When I Need You (Leo Sayer) 1977 (米1位 英1位)
[Carole Bayer Sager, Albert Hammond]

今日京浜東北線の中でこの曲を聴いて、「本当にいいなあ」と思った。もう何度も聴いてきたけど、スローな曲なのに退屈じゃないんだよな。伴奏がとてもいい。左右のチャンネルに揺れるフェンダー・ローズ・ピアノ(マイケル・オマーティアンが弾いているそうだ)、ミュートを効かせたギター、間奏のサックスソロなど、シンプルな演奏なんだけど、これしかない!という位決まっている。私は、この曲を70年代サウンドの世界遺産に指定したい。シンセサイザーもイントロでフィーチャーされる程度で、こういった音が曲全体を覆い尽くすようにべったり張り付くのは80年代からだ。イギリス人のレオ・セイヤーがアメリカのロスアンジェルスに移り、当時人気絶頂のリチャード・ペリーをプロデューサーに迎えて製作、大ヒットしたアルバム「Endless Flight」(1976)に入っていた曲。リチャード・ペリーはニルソン、リンゴ・スター、バーバラ・ストレイサンドなどのプロデュースを担当した人で、彼が手がけたものはヒット間違いなしと言われていた。最も有名な作品はカーリー・サイモンの「No Secrets」(1972)だろう。彼は担当するアーティストの隠れた魅力を引き出すことに長けていて、彼の仕事の後はアーティストのイメージが変わってしまうくらいだ。その仕事ぶりはかなり強烈だったはずで、自作にこだわるレオに他人の曲を歌わせ、ボーカリストとしての魅力を精一杯引き出したのは彼の功績だ。それにしてもレオ・セイヤーは本当に歌が上手いと思う。地声・裏声、囁き・シャウト、バラード、ディスコ風まで何でも歌いこなし、それでいてしっかり個性をキープしているのがスゴイね。

作詞は説明不要のキャロル・ベイヤーセイガー、作曲は「It Never Rains In Southern California」を自身で歌って大ヒットしたアルバート・ハモンドで、彼は、ホリーズの「Air That I Breathe」、スターシップの「Nothing's Gonna Stop Us Now」など作曲家として大成功した。この曲は、レオ・セイヤーの他にセリーヌ・ディオン、フリオ・イグレシアス、バリー・マニロウ、ロッド・スチュワート、ルーサー・バンドロス、ペリー・コモ、シャーリー・バッシーなど歌が上手な人に好んで取り上げられている。1948年生まれのレオ・セイヤーは、ピエロの格好とメイクアップで歌っていた「Show Must Go On」(1973)がデビューヒット曲。トレードマークは、彼の芸名にもなったライオンのようなカーリーヘアーだ。その後80年代はディスコ風の曲にも挑戦、一時期低迷したが、2000年に「You Make Feel Like Dancing」(1976年の全米No.1ヒット)が人気映画「Charlie's Angels」のサウンドトラックに使用され話題となる。2005年にオーストラリアに本拠地を移し、2006年には「Thunder In My Heart」(オリジナルは1977年)のリミックス盤が驚きの全英1位を獲得するなど、まだまだ現役でがんばっているようだ。

[2006年12月作成]


Dreams (Fleetwood Mac) 1977 (米1位 英24位)
[Stevie Nicks]


フリートウッド・マックは、ドラムスのミック・フリートウッドと、ベースのジョン・マクビーの名前からとったものだ。リズムセクションがリーダーでありながら、その音楽性はギタリスト、シンガーの交代によって大きく変化するという変わったバンドだった。60年代後半の初期のイメージはイギリスのサイケなブルースバンドで、ピーター・グリーン(g)が音楽的主導権を握り、「Albatross」(1968)のインストの大ヒットを飛ばしていた。後年サンタナで大ヒットする「Black Magic Woman」も彼らの曲である。当時のLPジャケットはミックのぎょろっとした目と細長い顔を強調した異様なもので、オカルトチックだった。70年代バンドはアメリカ西海岸に本拠地を移し、クリスティン・マクビー、スティーヴィー・ニックス、リンゼイ・バックンガムが加わってからはフォークの香りをミックスした洗練されたポップ・ロックに転換した。なかでも1977年のLP 「Rumours」は世界で最も売れた作品のひとつとなった。特にスティーヴィー・ニックスの作品、ボーカルにカリスマ性が感じられ、MTVなどで歌いながら踊る彼女のシルエット、ステージ・ライトの逆光に映えて纏っているショールが透けて見えるという非常に印象的なシーンが今でも目に焼きついている。

