Moonlight Feels Right [Starbuck] 1976 (米3位)
[Bruce Blackman]


スターバックは、ブルース・ブラックマン(キーボード、ボーカル)とボー・ワグナーを中心に1974年ジョージア州アトランタで結成されたバンドで、デビューシングルとして製作された本曲は、1975年9月の発売では話題にならず失敗に終わったが、その後アラバマ州のラジオ局DJが取り上げたことによって火がつき、全米3位の大ヒットとなった。MTV等によるミュージックビデオが音楽界を席巻する前で、ラジオ局DJの影響力によるヒットが可能だった時代の産物だ。シングルを発売したレコード会社は、「Private Stock」という名前で、1974年-1978年という短期間ではあるが、デビッド・ソウル(テレビ番組「スタスキー・アンド・ハッチ」のハッチ役で売れた俳優。クリント・イーストウッドのダーティー・ハリー・シリーズでは悪役で出演していた)の「Don't Give Up On Us」(米1位)、オースチン・ロバーツの「Rocky」(米9位)、サマンサ・サング「Emotion」(米3位)、フランキー・ヴァリの「My Eyes Adored You」(米1位)などのヒット作を手がけたレーベルだった。
                                                                
1976年としては珍しく分厚いシンセサイザーのサウンドが時代を先取りし、ブラックマンの気だるいボーカルが官能的な歌詞を歌う。面白いのは、ボー・ワグナーによる間奏のグルーヴィーなマリンバ・ソロで、数ある大ヒット曲のなかでもこの楽器がフィーチャーされたのは、空前絶後だろう。一度聞いたら忘れられない印象が残る曲で、70年代と80年代のサウンドの橋渡し的な存在といえよう。なお2003年製作で、マット・デイモンが主演したコメディー映画 「Stuck On You」でこの曲が使われたとのこと。スターバックはこの後、「Everybody Be Dancin'」というヒット曲(38位)など全部で5曲のチャート入りを果たしたが、アルバム3枚の売り上げは不調で、1980年に解散してしまう。ちなみにブルース・ブラックマンは、このバンドの前に Eternity's Children、後に Korona という名前のグループでマイナーヒット曲を出している。

[2007年10月作成]


I'd Really Love To See You Tonight [England Dan & John Ford Coley] 1976 (米2位 英26位)
[Parker McGee] (邦題 「秋風の恋」)

イングランド・ダンの本名はダン・シールズで、兄はシールズ・アンド・クロフツのジム・シールズ、両親・兄弟の多くがミュージシャンという環境に育ち、兄が所属するグループ Champsの大ヒット「Tequilla」に触発されて、幼馴染のジョン・フォード・コリーと組んで本格的な音楽活動を始める。1968年にSouthwest F.O.B.という名前のロックバンドを結成、ダラスを中心に活躍し全米56位のヒット曲も出したが、その後はデュオとしてレコード契約獲得のためにウェストコーストに移動する。そこで出会ったパーカー・マッギーの曲のデモテープを持って、レコード会社を回り、アトランティック・レコードからは断られたが、隣のオフィスで壁越しに聞いたビッグ・トゥリー・レコードが興味を示し、契約そして発売され大ヒットしたのが、本曲というわけだ。多くの人は彼らをこの曲1発だけのワン・ヒット・ワンダーと思っているが、1970年代後半に全米トップ40に本曲を含め6曲、うち3曲がトップ10というヒットを飛ばしていて、良質のアルバムも製作している。

