マキシン・ナイチンゲールでヒット(全米5位)した「Lead Me On」という佳曲を書いている。デビッドは他にボズ・スキャッグスの「Jojo」、アニタ・ベイカーの「You Bring Joy」など、アリーはアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「Boogie
Wonderland」や「Sepetember」、ポインター・シスターズの「Neutron Dance」などを作曲している。この曲はゆったりしたブルージーなメロディーと母性を感じる女の歌声、コクの効いたギターの伴奏が何とも言えず官能的で、こころの奥底をくすぐられるような生理的な快感を感じる曲だ。
この曲のカバーでは、1980年のラニー・ホールが素晴らしい。彼女はセルジオ・メンデス・アンド・ブラジル '66のボーカリストだった人で、「Fool On The Hill」や「The Look Of Love」は彼女が歌っている。その後同じレコード会社だったハーブ・アルパートと結婚し、彼のサポートで出したアルバム「Blush」に本曲が収録されている。彼女の歌声はリタに比べてややさっぱりしているが、その清涼感溢れる誠実な感じは捨てがたいものがある。また同年発表されたパティ・オースチン(「Body
Language」収録)のカバーも、よりストレートでソウルフルな歌が魅力的。2000年台では、フィリピンの歌姫、ラニ・ミサルーチャ (Lani
Misalucha)やシャロン・クネタ(Sharon Cuneta)がカバーしているが、彼らの国民性である深い愛情と信仰心に曲がピッタリはまっていて、これらも素晴らしい出来栄えになっている。
[2022年1月追記]
作者のデビッド・ラズリー氏は、2021年12月病気のため亡くなりました(享年74才)。ご冥福をお祈りいたします。
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