特に「Dreams」は、スティーヴィー・ニックスの作風の最良のものだと思う。20年以上も経ちながら色あせず、当時の輝きを保っている曲だ。彼らは、ロックに繊細・洗練を持ち込んだ人達で、これまでのワイルド、図太さを身上としたロックと一線を画すものであり、その後のToto やJourney などのビューティフルなロックの先駆けとなった。グループのメンバー、リンゼイ・バッッキンガムとの破局を迎えた頃に書かれたものという。この曲の歌詞ほど孤独を深く突いたものはないと思う。淡々としたメロディーとサウンド、繊細でありながらリズムセクションはしっかりロックしているという、このバランス感覚が当時の彼らの成功の秘密だと思う。1998年、アイルランドの人気姉妹グループ、コアーズ(Corrs)がこの曲をカバー、これもなかなか出来がいいので是非聞いて欲しい。



On And On (Stephen Bishop) 1977 (米11位)
[Stephen Bishop]

ダスティン・ホフマン主演の映画「トッツィー」は、売れない役者が自分の能力を試すために女装し、昼メロドラマに出演して大人気となるが、共演者のヒロインに恋してしまったり、彼女の父親に迫られたりといったコメディーだったが、自分の事しか考えていなかった男が、女装により異なる立場の人間に扮しているうちに自分自身を見つめなおすという、自己発見のドラマでもあった。そのエンディングで流れたテーマソング「It Might Be You」を歌っていたのがステファン・ビショップだ。映画が大ヒットしたため、日本ではこの曲が有名になったが、シンガー・アンド・ソングライターである彼にとって他人の曲なので本意ではないだろう。といっても本国ではだいじょうぶ。この「On And On」が彼最大のヒット曲なのだから。

クリストファー・クロス、ダン・フォーゲルバーグと並ぶ、なよなよ系シンガー三羽ガラスの一人だけと、そのハートブレイキングな詩の世界はいつ聴いてもいいんだよね〜。そのなかでも最もジ〜ンとくるのがこの曲で、孤独に泣いた事がある音楽好きの人ならば「生涯の曲」のひとつになると思う。ちょっとトロピカルな雰囲気がしっかりAORしているが凡百の作品とは一線を画している。リンダ・ロンシュタットのブレインとして活躍し、自身も「Lonely Boy」(1977年 全米7位)、「Thank You For Being A Friend」(1978年 25位)のヒット曲をもつアンドリュー・ゴールドがエレキギターで参加、味付けにしっかり貢献しています。洗練されたメロディーもさることながら、歌詞が最高で、「かわいそうなジミーは、月光のもとポツンと立っている。彼女が他の男とキスしているのを見てしまったのだ。それで彼は梯子を上り、空から星を盗んでいる。(フランク)シナトラをかけて泣き出すんだ」という一節は本当に泣けますね。といっても、こんなに切ないのに、この曲のタイトルにあるとおり、生き続ける事、がんばる事も歌う楽観性が彼の最大の魅力であり、女々しい歌の奥底に感じられる本当の力強さだと思う。

ステファン・ビショップは1951年カリフォルニア生まれで、アート・ガーファンクルに認められたのを始めとして、バーバラ・ストレイサンド、ヘレン・レディ(One More Night)、フィービー・スノウ(Never Letting Go)、エリック。クラプトン(Holy Mother)他、多くのアーティストが彼の曲を取り上げている。とりわけ映画「ホワイトナイツ」(1985)のテーマ曲でフィル・コリンズがマリリン・マーティンと歌った「Seperate Lives」が全米1位となり、作曲家としての栄誉を獲得する一方、ソロアーティストとして現在もソロアルバムの発表とコンサート活動を続けている。アコースティック・ギターが好きなようで、アーティスト向けのカスタムギターを製作するダグラス・フェリントンによるライトブルーの変型ギターを愛用していた。

