San Francisco Bay Blues [Phoebe Snow] 1974 (米なし 英なし)
[Jesse Fuller]


1970年代の後半、私はフィービー・スノーにぞっこんだった。歌いまわしに少しアクがあるけど、コクのあるヴォーカル、独特なフィーリングのギター伴奏、彼女の心の中には熱いソウルと冷静な理知が見事に調和しているようだ。1952年ニューヨークに生まれ、グリニッジ・ビレッジのライブハウスでフォーク、ブルース、ゴスペル、ジャズなど様々なスタイルの音楽を演奏、当時人気絶頂のレオン・ラッセル率いるシェルター・レコードに見い出されて、1974年本人の名を冠したアルバムでソロデビューを飾る。そこからシングルカットされた「Poetry Man」が全米5位のヒットとなり、アルバムも4位と上々のスタートを切った。日本ではこの曲の代わりにスタンダード曲の「San Fransisco Bay Blues」がシングルカットされ、それを聞いた私は当時シングルレコードを買い、LPレコードを買い、そして1995年発売のCDまで買うはめになった。ビル・エバンスのピアノトリオで有名なジャズ・ベーシスト、チャック・イスラエル(1936〜 )と本人のアコースティック・ギターのみのフォービートの伴奏で歌われる。おそらくマーチンの0-18か00-18と推定されるマホガニー・ボディーのギターによるフィービーのプレイが最高。ライブハウスの弾き語りで鍛え抜かれた腕前が堪能できる。本人のボーカルも、ブルースの光と影の双方を兼ね備えた非常に繊細なもので、唯一無比の独特な世界を確立している。

この曲の作者ジェシー・フラー(1986-1976)は、西海岸を本拠地とするフォーク、ブルース系の黒人シンガーで、ギターの他にホルダーに付けたハーモニカやカズー、本人考案によるフットスイッチによるパーカッションを同時演奏するというワンマンバンドで評判をとり、この曲が代表曲。ピーター・ポール・アンド・マリーを初め、多くのフォーク・ミュージシャンによりカバーされた。でもフィービー・スノーのカバーにおけるジャズっぽいアレンジは出色の出来だ。

2作目からソニーに移籍、ポール・サイモン等と親交を深めながら、その後も順調にアルバムを発表したが、1980年代初めに音楽シーンが大きく変化してパンクとシンセポップの時代になったことや、プライベートな問題などでしばらく音楽シーンから遠ざかってしまう。復帰作は1989年の「Something Real」だった。その後1990年代もマイナー・レーベルで作品を発表したり、オムニバスの企画盤に参加していたが、2010年脳出血で倒れ、2011年に亡くなった。どちらかというとアルバム・アーティストと思うが、この曲の印象が、30年の歳月を経た後も余りに鮮やかなので、このコーナーにお目見えとなったわけだ。



Rikki Don't Lose That Number [Steely Dan] 1974 (米4位 英58位)
[Walter Becker, Donald Fagen]

ウォルター・ベッカー(1950年ニューヨーク生まれ、2017年没)、ドナルド・フェイガン(1948年ニュージャージー州生まれ)の二人を中心とするスティーリー・ダンは最初は他のメンバーと一緒のグループとしてスタートし、次第に腕利きスタジオ・ミュージシャンを駆使したスタジオ・ユニットに発展していった。本曲はその過渡期の作品で、初期メンバーのギタリスト、ジェフ・バクスター(その後ドゥービー・ブラザースに参加)のギターが聴ける一方、ドラムスは当時売れっ子だったジム・ゴードン(エリック・クラプトンとのデルク・アンド・ドミノスで有名)だったりする。ラテン調の印象的なイントロは、ジャズ・ピアニストのホレス・シルバー1964年のブルーノ−トレーベルからの作品「Song For My Father」(とてもいい曲!)の引用であることは明らか。歌はガールフレンドにふられた男が、電話番号をなくさないでと嘆願しているラブソングで、いつもは難解な詩を書く彼らとは趣を異にしている。そのためかファンの間では深読みされて麻薬のことを暗喩しているなどと噂されたりしていた。