昔恋人だった女性にいきなり電話して、「今夜会いたいな。よりを戻そう、君の人生を変えるつもりはないんだ」と語る男の心境は、大変身勝手なものであるが、人間なんてそんなもんで、それなりに誠実でもある。過去にほろ苦い思い出を持つ人々は、この曲を聴くとじ〜んとくると思います。美しいメロディー、穏やかなフォークロック調のアレンジ、哀愁溢れるボーカルと爽やかなハーモニー、どれをとっても素晴らしく、名曲の名に恥じない作品だ。DAMカラオケに入っているので、歌ってみるといいよ!作者のパーカー・マギーは南部ミシシッピー生まれのソングライターで、他にポインター・シスターズ「American Music」、クリスタルゲイル等に曲を提供、自身も1曲マイナーヒットがある。興味深いのは、1977年のイングランド・ダンとジョン・フォード・コリーのアルバム「Dowdy Ferry Road」に収録されていた彼の作品「Where Do I Go From Here」が、その後カーペンターズによってカバーされたことで、1978年に録音された音源はお蔵入りになり、カレン・カーペンターの死後に発表された。隠れた名曲といえるもので、こちらも是非聴いてほしい。

グループは1980年に解散、ダン・シールズはその後カントリー音楽界でヒットメイカーとして活躍を続けた後、2009年に悪性リンパ腫のため死去。ジョン・フォード・コリーは表舞台からは姿を消し、裏方で地味な活動をしているようだ。ちなみに、本曲の全米ヒットの前に、A&Mレコード時代に出したシングル「Simon (シーモンの涙)」が日本のみで大ヒットしたとのこと。この曲は本国米国では入手困難であるが、日本では2002年に発売された、1965年〜1984年の期間に渡る300曲の洋楽ヒットを集めた15枚のCDからなるオムニバス盤、「俺たちの洋楽ヒット」のVol.5 に収録された。本シリーズは、日本のみでヒットした曲もしっかり収録されていることがユニークだった。

[2007年11月作成]


Afternoon Delight [Starland Vocal Band] 1976 (米1位 英18位)
[Bill Danoff]

ビル・ダノフとタフィー・ダノフ(旧姓ニヴァート)の夫婦は、ワシントン D.C.を本拠地とするフォーク・デュオ、ファット・シティーとしてジョン・デンバーの前座として活動した人達。また夫のビルは、デンバーの代表曲「Take Me Home, Country Roads」(邦題「故郷に帰りたい」、日本ではオリヴィア・ニュートン・ジョンのカバーで有名)を共作している。1976年彼らは、ジョン・キャロルとマルゴー・チャップマン(後に結婚)を加えて、女性2人、男性2人のグループ、スターランド・ボーカル・バンドを結成、デンバーのレーベル、ウインドソングからアルバム・デビューした。そこからシングルカットされた「Afternoon Delight」は大評判となり、同年のグラミー賞にノミネート、最優秀新人賞を獲得した。しかしながら、その後の作品は成功せず、何時しかバンドは解散、2組の夫婦も離婚してソロ活動に転じたが、誰も成功せず、文字通り One Hit Wonderになってしまった。

「Afternoon Delight」は、昼間の明るさの中で愛し合うことの素晴らしさを歌っている(表面的には同名のランチスペシャルの事を歌っているようにも解釈できる)。いかにもエッチな感じに聞こえるが、実際はとてもカラッとしていて健康的、かつ自然で前向きなので、いやらしさは全くない。うらやましいな〜とは思うけどね。少しカントリー調のフォーク・サウンドで、特にエンディングの4人のハーモニーが実に素晴らしく、その余韻がいつまでも耳の中に心地よく残る。



Evergreen (Love Theme From ’A Star Is Born')[Barbra Streisand] 1976
[Barbra Streisand, Paul Williams]
(米1位 英3位)