この曲はある方のリクエストにより掲載しました。遅くなってゴメンナサイ。ありがとうございました。



You're Moving Out Today (Carole Bayer Sager) 1977 (英6位)
[Carole Bayer Sager, Bette Midler, Bruce Roberts]

キャロル・ベイヤー・セイガーは、60〜90年代で最も売れた作詞家の一人だろう。1947年ニューヨーク生まれの彼女は、若い頃から作詞家を志す。ブロードウェイのミュージカル作品で、5回上演のみで打ち切りというひどい挫折を味わいながらも、その才能を認めたドン・カーシュナーの出版社(キャロル・キング、、ニール・セダカ、バリー・マンが所属していたスクリーン・ジェム社)と契約し、1966年マインドベンダーズによる「A Groovy Kind Of Love」(米2位)が初ヒットとなった。その後はモンキーズに作品を提供、1970年代は有力アーティストとの共作によりヒット作品を連発する。当時の主な作品として、メリサ・マンチェスターの「Midnight Blue」(1975年 5位)、「Don't Cry Loud」(1978年 10位)、レオ・セイヤーの「When I Need You」(1977年1位)、カーリー・サイモンのボンド映画主題曲「Nobody Does It Better」(1977年 2位)などがある。またブロードウェイのミュージカルにも挑戦し、売れっ子コメディ作家のニール・サイモン、当時の夫であるマーヴィン・ハムリッシュと組んで、作曲家・作詞家の恋を描いた「They're Playing Our Song」(台本、オリジナル・キャスト・レコーディング共に最高の出来!)を残している。そして彼女自身もシンガー・アンド・ソング・ライターのブームに乗り、ソロアルバムを発表。「Carole Bayer Sager」(1977)、「...Too」(1978)、「Sometimes Late At Night」(1981)の3枚の作品を残している。一般的には、バート・バカラックと共演した3枚目の評価が高く、特にAORファンの間で名盤とされているが、私の個人的な好みでは1枚目も捨てがたいものがあり、その中でシングルヒットした曲が本曲である。アメリカでは共作者のベット・ミドラーのシングルとして発表(1977年4月)され、全米42位を記録した一方、イギリスでは彼女自身のバージョンで全英6位の大ヒットとなった。ベットのバージョンは、1977年のライブアルバム「Live At Last」に、インターミッションにかかる曲としてフィーチャーされたのみで、正式なスタジオ録音アルバム作品には収録されず、現在出回っているベスト盤にも何故か収録されていないため、忘れ去られてしまった感があるが、隠れた名曲であると思います。

自分の家に転がり込んできて居ついた尻軽男に立ち退きを迫る歌で、バックコーラス兼男役を共作者のブルース・ロバーツが担当している。彼は1977年にソロアルバムを発表したが、その後は作曲家として活動。バーバラ・ストレイサンドの映画「The Main Event」の主題歌「The Main Events/Fight」(1979年 米3位)、バーバラとドナ・サマーの共演盤「No More Tears (Enough Is Enough)」(1979年 米1位)を初めとして、ジェレマイア・ジャクソン、ジェニファー・ラッシュ、ロバータ・フラック、トニー・オーランド、ディオンヌ・ワーウィック、セリーヌ・ディオン、ドリー・パートン等多くのアーティストに曲を提供している。リードボーカルや間奏の合間に入る男役の無責任なセリフ、軽薄な笑い声が傑作で、ブロードウェイのミュージカル曲のような視覚的効果がある。一方彼女が書く歌詞も独創的で、立ち退き男に持ち去りを要求する品目リストのリフが、韻を踏みながらもユーモアとウィットに溢れている。それを軽快なメロディーにのせたブルース・ロバーツの作曲も大したもので、この曲を聴いた英語勉強中の私の息子が、他の英語曲と感じが全く異なり、他の言語であるかのように聞こえると言わせたほど、過激なまでに聴感が変わった曲という印象が残る。たくさんの曲を聴いてきた音楽好きにとって、とても新鮮に感じる作品だと思う。キャロルの声質は、アヒルのようなガーガー声(ごめんなさい)で、決して綺麗ではないけど、ここではコミカルな曲風にピッタリだ。