リラックスした人なつっこいメロディー、歌詞、そして演奏がバランス良くミックスした雰囲気がこの曲の魅力で、ドナルド・フェイゲンのボーカルが楽しめる逸品。後になるとリズムセクションのグルーブ感、間奏のソロイストに対する異常なまでのこだわりなど、隙のない完璧な音作りを求めるようになり、その努力の成果は1977年全米11位の「Peg」(アルバムでは「Aja」に収録)などに楽しむことができる。



Seasons In The Sun [Terry Jacks] 1974 (米1位 英1位)
[Jacque Brel, Rod McKuen]

死をテーマとした曲で最もヒットした曲だろう。近年ではニルヴァーナのカートコバーンが、自らの命を絶つ前にこの曲を録音していたことが未発表曲集「With The Light Out」(2004)の発売により明らかとなり、ファンの間で話題になったが、実際は自殺の歌ではなく、死に面した人間の心境を歌ったものだ。フランスのシンガー・アンド・ソングライター、ジャック・ブレル(1929-1978)が書いた詩を題材として、アメリカの有名な詩人であり歌手でもあるロッド・マッケン(1933〜2015)が英語の歌に脚色したもの。死を悟った自分が過去を振り返る。愛、友情と家族との光と影が淡々と語られ、その甘さ苦さがリスナーに深い感動を与える曲だ。カナダ生まれのテリー・ジャックス(1944〜 )は、かつて奥さんとPoppy Familyというグループを組んで1969年「Which Way You Goin' Billy ?」という全米2位のヒット曲を出した人。その後彼女と離婚し、音楽関係の仕事に従事。ビーチボーイズとの仕事で、彼等がこの曲をレコーディングするお膳立てをしたが、結局は選から漏れてしまったため、しばらくそのままになったという。後に彼のデモテープを聴いた人の勧めで、カナダのマイナーレーベルでシングル発売したところ国内で大ヒット、評判となりメジャーから発売され、全米・全英のヒットチャートのトップの座を射止めることになる。

この曲は彼やロッド・マッケンの他に、キングストン・トリオやフォーチュンズ、ボビー・ヴィントン、アンディー・ウィリアムスが録音しているが、アイルランド出身の5人組アイドル・コーラス・グループ、ウエストライフがカバーし、1999年全英1位を獲得したため、若い人々にこの曲の存在が広く知れ渡ったのが最近の顕著な動きだった。ひたすら純粋にさわやかに歌い上げる彼等のバージョンも悪くはないけど、陰影の深いオリジナルにはかなわない。テリー・ジャックスは、今も音楽の世界に関わりながら、母国カナダにおいて環境問題に取り組んでいるそうだ。

[2006年11月作成]


Angie Baby [Helen Reddy] 1974  (米1位 英5位)
[Alan O'Day]

家にこもってラジオばかり聴いていたという、作者の子供時代への思いを込めた本曲は、最初シェールのもとに持ち込まれたが、彼女は気に入らず拒絶。結局ヘレン・レディが取り上げて全米第1位の大ヒットとなった。家に引きこもってラジオばかり聴いているクレイジーな女の子に邪心の若者が言い寄るが、彼女の世界に吸い込まれてしまい行方不明になるという、一見不気味なストーリーの歌詞であるが、音楽にのめり込み引き込まれた実感を持つ人(私もその一人だ)にとっては、リアルなファンタジーとして大変印象的かつ魅力的な世界であり、作者の音楽に対する魂が伝わってくる音楽好きの人々のための名作だと思う。メロディーも素晴らしい。ヘレン・レディーは1941年オーストラリアのメルボルンに生まれ、芸能家族のなかで4歳からステージに立ち、1960年代前半には自身のテレビ番組で人気を博したという。1966年から活動拠点を米国に移し、「I'm A Woman」(1972)、 「Delta Dawn」(1973)で全米1位を獲得する。本曲は3曲目のナンバーワン・ヒット曲だった。当時彼女は捕鯨禁止運動に積極的に取り組んでいて、日本に対し批判的であったため、来日コンサートもなく日本での人気はイマイチだった。80年代以降は歌手としての人気が低下したが、音楽活動を続けながら、女優としてテレビや映画で活躍したり、母国オーストラリアに関する本や自叙伝を執筆した。その後2015年認知症と診断され引退、2020年に亡くなった。