名曲に相応しいタイトル。これは1976年の映画「Star Is Born (邦題スター誕生)」の主題歌だ。バーバラ・ストレイサンドとクリス・クリストファーソン主演、フランク・ピアソン監督による本作は、1932年ジュディ・ガーランド主演による同名映画のリヴァイバルで、音楽を現代風に焼き直して、ロックスターの栄光と挫折を描いたものであったが、映画の出来はいまひとつであった。一方主題歌の「スター誕生 愛のテーマ」は大ヒットとなり、1976年のアカデミー主題歌賞、翌年のグラミー最優秀歌曲賞のダブル受賞となった。バーバラが作曲に参加した数少ない曲のひとつで、相棒のポール・ウィリアムスは、カーペンターズの「Rainy Days And Mandays (雨の日と月曜日は)」、「I Won’t Last A Day Without You (愛は思い出の中にだったかな?)」、「We've Only Just Begun (愛のプレリュード)」、スリー・ドック・ナイトの「Old Fashion Love Song」を書いた名うての作家だ。

彼女のスタイルはブロードウェイ調というか、オーケストラの伴奏をバックした絶唱型の歌が多い。個人的にも「ちょっと凄すぎ」の人なんだけど、この歌は比較的抑えた繊細な感じが非常に効果的で、抑え気味ながらも十分にスケールが大きい歌唱は、浮揚感があってさすが!イントロのギターのアルペジオを聞くだけで心がワクワクする。ちなみに「Paul Williams A&M Greatest Hits」(ポリドール 1997)には、ポール自演のヴァージョンが収録されており、勿論バーバラほど巧くはないけど、十分に味のあるボーカルを聞かせてくれる。



Say You Love Me [Patti Austin] 1976
[Patti Austin]

パティ・オースチン(1950〜 )はニューヨーク・ハーレムの生まれ。音楽家族の環境で育ち、4歳の時アポロ・シアターでデビューし、コマーシャル・ソングやバックコーラスの歌手として活躍。1976年ジャズのCTIレーベルより初アルバム「End Of A Rainbow」を発表。その後クインシー・ジョーンズのプロデュースでジェイムス・イングラムと一緒に歌った「Baby Come To Me」全米1位の大ヒットを記録する。その後もソロアルバムを出しながら、様々なセッションにバックボーカリストとして参加している。ゲストボーカルとしては、1975年フランキー・ヴァリの「Our Day Will Come」(当時は無名だったためノークレジット)、1978年横倉裕(Yutaka)の「Love Light」全米81位、1978年マイケル・ジャクソンの「It's The Fall In Love」、1980年ジョージ・ベンソンの「Moody s' Mood For Love」などが代表作。

「Say You Love Me」は上述の初アルバム「End Of A Rainbow」の冒頭に収められた彼女の自作曲で、とても良い曲と思われるが、シングルカットされなかった。今聴くと、アレンジが曲本来の良さを掴みきれなかった感がある。彼女およびスタッフは、その出来に満足できなかったようで、1980年のアルバム「Body Language」で再録音された。そこではフュージョンジャズ風のより洗練されたアレンジが施され、その中でギンギンに弾きまくるジョン・トロペアのギターが冴えている。

その後も曲が持つ潜在力が評価されたようで、以下の通り、主にアジア地域でカバーされ、進化してゆく。

1. 1994年: Regine Velasquez
フィリピンの国民的歌手レジーン・ヴェラスケスが国外(アジア地域)でのデビューを図ったアルバム「Listen Without Prejudice」に収録。ソリッドなリズムとシンセサイザーを強調した90年代風のバックに、力強く歌っており、歌の上手さが際立っている。

2. 2000年: Vox One
ボストン・バークリー音楽院在籍の松岡由美子氏が同僚と結成したアカペラ・グループで、2000年の同名タイトルのアルバムは主に日本でのセールスを念頭に制作されたという。シンプルな打楽器をバックに、女性2人、男性3人で歌う。現代的かつ独創的なアレンジにより、アカペラ・コーラスの持つシンプルでピュアな魅力が、より引き立っている。その斬新な音作りは、その後のアカペラ・グループに大きな影響を与えた。

3. 2001年: 原田知世
アルバム「Summer Breeze」に収録。すっかり大人になった彼女がゴンチチをバックに歌ったもので、サンバ風のリズムにアコースティック・ギターが心地良く鳴り、ループ風のシンセサイザーが不思議な魅力を放っている。何といっても彼女のコケティッシュな声が魅力的で、何度聴いても快感を覚えてしまう。