キャロル・ベイヤー・セイガーは、その後マーヴィン・ハムリッシュと離婚、バート・バカラックと結婚する。バートとの共作では、クリストファー・クロスの「Arthur's Theme」(1981年 1位)、1982年ロッド・ステュワートが歌い、1985年にディオンヌ・ワーウィック、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトが共演した「That's What Friends Are For」(米1位)、ニール・ダイヤモンドの「Heartlight」(1982年 5位)、パティ・ラベルとマイケル・マクドナルドの「On My Own」(1986年 1位)などの名曲を書いている。1991年バートと離婚した後も、2001年のキャロル・キングの新作への曲作りへの参加など、穏やかながらも現在も活動を続けている。

2020年大統領選挙の直前の9月、キャロルはトランプ大統領批判の急先鋒であるベッド・ミドラーとともに本曲の替え歌を制作し、ユーチューブに配信した。とても辛辣で面白い内容だ。

[2007年11月作成]


Hey Deanie (Shaun Cassidy) 1977 (米7位)
[Eric Carmen]

ショーン・キャシディ(1959年生まれ)は、ザ・パートリッジ・ファミリーという音楽TV番組の主演により一世を風靡し、1970年に「I Think I Love You」という大ヒットがあるデビッド・キャシディの腹違いの弟だ。父親はジャック・キャシディ、母親はシャーリー・ジョーンズ(彼女は「ザ・パートリッジ・ファミリー」でもデビッドの母親の役を務めた)という両親が俳優の家庭に育ち、若くして芸能界で活躍し、1977年にクリスタルズ1963年のヒット曲「Da Do Ron Ron」のカバーで全米1位を獲得、ティーンのアイドルとなる。続く「That's Rock'n Roll」(エリック・カルメン作曲)も全米第3位となった。少年探偵もののテレビシリーズで人気絶頂の最中に放った3番目のヒット曲が本曲で、ティーンエイジ・ポップの名作だ。

ここではショーン・キャシディーの若さが押していて、前向きな曲をぐいぐい歌ってゆく。アップテンポのロック調のメロディーと明るい内容の歌詞は、大変親しみやすく、一度聴いたら病みつきになる魅力を湛えている。イントロのエレキギターのコード・カッティングが本当にかっこよく、スカッとするぞ。そしてコーラスの部分の歌詞「Hey Deanie Won't you come out tonight, The stars are dancing like diamonds in the moonlight, And we can never find a better time to be in love, Hey Deanie Won't you come out tonight, The summer's waiting the moon is shining so bright, Hey Deanie, you're the one I'm dreaming of」は最高に好きだ。ショーン・キャシディは、80年代はテレビで活躍。最近はプロデューサーなどで活躍しているとのこと。

作者のエリック・カルメンは1949年生まれで、ラズベリーズで活躍後、ソロアーティストとしても「All By Myself」などのヒット曲を飛ばしたほか、アン・ウィルソンとマーク・ベノのデュエットによる「Almost Paradice」など、他のアーティストへ曲を提供している。彼自身もこの曲を録音しているが、軽やかさでショーン・キャシディのほうに軍配を上げたい。

[2006年12月作成]


Goodbye Girl [David Gates] 1977 (米15位
[David Gates]