アラン・オディ(1940〜2013)は、スリー・ドッグ・ナイト、アン・マレー、オリヴィア・ニュートン・ジョン等に曲を提供した作曲家で、特にライチャス・ブラザースが歌った「Rock'n Roll Heaven」やシェールの「Train Of Thought」は有名。その後自らマイクを取った「Undercover Angel」(1977)で全米1位の大ヒットを飛ばすが、その後は主に作曲家として活動し、ディズニーの「リトル・マーメイド」の挿入歌や、日本では山下達郎氏との共作(彼は英語歌詞を担当)で有名。歌詞に登場する男が行方不明になる経緯がミステリアスに語られているため、いつもその質問を受けるというヘレン・レディやアラン・オディは、はっきりとした回答をしていない。ファンの間では「彼はサウンドウェイブになってしまった」とか、「ラジオに吸い込まれてディスク・ジョッキーになった」(この答えはいいね!)などと言われている。今のインターネット時代では様にならない、ラジオ全盛時代ならではのファンタジーソングだ。
[2006年12月作成]



Charade [Bee Gees] 1974
[Barry Gibb, Robin Gibb]

ビージーズは長いキャリアの中で数多くのヒットソングを出したが、1974年のアルバム「Natural」からシングルカットされた本曲は全米トップ100に入らず、さらに2001年に発売されたベスト盤「Their Greatest Hits: The Record」にも収録されなかった。こんなに素晴らしい曲を45年以上も知らずにいたなんて、悔しいと思ったと同時に、世の中には自分が知らない曲が沢山埋もれていて、残された人生をこれらを発掘することで楽しめるのだという希望が湧いてきた。当時受けなかった理由は、ビージーズが初期のスタイルから華麗なディスコ音楽に変貌する過渡期にあったこと、メロディーや構成が複雑で時代を先取し過ぎた作品だったからだろう。

「シャレード(謎解き)」というタイトルは、ヘンリー・マンシーニが作曲したスタンリー・ドーネン監督の同名映画(1963年、ケイリー・グラント、オードリー・ヘップバーン主演)が定番であるが、本曲はギブ兄弟作による同名異曲(日本盤のタイトルは「愛のシャレード」)。当時ビージーズのバックバンドのメンバーだったイギリス人のジェフ・ウエストレイ(Geoff Westley)が弾くファンダー・ローズ・エレクトリックピアノが絶妙で、醸し出される暑い夏夜の波打ち際の雰囲気は、細野晴臣の名曲「熱帯夜」(アルバム「トロピカル・ダンディ」1975 収録、エレピ奏者は佐藤博)に通じる世界がある。官能的な歌詞とボーカルに心を揺さぶられる逸品。

本曲のカバーとして挙げられるのは、同じビージーズが作曲した「Emotion」のヒット(全米3位)を飛ばしたサマンサ・サングで、同名タイトルのアルバム(1977年)に収録されているが、でもタイトル曲のほうが良い出来かな?その他では、フィリピンの歌手ハッジ・アレハンドロ(Hajji Alejandro)のタガログ語による1976年のカバー(タイトル「Tag-Araw, Tag-Ulan」)が、いかにも南国的な暑く気だるい雰囲気が見事で、原曲を凌駕する出来栄えになっている。ちなみにLani Misalucha (ラニ・ミサルーチャ)が2003年に同じ歌詞でカバーしている。またブラジルの歌手 Ana Gazzola(アナ・ガゾーラ)のポルトガル語によるカバー(ビージーズ特集アルバム「Musicas E Palavras Dos Bee Gees」2012に収録)も、完全なブラジル音楽に消化されていて素晴らしい。