4. 2005年: M.Y.M.P.
フィリピンのアコースティック・サウンドのグループによるカバーで、グループ名は「Make Your Mama Proud」の略。ここではアコギのアルペジオと女性ボーカルのみによる演奏(間奏部分だけギターのオーバーダビング入り)で、シンプルなギタープレイは間を生かしながらも、タイム感覚は現代的。カラフルで繊細な歌声が素晴らしく、曲が持っていた潜在力をフルに引き出すことが出来たと言えよう。それにしても、このアレンジになるとミニー・リパートンの名曲「Loving You」1975 との類似性が際立ってしまうのであるが、これだけ良ければ十分許せるね!なおこのバージョンは当時韓国で大ヒットしたそうだ。

5. 2011年: 西原健一郎 (Featuring Tamala)
作曲家・編曲家・プロデューサー、DJとして日本およびアジア各国で活躍する西原健一郎が制作したアルバム「Natural Relax Presented by Folklove」に収録。ヒップポップのソリッドなリズムの中、フィンランド在住というネオソウルの日本人女性シンガー(Songbird) Tamalaのボーカルが絶品。彼女の声質・歌い方が音楽にピッタリ合っていて、天から降りてきたかのようだ。

6. 2012年: Juris
前述のM.Y.M.P.から独立したJuris (Julie Iris Fernandez)がソロアルバム「Dreaming Of You」で再録音。ウクレレから始まり、ギターのカッティングと間奏のハーモニカソロによるリラックスした伴奏と、彼女の肩ひじ張らない歌唱がまろやかな雰囲気を出している。ジェイソン・ムラツの「I'm Yours」2008に通じる世界だ。

長い時間をかけて、様々なスタイルでカバーされ、進化を遂げた名曲。


Free [Deniece Williams] 1976
[Deniece Williams, Hank Redd, Nathan Watts, Susaye Greene] (米25位 英1位)

デニース・ウィリアムス(1951〜 )というと、私は映画「Footloose」に挿入された「Let's Hear It For The Boy」(1984年 米1位、英2位)、そして当時音楽配信の新しい形として一世を風靡したミュージックビデオをよく観たことを思い出す。そして彼女のデビューアルバム「This Is Niecy」1976 からシングルカットされた「Free」という超名曲の事を知ったのは、ずっと後になってからだった。

彼女はインディアナ州の聖職者の家に生まれ、幼い頃からゴスペル音楽に親しんでいたという。音楽の仕事はナイトクラブのアルバイトからスタートし、1970年にスティーヴィ−・ワンダーのバック・ボーカリストとなり、「Talking Book」1972 や「Fulfillingness' First Finale」1974のレコーディングに参加。その他シリータ・ライト、ミニー・リパートン、ロバータ・フラックのアルバム等に名を連ねている。彼女は1975年スティーヴィーの元を離れ、レコード会社と契約して初ソロアルバム「This Is Niecy」1976を制作する。その際のプロデューサーの一人がアース・ウィンド・アンド・ファイアのモーリス・ホワイトだ。 「Free」はこのアルバムの中で突出した出来としてシングルカットされ、米国で25位、英国で1位の大ヒットとなった。この曲はタイトル通り、自由なムードに満ちた曲で、彼女は4オクターブという驚異的なヴォイス・レンジを駆使して空を駆け巡るように歌う。それを支えるバックの演奏もしなやかで、シンガーとバンドの一体感が素晴らしいグルーヴを生み出している。

その後数多くのアーティストがカバーしたが、このオリジナルがあまりに完璧すぎて、それを凌駕するものは現れていないと思う。後に「フリー・ソウル」という音楽ジャンルの原点となった曲として、40年経った今 (2019年)聴いても新鮮さを失わない超名曲だ。

[2019年5月作成]