キャロル・ベイヤー・セイガーの記事を書いたとき、二ール・サイモンの名前が出てきて、すぐに思い浮かんだのがこの曲だった。ニール・サイモンはアメリカの劇作家で、コメディーを得意とする人だ。60〜80年代にかけて、ブロードウェイのヒット作の常連だったほかに、数々の映画の脚本を書いている。ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダの共演による「Barefoot In The Park (裸足で散歩)」、ジャック・レモンとウォルター・マッソーの「The Odd Cupple (おかしな二人)」などの舞台劇をベースにしたものから、「名探偵登場」(ピーター・フォーク、デビット・ニーブン、アレック・ギネス、ピーター・セラーズ他豪華キャスト出演)などの映画用オリジナル脚本もあり、「Goodbye Girl」はその後者に属する。主演は「American Graffiri」(1973年)、「Close Encounters Of The Third Kind (未知との遭遇)」(1977年)、「Stakeout (張り込み)」(1987年)などに出演したリチャード・ドレイファスと、当時ニール・サイモン夫人だったマーシャ・メイスンで、監督は「愛と喝采の日々」(1977年) のハーバート・ロスだった。小さな娘を連れた母親(メイスン)が主人公で、出世のチャンスを掴んだ彼氏に捨てられる「グッバイガール」だ。去っていった男から権利を買ったと言って、若い俳優(ドレイファス)が彼女の家に同居する事になる。最初はいがみ合っていた二人が、それぞれの生活・仕事で苦労を重ねるうちに、いつしか協力し合い、心を通わせるようになる。二人の間にあって、またふられるのではと心配する娘がいじらしい。そのうち彼はチャンスを掴み、意気揚々とハリウッドに行くことになる。また捨てられるのではと消沈する母娘に、出て行った彼は、外から公衆電話(当時携帯はまだない)で、「俺の大事なギターを預かっていてくれ」と頼む。彼が帰ってくるつもりである事を悟り、本当の愛を見つけた親子は大喜びする。といった内容のハートウォーミングな話で、男女そして娘の会話が絶妙だった。私が特に印象に残ったのは、電話が終わった後のラストシーンで、家のすぐ外にある公衆電話ボックスにいた彼に、ギターを持った彼女がベランダに出て、感極まって手を振る場面だった。それは土砂降りの雨の中だったのだ!それを見た男は、「ああ!おれの大事なギターが....」と怒鳴ったが、すでに遅し。かくして彼女とともにギターもビショビショになったとさ....。というギター好きの私にとって悪夢のシーンとなったのです。

そのラストに流れたのが本曲で、元ブレッドのデビッド・ゲイツがいつもの曲風、いつもの声で切々と歌ってくれた。ブレッドについての説明は別の記事に譲るとして、1973年のブレッド解散後、ソロ活動を続け数枚のアルバムを発表、本曲以外に全米トップ40ヒットを2曲残し、現在もソロあるいは再編ブレッドで活動を続けているようだ。シンプルな曲だが、美しいメロディー、スウィートな歌声に加えて、上記の映画のスートリーが歌詞に巧みに組み込まれ、深い味わいと説得力がある。何度聴いても新たな感動を覚える曲だ。

[2007年11月作成]


Undercover Angel (Alan O'Day) 1977 (米1位)

「完璧なポップ・ソング」という言葉は、この曲に当てはまると思わせる傑作。アラン・オディ(1940-2013)は、今(2022年)の日本では、山下達郎の英語詩を書いた人として知られていると思うが、職人肌の作曲家として活躍した人だった(詳細は1974年ヘレン・レディの「Angie Baby」を参照)。本曲は彼渾身の作品で、作曲家による自作曲という地味な存在で、かつ恐らくテレビ出演などの派手な宣伝をやらなかった(YouTubeに当時の動画がない)にも関わらず、全米1位を獲得した事から、この曲が如何に凄かったかがわかる。

先日リー・スクラー(言わずと知れたJT初期の名ベーシスト)の2020年10月6日のYouTubeチャンネルで、本曲について彼が語った動画を観た。それによると、本曲のセッション・ミュージシャンは、ジェイ・グレイドン、ディーン・パークス(ギター)、本人、マイケル・オマーティアン(キーボード)、リー・スクラー(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラムス)との事。正に最高の顔ぶれだ。曲のプレイバックの時に見せるリーの表情、特にジェフのドラムスのブレイクで思わず声を上げる様がとても良い。曲が終わったあと、当時のウエストコーストにおけるスタジオ・ミュージシャンの顔ぶれが、ごく一部の人による寡占状態で、新規参入が至難だった様が語られている。

彼らによる鉄壁の演奏とクリエイティブなアレンジ、ファンキーなボーカルとコーラス、ちょっとエッチでファニーな歌詞(当時、州によっては放送禁止になった所もあったそうだ)とファンタスティックなメロディー、巧みな録音と、全てがそろった文句なしの名曲。オリジナルが良すぎたために、その後カバーされなかったのもむべなるかな。

なおアルバム「Appetizer」1977に収められたバージョンは、エンディングにおける「Somewhere〜」という歌唱のリフのため、シングル盤よりも約50秒長くなっている。